「松本秀夫」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
(rxy=森谷辰也=LTA:ASPELTA:DCHANCELTA:SASHOという動かせない事実。)
(rxy=森谷辰也=LTA:ASPELTA:DCHANCELTA:SASHOという動かせない事実。)
1行目: 1行目:
<nowiki>{{基礎情報 アナウンサー
+
[[rxy]]=[[森谷辰也]]=[[wiki:LTA:ASPE|LTA:ASPE]]、 [[wiki:LTA:DCHANCE|LTA:DCHANCE]]、[[wiki:LTA:SASHO|LTA:SASHO]]という動かせない事実。<nowiki>{{基礎情報 アナウンサー
 
|名前=松本 秀夫
 
|名前=松本 秀夫
 
|ふりがな=まつもと ひでお
 
|ふりがな=まつもと ひでお

2020年1月8日 (水) 04:47時点における版

rxy=森谷辰也=LTA:ASPELTA:DCHANCELTA:SASHOという動かせない事実。{{基礎情報 アナウンサー |名前=松本 秀夫 |ふりがな=まつもと ひでお |本名= |愛称=松本ひでお |出身地={{JPN}} [[東京都]] |国籍= |生年月日= {{生年月日と年齢|1961|7|22}} |血液型= |最終学歴=[[早稲田大学]]政治経済学部卒業 |在籍局= [[ニッポン放送]] |部署=スポーツ部アナウンサールーム |職歴= |活動期間=1985年 - |ジャンル=スポーツ実況 |配偶者= |家族= |公式サイト= |現在の出演番組=『[[ニッポン放送ショウアップナイター]]』など |過去の出演番組=[[#過去の出演番組]]を参照 |その他= |備考= }} '''松本 秀夫'''(まつもと ひでお、[[1961年]][[7月22日]] - )は、[[ニッポン放送]]の[[アナウンサー]]。スポーツ実況専門の部署であるスポーツ部に所属している。[[東京都]]出身。スポーツ中継では漢字の「'''松本秀夫'''」だが、ワイド番組のパーソナリティとしては「'''松本ひでお'''」の表記を使用している。 == 来歴 == [[芝中学校・高等学校]](生物部魚班所属)、[[早稲田大学]]政治経済学部卒業(1年[[原級留置|留年]])。[[1985年]]にニッポン放送入社。元々スポーツアナウンサー志望で、入社時にロッテオリオンズ(現[[千葉ロッテマリーンズ]])の番アナウンサーとしてチームの取材を担当していたのが縁で、松本自身もロッテファンとなった。入社5年目に幼馴染の[[保育士]]と結婚。 == 実況アナウンサーとして == === プロ野球実況 === *実況デビュー **[[1987年]][[7月24日]]、[[後楽園球場]]で行われたジュニアオールスターゲーム(現在の[[フレッシュオールスターゲーム]])中継が自身の実況デビューだった。この日の中継は東京(ニッポン放送)・大阪 (金曜日のため[[ABCラジオ|ABC]])・名古屋([[東海ラジオ放送|東海ラジオ]])・広島 ([[中国放送|RCC]]) 各局の若手アナウンサーがリレー形式で2回ずつを実況するスタイルで、総合司会兼9回の実況を[[深澤弘]]が担当した<ref>ちなみに、この日実況を担当した彼以外の若手アナウンサーは、ABCからは[[松原宏樹]]アナ、東海ラジオからは[[北山靖]]アナ、RCCからは[[橋本裕之]]アナの3人だった。</ref>。公式戦での実況デビューは同年[[8月9日]]、[[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]]で行われた[[広島東洋カープ]]対横浜大洋ホエールズ(現[[横浜DeNAベイスターズ]])戦で<ref>この日の松本は第2予備カードの中継班としてスタンバイしていたため、本来の実況担当ではなかった。しかし、この日の「ショウアップナイター」のメインカードだった[[ナゴヤ球場]]での中日対巨人戦で、プロ初先発だったルーキーの[[近藤真一]]が[[ノーヒットノーラン]]を達成して試合が2時間足らずで終了。余った時間は予備カードを中継することになったのだが、下関で行われていた第1予備カードのヤクルト対阪神戦が雨のため[[ノーゲーム]]となってしまい、急遽、第2予備カードである広島市民球場での広島対大洋戦を中継することになり、試合途中からの実況デビューとなった。</ref>、その時の解説者が[[2007年]]シーズンを最後に解説者を勇退した[[森中千香良]]であり、松本は「森中さんには色々な事を教えて頂きました」と、恩人との思い出を振り返っている([[2007年]][[12月19日]]の『[[ショウアップナイターネクスト]]』など)。[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]の実況デビューも同じ年の1987年([[10月29日]])であり、異例の実況デビュー年・新人スポーツアナウンサーの大抜擢となった(だが、翌[[1988年]]と[[1989年]]は日本シリーズは担当していない)。[[1990年代]]以降は毎年1戦から2戦は担当しており、第一線で活躍するスポーツアナウンサーとなった。 *野球実況の看板アナへ **独特の絶叫型実況と取材内容の綿密さで人気を博し、某試合で当時[[読売ジャイアンツ]]の[[松井秀喜]](現[[タンパベイ・レイズ]])が、打った瞬間にそれと分かる特大の本塁打を放った際に発した「'''行った〜!! 