イラク人質3馬鹿

提供: Yourpedia
2013年9月1日 (日) 17:09時点におけるレッツゴー (トーク | 投稿記録)による版 (防人トーク)による第199183版を取り消し)

移動: 案内検索

イラク人質3馬鹿とは、2002年からのイラク戦争に関連して、2004年にイラク武装勢力がイラクに入国していた反戦活動家の日本人を誘拐・拘束し、自衛隊の撤退などを求めた一連の事件の保守勢力・ネトウヨ側からの呼称。これは米軍のファルージャ攻撃以後頻発した、数ある外国(非イラク)人拉致事件の一部である。

事件大要

当然、日本政府は無視できないので救出に尽力、結果、救出に多額の税金が投じられることになった。

人質「誘拐」された邦人は以下の三名。年齢はいずれも当時。

  • 郡山総一郎(32) ‐ フォトジャーナリスト
  • 高遠菜穂子(34) ‐ イラクでのストリートチルドレン支援活動家
  • 今井紀明(18) ‐ 「NO!!小型核兵器(DU)サッポロ・プロジェクト」メンバー

また、同時期に次の活動家二名も「誘拐」され、上の三名と同時期に開放されている。

イラク現地の武装勢力が、イラクに入国した外国籍のボランティア、NGO職員、民間企業社員、占領軍関係者などを誘拐する事件が頻発した。誘拐の要求の多くは、誘拐した外国人を人質に、彼らが本籍を置く政府に対して、自国の軍隊(日本では自衛隊)をイラクから引き上げることを要求するものであった。

被害者がボランティアを目的として入国したとすることについて、その内容の実際が、人質の一人である30代独身女性・高遠菜穂子が個人的に自宅アパートで行っていた10代の男子に限定した物資の提供等であったり、高校を卒業したばかりの海外渡航未経験の未成年者による劣化ウラン弾の絵本書き(なお、この者は出版未経験者であった)のための取材がメインであったことがわかるにつれ、ボランティアとは何かとの論争を起こすきっかけともなった。

メディアの内側においては、一部新聞社が被害者宅の正確な住所を報道したり、報道陣が被害者宅に大挙して押し掛けたことについて、被害者宅すぐそばに練習グラウンドがあるJリーグチームが驚いたとの報道を行ったため、被害者宅が特定された。そのため被害者宅へ手紙や電話・FAXが集中したことや、少なからぬキャスターが批判派・擁護派の一方を肩入れするような報道を行ったりしたことが、報道被害や報道の公正という観点から問題にもなった。

また各メディアの世論調査の数字の異なり(往々にして、メディア各社の報道姿勢に沿った数字が出された)などから、インターネットにおいては、2002年のサッカーワールドカップの日韓共催から始まったといわれる大手メディアの報道姿勢への非難が再燃した。

最初の事件の被害者3名のうち2名が北海道在住であったことから、被害者家族に北海道庁が東京事務所での便宜供与を行い、このため同事務所の電話回線が混雑し通常業務が円滑に働かなくなったり、職員(地方公務員)の残業手当等を含め北海道に相当の額の出費が強いられるなどの影響が出た。そのため、地元北海道では一般道民からの厳しい批判がなされ、地方自治体とボランティアの関係についての一石が投じられる形になった(九州出身の被害者については出身県庁が積極的な便宜を図らなかったためこのような論議は起こらなかったが、後に全国的に地方自治体とボランティアという形で議論がされた)。

なお、この事件に当たっては、週刊文春2006年11月2日号に掲載された作家麻生幾が執筆した記事によると、海上自衛隊特殊部隊である特別警備隊員をバクダッド駐留米軍に派遣し、米軍部隊との合同で突入・救出する「バビロンの桜」計画が立案されたとされる(結局実行されることはなかった)。

