ノーパン嬢

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ノーパン嬢(のーぱんじょう)とは、ノーパン喫茶で働く女性従業員のこと。

「ノーパン喫茶の誕生」

1978年の末、日本初のノーパン喫茶が京都に誕生した。すると、この年から翌年にかけてノーパン喫茶は流行し、大阪・京都を中心とする関西でブームになった。

このとき、破格の高い時給に魅せられて、多くの女子大生がノーパン喫茶でアルバイトをし始めた。

「ノーパン嬢の実態」

ノーパン喫茶の女性従業員をノーパン嬢という。ノーパン嬢は“全裸に超ミニだけ”を身につけ、ほとんどストリップ状態であった。

この格好で、ノーパン嬢は客のいるテーブルで注文を聞き、コーヒーなどの飲食物を客のテーブルまで運んだ。ノーパン喫茶の床は“鏡張り”になっており、客はノーパン嬢の陰毛や性器を見ることができた。また、店によっては床に扇風機の風をあて、ノーパン嬢の超ミニがまくれ上がるサービスを行った。これだと客は、まくれ上がったミニスカートの下に直接ノーパン嬢の陰毛や性器を見ることができる。

「ノーパン喫茶の東京制覇」

1979年に関西でブームとなったノーパン喫茶は、2年遅れの1981年、ついに東京を制覇する。東京の制覇となれば関東の制覇となり、関東の制覇となれば全国の制覇となった。こうしてノーパン喫茶は、81年に全国で大ブームになった。“ノーパン喫茶ブーム”の到来である。

このとき、特に関東では、高額の時給に魅せられて、大勢の女子大生がノーパン嬢になった。これらの女子大生ノーパン嬢の多くが、アダルトビデオに流れていくことになる。

「その後のノーパン喫茶」

ノーパン喫茶ブームが起こると東京ではノーパン喫茶が乱立し、競争が激しくなった。各ノーパン喫茶店はサービスを向上させ、ノーパン喫茶の店内に個室スペースを作る店が多くなった。この個室スペースで、ノーパン嬢は客にフェラチオのサービスを行った。

これが進化して、のちのファッションヘルスが誕生することになる。ノーパン喫茶は“ヘルスの先駆け”でもあった。