何処まで行く〜!!'''」、ある剛速球の投手が空振り三振を奪った際に発した「'''バットがボールに当たらない!!'''」など、多くの名台詞を生んでいる。一方、[[日本プロ野球]]のみならず、[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[メジャーリーグベースボール]]の実況中継も担当、シーズンによってはアメリカで3ヶ月間過ごし、現地から衛星生中継で実況を担当することもあった。現在ではニッポン放送のスポーツ実況のエース格となっている。そのため担当試合のほとんどは同局のメインカードで、裏送り中継に登場することは皆無に等しい。[[2008年]][[6月29日]]に[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]向けの[[横浜ベイスターズ]]対[[中日ドラゴンズ]]戦を担当する予定があったが、雨天中止になってしまった。その2年後の[[2010年]][[4月6日]]に[[広島]][[中国放送|RCC]]向けに[[東京ヤクルトスワローズ|東京ヤクルト]]×[[広島東洋カープ|広島]]を担当している。また、長年ナイター中継の前番組である[[ショウアップナイタープレイボール]]の進行役(火~金曜)を担当していた一方で<ref>2007年シーズンと2010年シーズンからは、当日の実況担当者がショウアップナイタープレイボールの進行役を兼ねるようになった(ニッポン放送制作日のみ)。なお、2010年シーズンの土曜・日曜は松本が担当。</ref>、1998年のシーズンオフから、ナイター時間帯の帯番組のパーソナリティも担当するようになった(2010年シーズンを除く)。これにより、2000年代におけるニッポン放送の平日夕方は年間を通じて彼が出演するという活躍ぶりで、彼がスポーツ中継の枠を超えたニッポン放送の看板アナウンサーであることを証明している。 *伝説の号泣実況 **前述の通り、入社時にロッテ番を担当したのが縁でロッテファンとなった松本だが、その最たるハイライトは[[2005年]]のパ・リーグ[[プレーオフ制度 (日本プロ野球)|プレーオフ]]・第2ステージ([[福岡ソフトバンクホークス]]対千葉ロッテマリーンズ)の第5戦([[福岡ドーム|ヤフードーム]])だった。2勝2敗で迎えたこの試合、ロッテは3-2でソフトバンクを下し、[[1974年]]以来実に31年ぶりとなるリーグ優勝を決めた。最後の打者[[川崎宗則]]が左飛に倒れた瞬間、松本は「'''ロッテ優勝~!!'''」と感極まって号泣しながら声を張り上げた。松本は、若手時代から長らく低迷期に沈むロッテを見つめ続け、また当時から親交を深めている選手・スタッフが多かったこともあって、優勝決定の瞬間には様々な思いが去来し「ダッチロールのように感情がこみ上げてきて」(本人の後日談)思わず涙してしまったのだという<ref>この日、後輩アナウンサーの[[飯田浩司]]は業務を終え、電車で帰宅する道中でこの中継を聴いていたが、向かい側の座席の乗客がイヤホンで実況を聴きながら、松本が号泣するのと全く同じタイミングで涙しているのを目の当たりにし、松本に共感している人が目の前にいることに感銘を受けたという。</ref>。この「号泣実況」はロッテファンはじめ多くのリスナーに感動を与え、多大な反響を呼んだ。しかし、ロッテが日本一にまで駆け上がった同年の[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]は実況を担当しなかった<ref>この号泣が「冷静さを欠いた」と査定されたために、ロッテが日本一を決める可能性がある第4戦以降の実況担当から外されてしまったとも言われるが、松本は後日「リーグ優勝決定後福岡の街で騒ぎすぎて喉を潰し、第1戦の実況を[[胡口和雄]]アナに交代してもらった」と釈明している。同様にロッテが出場した2010年のシリーズは実況を担当している。</ref>。ところで、この一件について本人は「プロとして恥ずかしいことをしてしまった」と後悔しているようで、ことあるごとに当時の録音が流されると「'''いや、ホンット勘弁して下さい'''」と滅入ってしまうこともしばしば。また実況アナウンサーの先輩でもある元ニッポン放送の深澤弘は「こんなの実況じゃねえな」と苦笑交じりに一蹴した。この「号泣実況」、今となっては共演者やスタッフ・リスナーにとっては笑いのネタとなってしまっており、ニッポン放送の携帯サイトで[[着うた]]として配信された。また、この試合の解説は[[田尾安志]]と[[板東英二]]のW解説で、後に板東はニッポン放送の別の番組でこの時のことを振り返り、'''「初めて球団とアナウンサーが[[癒着]]している事を知った」'''と冗談交じりに話している。 === 競馬実況 === スポーツアナウンサーになってから10年ほど、競馬の実況も担当していた。競馬実況デビューは[[大井競馬場]]。[[ナイター競馬]]の[[トゥインクル]]レースがスタートした当時、大井競馬場では場内ミニFM放送を行っており、ニッポン放送の関連会社がその制作を請け負っていた関係で、ニッポン放送のアナウンサーがレース実況を担当していた。その後、中央競馬の実況も担当したが、先輩の[[胡口和雄]]からは「お前の実況は馬が千鳥足みたいだなぁ」と苦言されたり、リスナーから何枚もの[[便箋]]に毛筆書きで実況に対するクレームが来るなど実況の方は安定していなかった。