「自作自演」説

概要

2004年4月に起きた最初の事件直後から、2ちゃんねるなどで「犯行グループと組んだ自作自演」とのデマが流れた。2ちゃんねるで「自作自演」説が出るのは珍しくないが、この事件では政府自身も自作自演を疑った。事件当時、当選1回の複数の自民党議員が、記者に「あの人質事件は奴らの狂言らしいですよ!」と公言した。自民党議員の情報源は、外務省公安警察であった。常岡浩介によると、「自作自演」と判断したのは、警視庁公安部外事課であった。

警視庁は事情聴取で、「自作自演」を前提に話を進めようとしたが、立証することはできず、被害者3名はもちろん逮捕されていない。

被害者のカウンセリングに当たった斎藤学医師は被害者について、PTSDになる可能性が強いとして、インタビューに応じさせなかった。このため、今なおこれを根拠に自作自演を主張する者がいる。なお、PTSDにより日本のメディアに釈明ができないと主張した人質被害者のうち、30代独身女性は外務省の渡航自粛勧告を無視してすぐにイラクに再入国し、その後自分のボランティアの正当性を主張する記事を北海道新聞をはじめとする数社の新聞社に載せている。同じくその後イギリスに渡航した未成年の10代男性もBBCなど外国報道機関には自己の正当性を主張しており、2007年発行の雑誌『AERA』においても手記を寄せているが、事件内容については依然明らかではない。また、中日新聞により、女性NGO職員が犯行グループと接点があった可能性があった事が報道されている。

2004年4月、日本人3名

概要

以下の出来事は全て2004年のものである。また、最初の3名に関するもののほか、時期的に重なっている2名(次項で解説)の出来事も含む。

  • 3月31日 - ファルージャで武装した米国警備会社の社員4人が殺害された。
  • 4月6日 - 米軍が報復としてファルージャ攻撃を開始する。
  • 4月6日 - 外国人拉致事件の最初の事件が発生する(拉致されたのはイギリス人)。
  • 4月7日 - イラクで日本人3名(ボランティアと称する女性、フリーカメラマンの男性、ジャーナリスト志望の未成年の少年)が武装勢力によって誘拐される。
  • 4月8日 - カタールのテレビ局「アルジャジーラ」が犯行グループから送られてきた映像を放送した。犯行グループは、イラクのサマーワに駐留している自衛隊の撤退を要求する声明を発表した。犯行グループからの要求に対し、日本政府は自衛隊を撤退させる考えのないことを表明。
  • 4月10日 - 小泉純一郎首相は、自衛隊を撤退する意思がないことを明らかにするとともに、人質の救出に日本政府として全力をあげるよう指示を出した。また、人質となった日本人3人の家族が東京でアルジャジーラの取材に応えて人質解放を訴え、その映像が中東全域に放送された。
  • 4月11日 - 武装グループからアルジャジーラにあてて、「イラク・ムスリム・ウラマー協会の求めに応えて3人の日本人を24時間以内に解放する」との内容のファックスによる声明が届き、日本では一時楽観ムードが漂ったが、期限内の解放は実現されなかった。
  • 4月13日 - イタリア国籍の4人が別の武装グループに拘束され、自衛隊に続いてイタリア軍に対してイラクから撤退が要求された。この間、外国人の人質事件が相次ぎ、占領行政を行う連合国暫定行政当局(CPA)の発表では12か国、40人前後が人質に捕われたとされる。
  • 4月14日 - 新たに、日本人2人(自称ジャーナリストとNGO団体職員)がバグダード西方で何らかの武装勢力により連れ去られた。一方、イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相は日本の小泉首相と同様に撤兵を断固として拒否する声明を出していたが、イタリア人人質の1人の殺害が公表された。
  • 4月15日 - 日本人3名はイラク・イスラム聖職者協会の仲介もあり無事解放された。解放された3名は今回の犯行グループ名と思われる「サラヤ・ムジャヒディン・アンバル(アンバル州の聖戦士軍団)」と署名されていた犯行グループの声明文を所持していた。なお、後に解放の仲介をしたとされる地元有力者が殺害されている。
  • 4月17日 - 14日から拘束されていた日本人2人がバグダード市内のモスクで解放された。

