「イラク3馬鹿事件」の版間の差分

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また、[[高遠菜穂子]]、[[今井紀明]]、[[郡山総一郎]]を「イラク3馬鹿トリオ」という。
 
また、[[高遠菜穂子]]、[[今井紀明]]、[[郡山総一郎]]を「イラク3馬鹿トリオ」という。
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== 事件大要 ==
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当然、日本政府は無視できないので救出に尽力、結果、救出に多額の税金が投じられることになった。にもかかわらず、無事に帰国しても彼らは日本国民に感謝することなく、反日活動を継続した。
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この邦人人質事件は、事件発生当時から自作自演の「狂言」が強く疑われている。
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人質「誘拐」された邦人は以下の三名で、これを「イラク三馬鹿」という。年齢はいずれも当時。
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* [[郡山総一郎]](32) ‐ フォトジャーナリスト =東京都杉並区高円寺南5ノ37ノ19―101=
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* [[高遠菜穂子]](34) ‐ イラクでのストリートチルドレン支援活動家 =北海道千歳市上長都1058=
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* [[今井紀明]](18) ‐ 「NO!!小型核兵器(DU)サッポロ・プロジェクト」メンバー =札幌市西区宮の沢2条2ノ3ノ24=
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また、同時期に次の反日反米活動家二名も「誘拐」され、上の三名と同時期に開放されている。
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* [[安田純平]](30) ‐ 人間の盾(2015年6月にはシリアにおいてもヌスラ戦線と思われるテロ組織に拘束され、現在も消息を絶っている)
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* [[渡辺修孝]](36) ‐ 「米兵・自衛官人権ホットライン」メンバー
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イラク現地の武装勢力が、イラクに入国した外国籍のボランティア、NGO職員、民間企業社員、占領軍関係者などを誘拐する事件が頻発した。誘拐の要求の多くは、誘拐した外国人を人質に、彼らが本籍を置く政府に対して、自国の軍隊(日本では[[自衛隊]])をイラクから引き上げることを要求するものであった。
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被害者が[[ボランティア]]を目的として入国したとすることについて、その内容の実際が、人質の一人である30代独身女性・高遠菜穂子が個人的に自宅アパートで行っていた10代の男子に限定した物資の提供等であったり、高校を卒業したばかりの海外渡航未経験の未成年者による[[劣化ウラン弾]]の絵本書き(なお、この者は出版未経験者であった)のための取材がメインであったことがわかるにつれ、ボランティアとは何かとの論争を起こすきっかけともなった。
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メディアの内側においては、一部新聞社が被害者宅の正確な住所を報道したり、報道陣が被害者宅に大挙して押し掛けたことについて、被害者宅すぐそばに練習グラウンドがあるJリーグチームが驚いたとの報道を行ったため、被害者宅が特定された。そのため被害者宅へ手紙や電話・FAXが集中したことや、少なからぬキャスターが批判派・擁護派の一方を肩入れするような報道を行ったりしたことが、[[報道被害]]や報道の公正という観点から問題にもなった。
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また各メディアの世論調査の数字の異なり(往々にして、メディア各社の報道姿勢に沿った数字が出された)などから、インターネットにおいては、2002年のサッカーワールドカップの日韓共催から始まったといわれる大手メディアの報道姿勢への非難が再燃した。
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最初の事件の被害者3名のうち2名が北海道在住であったことから、被害者家族に北海道庁が東京事務所での便宜供与を行い、このため同事務所の電話回線が混雑し通常業務が円滑に働かなくなったり、職員(地方公務員)の残業手当等を含め北海道に相当の額の出費が強いられるなどの影響が出た。そのため、地元北海道では一般道民からの厳しい批判がなされ、地方自治体とボランティアの関係についての一石が投じられる形になった(九州出身の被害者については出身県庁が積極的な便宜を図らなかったためこのような論議は起こらなかったが、後に全国的に地方自治体とボランティアという形で議論がされた)。
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なお、この事件に当たっては、[[週刊文春]][[2006年]][[11月2日]]号に掲載された[[作家]]の[[麻生幾]]が執筆した記事によると、[[海上自衛隊]]の[[特殊部隊]]である[[特別警備隊 (海上自衛隊)|特別警備隊]]員をバクダッド駐留米軍に派遣し、米軍部隊との合同で突入・救出する「バビロンの桜」計画が立案されたとされる(結局実行されることはなかった)。