本人もそのことは承知しており、「僕が実況に呼んでもらえるわけないじゃないですか。僕が実況すると馬がみんなこけちゃうんですから」と言っている。その後、ナイターのシーズンオフの番組を担当するようになってからは年間を通じて平日出勤のため、[[日曜日]]に放送がある競馬中継には参加できなくなってしまったが、[[2011年]]より15年ぶり<ref>2011年1月6日付のやぎメール内ではこの様に表記しているが、2002年頃までは不定期で実況をしていた。</ref>に競馬実況の仕事を再開することが決定した。[http://www.1242.com/keiba/]復帰後最初の実況は[[1月9日]]の[[中山競馬場]]12レース(ただしニッポン放送での放送ではなく[[裏送り]]での放送)。その後は特別競走や準メインレース、重賞でないメインレースを担当するようになり、重賞競走では[[9月25日]]に産経賞[[オールカマー]](GII)の実況を担当している。 === サッカー実況 === サッカーにはあまり詳しくないものの、2008年の[[北京オリンピック]]では女子サッカー実況を担当することになり、必死でルールを覚えた。その後は不定期ではあるが、[[Jリーグ RADIO]]でリポーターを務めることがある。 === ハンドボール実況 === [[2008年]]1月30日に[[国立代々木競技場]]で行われる男子ハンドボールアジア予選をラジオ初となる中継の実況アナを担当することが、22日に発表された。'''ラジオでハンドボールの試合実況放送という前例'''がないため、29日の女子の試合を担当する[[洗川雄司]]アナとともに、資料ビデオなどをかき集めて猛特訓をしていた。また、その特訓している模様が[[2008年]][[1月25日]]の[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[FNNスーパーニュース|スーパーニュース]]で報道された。実況特訓では、27日に毎年ハンドボールの試合実況を担当している、[[テレビ神奈川|tvk]]の[[吉井祥博]]アナ(訓練までの様子をつづった日記には'''Yアナ'''と記載されていた)や[[熊本放送]]の[[本田史郎]]アナウンサーが来て(本田はRKK内HP自身のページ内の写真に松本のサポート役のような形で写真に写っている)洗川アナとともに講義を受けるなど、ハンドボールの実況や実際にハンドボールをしたことがある人物を呼ぶなどの特訓も行っていたようだ。 == エピソード == === 番組関連 === *『松本ひでおのショウアップナイターストライク!』内のコーナー「ひでおのフォークソング図鑑」では、早稲田大学在学時に組んでいたバンドを[[新保友映]]アナウンサーを加えて再結成して、「マイウエイスター〜もう一度輝こう」をレコーディングした。レコーディングを行った曲は、mf247でダウンロードすることができた。 *『松本ひでおのショウアップナイターネクスト』内のコーナー「ひでおのフォークソング図鑑」で[[石川みゆき]]と「ひでお&みゆき」を結成し、mf247「ウタヲウタウ」プロジェクトに参加、「ウタヲウタウ」昭和歌謡バージョンをレコーディングした。ちなみに、「ウタヲウタウ」プロジェクトには、[[吉田拓郎]]のバックバンドだったことでも知られるフォークグループの[[猫 (フォークグループ)|猫]]も参加している。また、松本、石川と神田のフォーク酒場・昭和の常連客で昭和バンド結成し、リスナーの作曲した曲に、リスナーからのさまざまなフレーズのアイデアをまとめてつくった「ネクスト」を松本、石川がボーカル、昭和の常連客をバックバンドをしてレコーディングした。ちなみに、「ネクスト」の編曲は昭和の常連客の1人が担当した。 *『[[テリーとうえちゃんのってけラジオ]]』の番組内では、野球界の裏情報に詳しい謎の人物'''情報屋ゲンさん'''というキャラクターが居て、同番組内で松本によるナイター直前情報のコーナーの後に、松本が音声を加工して出演していた。ゲンさんの正体は公表されていなかったが、リスナーには松本であることがバレており、しだいに裏情報よりも[[テリー伊藤]]や、[[上柳昌彦|うえやなぎまさひこ]]によるゲンさんを弄るトークのほうが盛り上がっていった。ゲンさん目撃情報が募集され、それにテリー伊藤の妄想が合わさり様々な後付けの設定が造られた。ついにはリスナーらの手によってゲンさんのイメージソング『愛しき人よ』(作詞:ふくしまとまる・藤井青銅  補作詞:三浦康照 作曲:ふくしまとまる 編曲:[[南郷達也]])がつくられ、さらに同番組にゲストとして出演していた[[冠二郎]]がこの歌を気に入り、シングルCDとして1999年1月に発売されるに至った<ref>同年発売の冠のアルバム「男のさすらい〜愛しき人よ」([[日本コロムビア]] COCP-30321)には、表題曲として収録された</ref>。この曲はオリコンのシングルチャート63位に入った。2005年からの『松本ひでおのショウアップナイターストライク!』は、ゲンさんに似たコンセプトの「'''情報屋のヤマさん'''」なる人物が登場しているが、こちらの正体は松本ではなく誰であるかは不明。一説にはスポーツ新聞の記者であるといわれている。[[2008年]][[3月25日]]には『テリー伊藤のってけラジオ』で「のってけラジオ」シリーズの10周年記念の一環として復活をしている。 *鶴光と共演するとき(後番組の告知のための出演も含む)は必ずと言っていいほど、[[なぞかけ|謎かけ]]をやれと言われる。例として、[[2005年]][[2月]]の[[聴取率調査週間]]時に『[[ショウアップナイターストライク!|松本ひでおと森永卓郎のショウアップナイターストライク!]]』を担当した際、森永と鶴光に「なんのひねりもない」と突っ込まれていた。 *[[2007年]][[2月18日]]に行われた[[東京マラソン2007|東京マラソン]]に挑戦し、完走。ゴール直後のインタビューで「母から小さいことをコツコツ積み重ねると、大きなことが出来るといわれて…」と涙ながらに語った。もとは、2006年11月に行われた笑福亭鶴光との特番での鶴光の罰ゲームだったが、[[松村邦洋]]の松本のものまねにより代わりに走ることになった。松本アナはこれ以降マラソンに目覚め、[[2008年]][[2月17日]]の東京マラソン2008にも参加し、5時間31分15秒で完走。前年より成績が下がってしまい、松本アナは「練習不足です」と恐縮していた。2010年2月28日の第4回にも参加し、5時間24分26秒の好成績を残している。 === 実況関連 === *過去に大阪ドームの巨人主催の試合にて、他局の中継リポーターが松本が実況するニッポン放送の中継のマイクへ、誤って呼びかけられるという珍事を経験した。 *ある試合で実況をしていた際、他球場で西武ライオンズ(現[[埼玉西武ライオンズ]])が勝利した旨の速報が入り、先発の[[松坂大輔]](現[[ボストン・レッドソックス]])がヒーローインタビューで語った内容も併せて伝えられた。ところが、本社からの松坂のコメント原稿は本来「(投球内容が)要所要所で良かった」とすべきところを、どういうわけか「'''よいしょよいしょで良かった'''」と誤植した状態で送信されてしまった。これに眼を通した松本は「『よいしょよいしょ』ってこれ、おかしくないですか?」と言ったまま笑いが止まらなくなってしまった。すぐさま解説の[[田尾安志]]にフォローを仰ぐも、田尾も笑いのツボにハマってしまい2人で数秒間笑ったままの放送になってしまった。当然、松本は後にスポーツ部長からお叱りを受ける。 *[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]の実況の際には、普段の公式戦が巨人戦の実況ばかりということもあり、会社の命令かセ・リーグびいきを続けている(ただし、2005年の[[千葉ロッテマリーンズ]]優勝の際には会社が松本を配慮していたのか、絶叫していた)。 *[[2010年]][[8月28日]]のマツダスタジアムで行われた広島vs巨人戦で、熱中症となった胡口和雄に代わり5回から実況を担当した。<ref>松本はこの日はベンチリポーターとして待機していた。リンクも参照されたい。[http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/baseball/npb/news/20100829-OHO1T00079.htm]</ref> === その他 === *[[1999年]]に発売された[[ゲームソフト]]「[[超空間ナイター プロ野球キング|超空間ナイター プロ野球キング2]]」ではショウアップナイターの制作協力により、実況として声の出演を果たした。また[[2009年]]の[[東京おもちゃショー]]に出品された[[エポック社]]の「[[野球盤]]ライブスタジアム(仮称)」に収録された実況音声を担当している。 *[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]連載の[[野球漫画]]『[[グラゼニ]]』に「オトワラジオのアナウンサー」という設定で登場している。これは同作品の原作者である[[森高夕次]]がショウアップナイターのヘビーリスナーであるというところから実現したコラボレーションで、作中では松本の番組である『[[松本ひでお 情報発見 ココだけ|ココだけ]]』も大々的に取り上げられている<ref>[http://www.1242.com/diary/yagi/index.php?date=2011-12-08 『グラゼニ』] - 松本秀夫のやぎメール・2011年12月8日</ref>。 == 人物 == *ヨイショ癖がある。[[ニッポン放送ショウアップナイター]]ではシーズン中に、当時の[[読売ジャイアンツ]]オーナー[[滝鼻卓雄]]を何度か特別ゲストとして迎えたことがあったが、某日、滝鼻を前に「背番号『1242』、『TAKUO』のネーム刺繍が入ったジャイアンツのユニフォーム(24000円)を買いました」と発言したことがある。ただしヨイショであるらしく、真偽の程は不明である。 *ニックネームは「'''[[ヤギ]]'''」。入社当時、ニッポン放送でプロ野球関連のコメンテーターを務めていた当時の[[パシフィック・リーグ]]広報部長・伊東一雄(のちの[[パンチョ伊東]])に「君は[[リチャード・ギア]]に似ている」と言われ、パンチョからは「リチャード」と呼ばれていた。ところが『[[鶴光の噂のゴールデンアワー]]』に出演し、番組内で『ニッポン放送ショウアップナイター』の告知をした際、[[笑福亭鶴光]]に「自分では誰に似ていると思っている?」と聞かれたのに対し、松本が「リチャード・ギアに似ているといわれます」と答えた途端に鶴光らに爆笑され、「リチャード・ギアに失礼や!'''