サンケイ新聞事件

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サンケイ新聞事件(さんけいしんぶんじけん)とは、サンケイ新聞(現・産経新聞)が掲載した意見広告をめぐって、日本共産党反論権アクセス権)を求めて発行元の産業経済新聞社を訴えた裁判。

概要[編集]

1973年12月2日、サンケイ新聞は自由民主党の意見広告を掲載した。その内容は「前略 日本共産党殿 はっきりさせてください。」というタイトルで、当時の日本共産党が参議院選挙向けに掲げていた「民主連合政府綱領」が、自衛隊安保条約天皇国会・国有化の各点について「日本共産党綱領」と比較して矛盾していると批判するものであった。

日本共産党はこれを意見を求める挑戦的広告だとして、憲法21条から反論権(アクセス権)が導かれるとして、「同一スペースの反論文の無料掲載」をサンケイ新聞に求めたが、サンケイ新聞側は「自由民主党と同じく有料の意見広告であれば掲載するが、無料では応じられない」とした。そこで日本共産党は東京地裁に仮処分を求めたが、申請を却下された。さらに共産党は産業経済新聞社を相手取って「同一スペースの反論文の無料掲載」をさせるよう東京地方裁判所に訴訟を起こす。

一審・二審とも憲法21条から直接に反論権は認められない、人格権の侵害を根拠としても新聞に反論文の無料掲載などという作為義務を負わせることは法の解釈上も条理上もできないとされ、また当事件では名誉毀損も成立しないとして日本共産党の請求を棄却して全面敗訴させた。判決を不服とした日本共産党はただちに上告したが最高裁は上告棄却し、日本共産党の敗訴が確定した。

最高裁判例[編集]

  • 事件名=反論文掲載請求事件
  • 事件番号=昭和55(オ)第1188号
  • 裁判年月日=1987年(昭和62年)4月24日
  • 判例集=民集第41巻3号490頁
  • 裁判要旨=
  1. 憲法二一条の規定から直接に、所論のような反論文掲載の請求権が他方の当事者に生ずるものでないことは明らかである。
  2. これらの負担(反論権)が、批判的記事、ことに公的事項に関する批判的記事の掲載を躊躇させ、憲法の保障する表現の自由を間接的に侵す危険につながるおそれも多分に存する。
  3. 不法行為が成立する場合にその者の保護を図ることは別論として、反論権の制度について具体的な成文法がないのに、反論権を認めるに等しい上告人主張のような反論文掲載請求権をたやすく認めることはできない。
  4. 本件広告によつて政党としての上告人の名誉が毀損され不法行為が成立するものとすることはできない。

意義[編集]

反論権(アクセス権)に関する訴訟の代表として知名度が高い事件である。政党批判など新聞の表現の自由に対して間接的危険(萎縮効果)をもたらすおそれがあるとして判例は反論権には否定的で、少なくとも憲法21条から具体的権利としては認められず、具体的権利とするためには明文化された法制度の確立が必要とされた。しかし、明文化したところでマスメディアの消極的表現の自由を侵害するものとして違憲と判断される可能性も高い。 ただし判例も留保しているように不法行為が成立する場合(名誉毀損などの場合)の反論権は民法723条による救済方法の一つとしては考えうる。

その後[編集]

元来サンケイ新聞は反共主義を掲げていたが、この事件によって両者の反目は決定的となった。その中で1988年北朝鮮による日本人拉致問題のうち、アベック失踪事件を追っていた共産党の議員秘書兵本達吉は、情報源となる1980年1月の産経新聞の記事について、執筆者の阿部雅美に連絡を取った。共産党からは反共の産経新聞との接触を禁じられていたが、兵本は構わずに阿部の元に電話をかけた。阿部も相手が共産党関係者と聞くと構えた口調になったが、兵本の熱意に押され、事件の内容をこと細かく話したという。しかし両組織の関係上、この2人が実際に会えたのは横田めぐみの拉致が明らかになった後だったという。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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