2018年7月18日 (水) 15:53時点における版

イラク三馬鹿トリオ

イラク3馬鹿事件とは、2002年からのイラク戦争に関連して、2004年にイラク武装勢力がイラクに入国していた反日反米活動家の日本人を誘拐・拘束し、自衛隊の撤退などを求めた一連の事件。これは米軍のファルージャ攻撃以後頻発した、数ある外国(非イラク)人拉致事件の一部である。

また、高遠菜穂子今井紀明郡山総一郎を「イラク3馬鹿トリオ」という。


事件大要

当然、日本政府は無視できないので救出に尽力、結果、救出に多額の税金が投じられることになった。にもかかわらず、無事に帰国しても彼らは日本国民に感謝することなく、反日活動を継続した。

この邦人人質事件は、事件発生当時から自作自演の「狂言」が強く疑われている。

人質「誘拐」された邦人は以下の三名で、これを「イラク三馬鹿」という。年齢はいずれも当時。

  • 郡山総一郎(32) ‐ フォトジャーナリスト =東京都杉並区高円寺南5ノ37ノ19―101=
  • 高遠菜穂子(34) ‐ イラクでのストリートチルドレン支援活動家 =北海道千歳市上長都1058=
  • 今井紀明(18) ‐ 「NO!!小型核兵器(DU)サッポロ・プロジェクト」メンバー =札幌市西区宮の沢2条2ノ3ノ24=

また、同時期に次の反日反米活動家二名も「誘拐」され、上の三名と同時期に開放されている。

  • 安田純平(30) ‐ 人間の盾(2015年6月にはシリアにおいてもヌスラ戦線と思われるテロ組織に拘束され、現在も消息を絶っている)
  • 渡辺修孝(36) ‐ 「米兵・自衛官人権ホットライン」メンバー

イラク現地の武装勢力が、イラクに入国した外国籍のボランティア、NGO職員、民間企業社員、占領軍関係者などを誘拐する事件が頻発した。誘拐の要求の多くは、誘拐した外国人を人質に、彼らが本籍を置く政府に対して、自国の軍隊(日本では自衛隊)をイラクから引き上げることを要求するものであった。

被害者がボランティアを目的として入国したとすることについて、その内容の実際が、人質の一人である30代独身女性・高遠菜穂子が個人的に自宅アパートで行っていた10代の男子に限定した物資の提供等であったり、高校を卒業したばかりの海外渡航未経験の未成年者による劣化ウラン弾の絵本書き(なお、この者は出版未経験者であった)のための取材がメインであったことがわかるにつれ、ボランティアとは何かとの論争を起こすきっかけともなった。

メディアの内側においては、一部新聞社が被害者宅の正確な住所を報道したり、報道陣が被害者宅に大挙して押し掛けたことについて、被害者宅すぐそばに練習グラウンドがあるJリーグチームが驚いたとの報道を行ったため、被害者宅が特定された。そのため被害者宅へ手紙や電話・FAXが集中したことや、少なからぬキャスターが批判派・擁護派の一方を肩入れするような報道を行ったりしたことが、報道被害や報道の公正という観点から問題にもなった。

また各メディアの世論調査の数字の異なり(往々にして、メディア各社の報道姿勢に沿った数字が出された)などから、インターネットにおいては、2002年のサッカーワールドカップの日韓共催から始まったといわれる大手メディアの報道姿勢への非難が再燃した。

最初の事件の被害者3名のうち2名が北海道在住であったことから、被害者家族に北海道庁が東京事務所での便宜供与を行い、このため同事務所の電話回線が混雑し通常業務が円滑に働かなくなったり、職員(地方公務員)の残業手当等を含め北海道に相当の額の出費が強いられるなどの影響が出た。そのため、地元北海道では一般道民からの厳しい批判がなされ、地方自治体とボランティアの関係についての一石が投じられる形になった(九州出身の被害者については出身県庁が積極的な便宜を図らなかったためこのような論議は起こらなかったが、後に全国的に地方自治体とボランティアという形で議論がされた)。

なお、この事件に当たっては、週刊文春2006年11月2日号に掲載された作家麻生幾が執筆した記事によると、海上自衛隊特殊部隊である特別警備隊員をバクダッド駐留米軍に派遣し、米軍部隊との合同で突入・救出する「バビロンの桜」計画が立案されたとされる(結局実行されることはなかった)。