お前はヤギや!!'''」と命名され、さらにアシスタントの[[田中美和子]]からも「'''メエメエ'''」と呼ばれ、この影響から挙げ句にはリスナーからも「ヤギ」と呼ばれるようになってしまった。だが松本自身は「ヤギ」と呼ばれることに対してはまんざらでもないようで、『ショウアップナイターニュース』(→『ショウアップナイターストライク!』→『ショウアップナイターネクスト』)の番組用メールアドレスを「'''yagi'''@1242.com」(アドレスなのでこのように'''された'''の方が正しい)としたり、ニッポン放送のWebサイトで著している自身のコラムのタイトルを「'''やぎメール'''」と銘打ったり、挙げ句には[[Twitter]]のハンドルネームを「'''ヤギ松'''」とするなど、様々な場面で「ヤギ」を名乗っている。 *[[フジテレビ]]の入社試験を受けている途中に、[[露木茂]]から自宅に電話があり「君は顔がラジオ向きだからニッポン放送に行ってもらうから」とはっきり言われている。大学時代、放送研究会にいたが、麻雀ばかりしていた。[[清水大輔]]は放送研究会の1年後輩。2単位だけ計算間違いで留年。<ref>2012年10月31日「[[松本ひでお 情報発見 ココだけ]]」で本人が発言</ref> *祖父が魚河岸で仕事をしていたことも影響して、少年期から釣りを趣味としている。小学校の時に同居していた祖父と行った上野毛駅近くの環八沿いのドライブインの室内釣堀で25cmぐらいの鯉を釣ったのが、釣りとの出会いである。中学・高校生時代は生物部の「魚班」に所属していた<ref name=typ14>別冊[[ラジオパラダイス]]「DJ名鑑」(1987年刊)より</ref>。アナウンサーになってからも、少しでも空き時間ができると朝から釣りに出かけてしまう程で、自ら常々「三度の飯より釣りが好き」と話している。近年は文字通り趣味と実益を兼ねる域にまで達しており、担当番組内に釣り情報のコーナーを設けている他、釣り雑誌『つり丸』では連載コラム「松本アナの釣りバカ日記」を執筆している。また、釣りをきっかけにして釣り好きのプロ野球選手を中心に顔を憶えてもらい、親交を深めてプロ野球の取材に役立てている。釣り仲間は田尾安志、[[黒木知宏]]、[[堀幸一]](いずれも現ニッポン放送解説者)など球界に多数おり、長年にわたり家族ぐるみの交流を続けている人物も多い。そのほか、魚がらみのエピソードでは『[[高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団]]』のレポーターを務めていた当時、[[ブラジル]]・[[アマゾナス州|アマゾン]]の大[[ナマズ]]が放し飼いになった[[プール]]で泳いだことがあった<ref name=typ14>別冊[[ラジオパラダイス]]「DJ名鑑」(1987年刊)より</ref>。 *ショウアップナイターニュースで共演した[[森永卓郎]]と松本の二人だけが知っている意味での「'''ちびっこバッター'''」という言葉があるらしく、松本曰く、「'''おお、同志って感じですよね'''」と森永に語っていた。 *[[松村邦洋]]に[[物真似|ものまね]]されており、[[高田文夫のラジオビバリー昼ズ]]で公表されている。[[佐々木主浩]]に「世界の大魔神!」とヨイショしながらバイトのスタッフに「おい!バイト、FAX取って来い!」と怒鳴りつける「裏表のある松本秀夫」という内容。 *普段はものすごく腰が低いが酒癖が悪く、酔うと上司・部下を問わず説教をする。佐々木主浩ら野球選手や共演者を相手に管を巻いたこともある。時には大喧嘩にまで発展することもあり、酔いが冷めた後で平謝りすることが多々ある。 *[[しいたけ]]が大嫌いであり、毎年ナイターオフ番組中の半年に一度は各時期の共演者の[[石川みゆき]]、[[森永卓郎]]、[[田尾安志]]、[[新保友映]]アナウンサー、[[飯田浩司]]アナウンサーに必ずネタにされる。 *[[田尾安志]]と親交が深い為か、[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]で後任監督となった[[野村克也]]を嫌っており、公平な立場であるはずのアナウンサーでありながら、放送でもたびたび野村や楽天に批判的な意見を述べていた。 == 失敗談 == 自他共に認める'''「おっちょこちょい」'''と'''「酒癖の悪さ」'''が災いして、失敗談には事欠かない。 === 実況編 === *プロ野球公式戦の実況デビューとなった1987年8月9日の広島市民球場・広島対大洋戦で、前の打席まで右打席に入っていた大洋の[[村岡耕一]]が左打席に入ったのに驚き、思わず解説の森中千香良に「どうしたんですかね?」と尋ねたところ、森中は松本の後頭部を引っ叩き、即座に「ええ、彼は[[スイッチヒッター]]ですからね」と冷静にフォロー。松本はこの森中の一言でようやく勘付いたものの、初歩的なケアレスミスを犯したことで完全に冷静さを失ってしまい、試合終了まで実況はボロボロに。試合後、森中に誘われた夕食の席で、松本は浴びるように自棄酒に暮れた。 *大井競馬場のミニFMで競馬実況をしていた頃、レース実況でゴールした直後、2着馬の名前を[[ど忘れ]]してしまい、「2着は…2着は…」と思い出そうとして数秒間経った後、思わず「2着は…アレだ!」と言ってしまい、「“あれ”って馬がいるのかよ!!」とスタッフから大目玉をくらった。 *2007年の大リーグオールスターゲーム実況のため[[サンフランシスコ]]へ向かっていた飛行機の中で爆睡したところ、空気の乾燥した機内でマスクを着けずに眠ってしまったため声が出なくなってしった。アメリカでは薬を購入するのに処方箋が必要なため医者に行くも、英語がうまく伝わらず、なぜかレントゲンを撮られて250ドルの診察料を支払わされた。しかもドラッグストアで買ったスプレーがせき止めではなくいびき止めだったりとトラブル続きで、結局、現地到着から3日間、喉の回復率50%の状態で実況しなくてはならなかった。皮肉なことに、この日は[[イチロー]]がオールスター史上初のランニングホームランを達成するという世紀の試合で、この歴史的な瞬間にガラガラ声で実況しなくてはならなかったことを非常に悔やんでいた。 *2008年春にも、風邪をひいて広島市民球場での実況担当ができなくなり、胡口和雄が2試合連続で実況した(野球の実況はのどに負担がかかるため、ベテランアナウンサーの2試合連続実況は極めて異例)。このことはニッポン放送ショウアップナイタープロ野球珍プレー大賞でクイズになったが、[[江本孟紀]]が答えを言ってしまったため、新たな説を募集し、「手こぎ船で沖へ釣りに出たが、波が高くなり戻れず、その日広島へ向かう予定が間に合わなかった」「広島の[[マーティ・ブラウン|ブラウン監督]]の抗議によって差し替えられた」「マラソンで広島に向かったため間に合わなかった」が採用された。ちなみに、松本は過去にも喉の不調で実況に穴をあけており、この時は[[福永一茂]]が代理実況を務めた(逆に、上記にもあるが[[2010年]][[8月28日]]のマツダスタジアムで行われた広島vs巨人戦で、ベンチリポーターとして待機していた松本は、熱中症となった胡口和雄に代わり5回から実況を担当している)。 *2008年の北京オリンピックに、[[ジャパンコンソーシアム]]ラジオアナウンススタッフの1人として参加。女子サッカー、女子バドミントン、ソフトボール、野球などの種目を実況。野球では日本戦のほか、決勝の[[キューバ]]対[[大韓民国|韓国]]戦の実況を担当。また、競技実況の他にディレクター業務も行ったが、女子サッカーでは2ゴール挙げた選手にハットトリックと間違って実況者に伝えてしまったり、野球の決勝では球審の判定に憤慨してしまい感情を込めた実況をし、聴取者から放送していたNHKにクレームが入っていたことや隣の放送ブースから注意を受けたことを告白している。 *[[2010年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|2010年のマツダオールスターゲーム]]では、第2戦([[7月24日]]、[[新潟県立野球場|ハードオフ新潟]])の実況を担当した。松本は実況中に[[新潟県]]の地理について「北から順に[[上越地方]]・[[中越地方]]・[[下越地方]]の順に並んでいます」と説明したが、放送終了後、ベンチリポートを担当していた新潟県[[上越市]]出身の[[金山泉]]([[毎日放送]])から「松本さん、新潟県は京都に近い上越の方が南で、京都から遠い下越の方が北なんです」と誤報を指摘され愕然。翌日夕方『[[ショウアップナイタープレイボール]]』のオープニングトークで「大変とんでもない間違いを犯してしまいました」と陳謝する羽目になった。 *[[2010年]][[9月4日]]の横浜スタジアムで行われた横浜vsヤクルト戦では、実況途中で腹痛を訴えたため、あるイニング間のCM枠の延長措置が採られ、その間にトイレに急行した<ref>[http://www.1242.com/diary/analog/ アナLOG:ショウアップナイター実況アナのつぶやき]の2010年9月10日分を参照。</ref>。制作局のニッポン放送がサッカー中継を優先し、途中から[[MBSラジオ|毎日放送]]『[[MBSタイガースライブ|MBSタイガースナイター]]』向けのみとなったこと、また当日の同番組がオールスポット扱い(同日に阪神のデーゲームが開催されたため)であったことからこの緊急措置が可能だったようである。 === 大魔神編 === ハマの大魔神こと[[佐々木主浩]]とは取材を通じて公私共に仲良くなり、佐々木は松本の出演する番組へのお祝いのメッセージをよせたり、電話出演をすることも多い。 *[[1997年]]・[[1998年]]オフには『[[佐々木主浩のスポーツキング]]』という番組を2人で担当。この番組内で、佐々木から「カツラ疑惑」が取り沙汰されたり、1998年シーズン開幕前、酒の席で「横浜が優勝する訳ねぇだろ」と発言し、この年横浜は優勝。シーズンオフに[[高所恐怖症]]の松本に対し、[[横浜・八景島シーパラダイス]]のブルーフォールに乗せる[[罰ゲーム]]が執行された。また、その年の『[[ラジオ・チャリティー・ミュージックソン]]』では佐々木がメインパーソナリティ、松本がアシスタントを務めた。 その後、[[2001年]][[4月]]より3ヶ月強の間、当時[[シアトル・マリナーズ]]に所属していた佐々木を追いかけるため[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に出張。ここでも様々なエピソードが繰り広げられた。 *[[防御率]]に触れられることを嫌う佐々木(これは防御率などの数字に関する話をした直後の佐々木は必ず打たれるというジンクスがあるため)に対し、思い切り防御率の話題を振ってしまった。