2004年4月、日本人2名

概要

フリージャーナリストと称する日本人2人がイラクの武装勢力に拉致された。この際の報道は前回ほど活発ではなく、ほどなく解放された。

人質となった被害者の一人は「人質である自分たちを助けるために政府は自衛隊を撤退させるべきだった」とし、後に「自衛隊を撤退させなかった事」に対し損害賠償を求める訴訟を起こしたが全面敗訴。また、解放後日本政府が負担した日本への帰国費用について、支払いを拒否している。

2004年10月、日本人1名

概要

バックパッカーとしてニュージーランドからイスラエルを通じイラクに入国した日本人の青年が行方不明となり、10月24日、彼を拉致した犯行グループ「イラクの聖戦アルカーイダ組織」の声明がインターネットに公開された。小泉首相は即座に「テロに屈することはできない。自衛隊は撤退しない」と表明した。入国時に彼を目撃していた地元の人は「ヒッピーのような格好でかなり目立っていた」などとマスコミのインタビューに答えていた。

30日(日本時間31日)、首を切断された遺体が発見され、後日になって殺害の模様が公開され、その後その動画がインターネット上に流布する事態となった。遺族は「息子は自己責任でイラクに入国しました。危険は覚悟の上での行動です」「彼の死を政治的に利用しないで欲しい」と言う声明を発表した。そのため、最初の人質3人のようなバッシングは起こらず、マスコミも比較的淡々と報道した。

イラク日本人青年殺害事件参照。

2005年5月、日本人1名

概要

5月9日、イラクの武装勢力「アンサール・アル・スンナ軍」がイギリス民間軍事会社職員の日本人と銃撃戦の末拘束したとの声明を発表した。5月28日、武装勢力は日本人の死亡をネットに発表した。

日本人を狙った計画的誘拐ではなく、戦闘で負傷し捕虜になったものであったため、テロリストから日本政府への要求は無いに等しく、それへの対応を巡って世論が割れる事も無かった。

その後

このイラク人質事件において、「自己責任論」を強く主張した辛坊治郎氏は、後にヨットでの太平洋横断失敗に伴う救助活動において、大量の税金をかけ救助された為、ネットを中心に前言との矛盾を強く批判される結果となった。

資料

関連文献

  • 今井紀明『ぼくがイラクへ行った理由(わけ)』コモンズ、2004年7月。 - ISBN 490664080X
  • 今井紀明『自己責任 いま明かす「イラク拘束」と「ニッポン」』講談社、2004年8月。 - ISBN 4062125463
  • 郡山総一郎、吉岡逸夫『人質 イラク人質事件の嘘と実』ポプラ社、2004年9月。 - ISBN 4-591-08274-1
  • 佐藤真紀、伊藤和子編『イラク「人質」事件と自己責任論 私たちはこう動いた・こう考える』大月書店、2004年7月。 - ISBN 4272210807
    • コメント・メッセージおよび執筆者: 今井紀明、伊藤和子(弁護士)、鎌仲ひとみ(映画監督)、高遠菜穂子、田中宇ら36名
  • 高遠菜穂子『愛してるって、どう言うの? ―生きる意味を探す旅の途中で―』文芸社、2002年6月。 - ISBN 4835540743
  • 高遠菜穂子『戦争と平和 それでもイラク人を嫌いになれない』講談社、2004年8月。 - ISBN 4062125412
  • 『法学セミナー』日本評論社、2004年9月号「イラク人質事件・日本人対"世間"の法感覚 ――グローバルとローカルのはざまで」 - ISSN 04393295
    • インタビューおよび執筆者:岡田順太、天木直人、加藤健二郎、佐藤直樹、矢野直明
  • 小林よしのり『ゴー外!! 1 翻弄されない視座をもつ 小林よしのりの痛快“こき下ろし”SPECIAL』アスコム、2004年8月

関連項目