その話をした次の試合で佐々木は大乱調であり、佐々木より「その話はしないでって言ったでしょ!!」と怒られた。 *佐々木が大好物であり、佐々木の大切な人がわざわざシアトルに持ってきてくれた[[日本酒]]「[[朝日酒造 (新潟県)|久保田]]の碧寿」を、佐々木に「これだけは飲まないでくれ」と言われたのを忘れて勝手に全部飲んでしまい、翌日こっ酷く叱られた。 *局の生ワイド番組でアメリカから[[電話]][[レポート]]をするはずが、出番の前に[[酒]]を飲み過ぎ[[泥酔]]し<ref>時差の関係でアメリカは夜中であり、佐々木らと一緒に深酒することも多かった。</ref>、放送に出られない状態となり、佐々木が代わりにレポートに出る羽目になった。しかも1回限りではなく、滞在中この出来事が数回繰り返された。 === パーソナル編 === *『松本ひでおと石川みゆきのヨッ!お疲れさん』の番組開始間もない頃、週末に行われたスタッフとの飲み会の席での酒癖が原因で、翌週月曜日にスタッフから総スカンをくらい、放送中しきりにスタッフに謝っていたことがあった<ref>番組が始まっても、松本は総スカンの原因が分からず、CMに入ってから理由を教えられ、以後恐縮しながら放送中にもかかわらずしきりにスタッフに謝っていた。この事件は、ニッポン放送の各ワイド番組の中でも、しばらくの間笑い話として話題にのぼっていた。</ref>。 *忘れ癖が激しく、財布を何度も落としている。北京オリンピックの実況要員として派遣された際も、現地[[北京]]で財布を落としたという。また最近では、老眼が始まったためにかけはじめたメガネや携帯電話をどこかに置き忘れたりと、財布の他にもいろいろと忘れ物が絶えない。 *趣味の釣りに行った時に急に便意を催し、海に飛び込んで処理しようとしたが、携帯電話を持ったまま飛び込んでしまったために携帯が水没したということがあった<ref>オールナイトニッポン40周年記念! 笑福亭鶴光と松本ひでおの深夜放送ヒット電話リクエストより</ref>。 *ショウアップナイターの解説者だった[[森中千香良]]には新人時代から非常に世話になっており、松本がまだマイカーを持っていないころ、森中が所有していた外国車「[[ジャガー (自動車)|ジャガー]]」(実際には森中名義の車ではなく森中も借りている車だった)を『モリチュウレンタカー』と称して乗り回していた。この車は基本的に森中本人が使わなければいつ使ってもOKで、ガソリンを満タンにして返すことがルールだった。松本は[[レギュラーガソリン]]を満タンにして返したのだが、後にこの車は[[ハイオク]]仕様車だったことを知り、青ざめる。 *このほか、同じく森中からジャガーを借りている最中に、駐車場で[[車上荒らし]]に遭ってフロントガラスを割られてしまい、これを松本ではなく別の発見者が警察に通報し、警察がジャガーの所有者である森中に連絡し、森中が松本に'''「松! ガラス割られとるでぇ!!」'''と最後に知らされた。 *[[土橋正幸]]と会う約束を忘れて取材に行ってしまった。土橋は気にせず別の日を設定するが、それをまた忘れて土橋と会う約束を二度に渡ってすっぽかし、とうとう土橋を大激怒させてしまった。電話をしても出てくれない土橋に、松本は毎朝散歩をする土橋を待ち受けて連日謝りに行ったが取り合ってもらえず、4日目にして土橋の妻からの「もう許してあげたら…」という説得があってようやく許してもらえた。 *会社で購読しているスポーツ紙を無断で切り抜いてしまい、後日スポーツ部の会議で[[宮田統樹]]に指摘され、怒られた。 *中日の投手[[山本昌]]らその他数人の選手と酒を飲みに行った際に泥酔し、自分の話を聴いていないと思い込んだ山本に絡み、その挙句山本の尻を蹴り上げてしまった。周りの選手が松本のこの暴挙に怒号を飛ばすものの、当の山本昌は松本の酒癖の悪さにはすっかり慣れているらしく、'''「俺を蹴るとはたいしたもんだねぇ」'''と笑っていた。もちろん、松本本人はこの時のことを憶えておらず、後に人から聴かされて青ざめていた。 *2013年1月12日、ニッポン放送で初めてのリスナー合同新年会がGINZA ROOTS TOKYOにて催され、この新年会にはニッポン放送の平日生ワイドを担当するアナウンサーやパーソナリティ陣([[高嶋秀武]]、[[紅晴美]]など)が出演した。この模様は同日15:30から放送の『[[カッキーケムケム 突然ですが、お邪魔いたします]]』で一部生放送された。会場にいたのは『[[垣花正]]・[[那須恵理子]] [[垣花正のあなたとハッピー!|あなたとハッピー!]]』をかけ持つ垣花。当然、松本もその場にいたのだが、その場にいた松本はすでに悪酔いしており、垣花曰く「リスナーに低姿勢でキチンと頭を下げていた」らしいのだが、垣花を見つけるや否や「呑めよぉ」と生中継中にも関わらず低い声で絡みだし管を巻きだす。その一部始終をスタジオで聴いていた[[煙山光紀]]は「ダメだろ~、そこまで呑ませたら~」といいつつ爆笑していた。 ==出演作品== ===ゲーム=== * [[超空間ナイター プロ野球キング]] - 実況音声。[[NINTENDO64]]用の野球ゲームソフト。[[イマジニア]]、[[1996年]][[12月20日]]発売。 ===玩具=== * [[野球盤]]ライブスタジアム - 実況音声。[[エポック社]]、[[2009年]][[9月19日]]発売。 * 野球盤スラッガー - 実況音声。エポック社、[[2010年]][[11月6日]]発売。 * 野球盤ドクターケイv.s.ダブルスラッガー - 実況音声。エポック社、[[2011年]][[9月17日]]発売。 * 野球盤メガスラッガー - 実況音声。エポック社、[[2012年]][[9月15日]]発売。 ===楽曲=== * 『領収証'99』(歌:Le・シート、作詞:[[高田文夫]]、作曲・編曲:茅蔵人) - シングルCD「領収証'99」([[日本コロムビア]]、規格品番CODA-1807、1999年11月20日発売。)収録。高田文夫プロデュース。某プロダクションのマネージャーと一緒に、Le・シート名義で歌唱。 ==現在の担当番組== ===野球シーズンオフ時=== *[[松本ひでお 情報発見 ココだけ]] **[[菊正宗 ほろよいイブニングトーク]] ===野球シーズン時=== *[[ニッポン放送ショウアップナイター]](実況) *[[ショウアップナイタープレイボール]](2009年まで平日、2010年は土曜日・日曜日) *[[松本ひでお 情報発見 ココだけ|ナイタースペシャル 松本ひでお 情報発見 ココだけ 増刊号]](ナイターが行われない平日に不定期放送、ナイターオフのレギュラー版は2011年10月3日 - 2012年3月30日) 1998年 - 2009年度までは平日を中心に番組を担当していたが、2010年4月以降は土・日曜日を中心に番組を担当している。特にナイターオフの番組にいたっては12年間平日担当だったが、社長交代と世代交代の時期を迎えたことや2010年夏以降の番組大改編から、2010年オフ以降は週末(土曜日)を担当する。 ==過去の担当番組== *[[森若香織のオールナイトニッポン]](「熱狂!!勝手に走れオラシラン」のコーナー出演) *[[高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団]]内・陳平の一発逆転珍道場(アシスタント) *[[テリーとうえちゃんのってけラジオ]](「情報屋ゲンさん」のコーナー電話出演) *[[笑福亭鶴光の噂のゴールデンアワー]](スポーツニュース担当) *[[美女対談|松本ひでおの噂の美女対談]] *[[石井一久のプロ野球バンザイ]](アシスタント) *[[松本ひでおと長谷川滋利のやっぱり、野球は面白い!]](パーソナリティ) *以下はシーズンオフ時 **[[佐々木主浩のスポーツキング]](アシスタント) **[[ヨッ!お疲れさん]] **[[クオーク (信販)|クオーク]][[美女対談|松本ひでおの美女対談]](ヨッ!お疲れさんに内包されていた。インタビュアー) **[[ショウアップナイターニュース]] **[[ショウアップナイターストライク!]] **[[松本ひでおのショウアップナイターストライク!]] **[[松本ひでおのショウアップナイターネクスト!]] **[[松本ひでおのショウアップナイターGO!GO!]] **[[ショウアップナイターバッテリー]] **[[私の正論]] **[[ショウアップナイターレジェンド]](2010年10月 - 2011年3月) *[[テリー伊藤のってけラジオ|テリーとたい平のってけラジオ]](「ショウアップナイター一番ノリ!」のコーナー出演) *[[高嶋ひでたけの特ダネラジオ 夕焼けホットライン]](「ショウアップナイター最前線」のコーナー出演) *[[高田文夫のラジオビバリー昼ズ]]([[高田文夫]]休養時のピンチヒッター) **松村邦洋と松本ひでおと[[増田みのり]]のラジオビバリー昼ズ(2012年6月8日) **松村邦洋と[[磯山さやか]]と松本ひでおのラジオビバリー昼ズ(2012年8月3日) *[[日曜競馬ニッポン]](実況) == 著書 == *『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』(ぜんにち出版) == 参考文献 == * {{Cite book|和書 |author= 松本秀夫 |year= 2009 |title= プロ野球 実況できなかったスゴイ話 |publisher= ぜんにち出版 |isbn= 978-4-86136-122-7 }} ==脚注== {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 外部リンク == *[http://www.1242.com/ana/detail/hideo.html ニッポン放送・アナウンサープロフィール・松本秀夫] *[http://www.1242.com/diary/yagi/index.php 松本秀夫のやぎメール] *[http://www.1242.com/showup/nikki2/index.php ニッポン放送・松本ひでおのやぎメール(2007年3月までの過去ログ)] *[http://www.1242.com/info/handball/index.php ひでおのハンドボール奮闘実況記] *{{Twitter|yagimatsu|ヤギ松}} {{ニッポン放送アナウンサー}} {{DEFAULTSORT:まつもと ひてお}} [[Category:ニッポン放送のアナウンサー]] [[Category:スポーツアナウンサー]] [[Category:競馬アナウンサー]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1961年生]] [[Category:存命人物]] {{Wikipedia/Ja}}