「パネルクイズ アタック25」の版間の差分

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2020年1月13日 (月) 21:39時点における版

パネルクイズ
アタック25
250px
番組の収録が行われている
朝日放送本社(大阪・ほたるまち
放送局 日本の旗 日本
ジャンル 視聴者参加型番組
娯楽番組 / クイズ番組
放送期間 1975年4月6日 - 放送中 2100
放送時間 日曜日 13:25 - 13:55 30
制作局 朝日放送テレビ[1]
企画/PD 渡邊拓史(朝日放送テレビ)
秋山利謙(ABCリブラ、CP)
監督/総指揮
演出
原作
脚本
出演者 谷原章介
加藤明子朝日放送テレビアナウンサー
他 解答者4組(視聴者orタレント)
ナレーション
音声 ステレオ放送(2006年4月 - )[2]
字幕 文字多重放送(2003年4月 - )[3]
データ放送
オープニング 作曲山下毅雄
エンディング 同上
公式サイト 朝日放送テレビ|パネルクイズアタック25
特記事項:
ハイビジョン撮影(2005年4月 - )
放送回数は2017年10月1日放送分まで。
2017年現在の正式な放送開始時刻は13:25:30。
テンプレート
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パネルクイズ アタック25』(パネルクイズ アタックにじゅうご、ラテン文字表記:PANEL QUIZ ATTACK 25)は、1975年4月6日から朝日放送テレビ(ABC)[1]が制作し、テレビ朝日系列で放送されている、日本民放唯一の参加者を限定しない(原則として5年以内の出場者は除く)視聴者参加型クイズ番組ハイビジョン制作、ステレオ放送字幕放送を実施している。一般には単に「アタック25」と呼ばれる例が比較的多く、新聞などのテレビ欄にも「クイズアタック25」、あるいは「アタック25」などと表記される場合もある。

概要

2017年10月現在はテレビ朝日系列フルネット24局(同時ネット)での全国ネット放送となっている。

ネットチェンジに伴い、毎日放送(MBS)制作の『東リクイズ・イエス・ノー→5人抜きQ(クイズ)イエス・ノー』の放送枠を引き継ぐ形でスタートした。番組開始当初は13:15からの25分番組で、1975年10月から一般CM番宣を放送する5分枠[4]を埋めて30分番組に。1994年10月2日放送分からは、日曜正午の番組の放送時間を12:55まで延長されたため、『新婚さんいらっしゃい!』と同様に10分繰り下がっての開始となり現在に至っている。

この番組の生みの親である堤章三は、毎日放送『アップダウンクイズ』の生みの親でもあり、構成を長く務めていた。放送開始から18年間にわたって構成を務め、監修へ移行した後に2008年末に番組を降板した。1993年からは、上方演芸放送作家高見孔二が構成を担当。

音楽は、同局の『霊感ヤマカン第六感』やテレビ朝日『クイズタイムショック』などを担当した山下毅雄によるもの。この番組のテーマソングと海外旅行チャレンジVTRクイズ出題中に流れる曲(『フライト・トゥ・パリ』)は発売されたCDに収録されている。また、テーマソングの「アタック!!」の声と「口笛」の音は、山下本人のもの。なお、シンキングタイムの音楽、トップ賞のファンファーレ(ごく一部のみ)以外は開始当初から全く変わっていなかったが、2015年4月5日からメロディーをそのまま生かしながらシンセサイザー風にアレンジされ、ステレオ収録されたものになった(「アタック!!」の叫びは番組開始当初から使われている山下のものを引き続き使用。曲最後の叫びのタイミングが、アレンジ前より半拍早くなっている)。

時期ごとに番組構成を変えながら続けているにもかかわらず、その時期のテレビ番組の主流に反した傾向が強い。ただし、答えやアタックチャンスのルール説明のテロップ(代わりに字幕放送でその喋った内容を確認できる)、アタックチャンス・旅行クイズのCM挿入タイミングなど、若干ではあるが、その時期ごとのテレビの主流演出が取り入れられている部分もある。

この番組の最高視聴率は関西地区で24.2%(1979年1月14日放送分。ビデオリサーチ調べ、関西地区・世帯・リアルタイム)、関東地区で21.5%(1980年1月27日放送分。ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)を記録している[5]

基本的なルール(後述)は放送開始時から以下を除き、ほとんど変わっていない。

  • 「オープニングクイズ」での誤答が、1994年頃よりペナルティなしになった。
  • 不正解での「お立ち」を1995年10月1日放送分より、3問から2問に緩和。
  • 放送開始から半年後にアタックチャンスが開設。当初は1問限りだったが、後に正解が出るまで続ける方式に変更。
  • 賞金が増額。現在は1枚1万円。
  • 海外旅行チャレンジVTRクイズ(旧フィルムクイズ)正解者の旅行先変更。

歴史

ファイル:ABC Oyodo HQ 20070923-001.jpg
番組開始当初より2008年4月まで、収録が行われていたABCセンター

この番組が誕生する1年前の1974年4月7日 - 1975年3月30日、同じ児玉が司会をした視聴者参加クイズ番組『東リクイズ・イエス・ノー』→『5人抜きQ(クイズ)・イエス・ノー』が東洋リノリユーム(現・東リ)の一社提供の下、毎日放送(MBS)制作でNET系列にて放送されたが、視聴率低迷や1975年3月31日に実施される朝日放送と毎日放送のネットチェンジを理由に終了した。ただ、東リ側が児玉司会による自社提供の番組を朝日放送でも継続して制作・放送することを熱望したため、1975年4月にこの番組が誕生。その児玉は当初『 - イエス・ノー』の失敗などから司会続投に難色を示したが、東リ側の要請もあって結局了承。よってNET(現・テレビ朝日)など一部系列局では、制作局が異なるものの児玉司会・東リ提供の番組が継続して放送されることになった。なお、児玉は2011年2月19日の『日刊スポーツ』大阪版のインタビューで『アタック25』への思いを語った際に、当時の経緯を語っている[6]

NET系列単独加盟局所在地域でも、広島県では広島ホームテレビ(HOME・当時UHT)が開局した後も、『 - イエス・ノー』までは諸事情により、TBS系列の中国放送(RCC)へ時差ネットされていたが[7]、1975年10月のテレビ新広島(TSS・フジテレビ系列)開局に備えた編成の整理により、本番組から系列通りUHTがネットとなった。

TBS系列局時代の朝日放送は、『ベルトクイズQ&Q』の水曜日の製作を1969年の番組開始当初だけ担当[8]したときの他、自社製作の視聴者参加クイズ番組は1968年放送の『ラッキークイズ さあどっち?』(司会 - 林家三平久里千春)と、1970年 - 1971年放送の『3・3が9イズ』(司会の声 - 若山弦蔵)の2本しかなく、『ベルトクイズQ&Q』『夢の世界旅行 クイズジャンボ』等、TBS製作の番組ばかりだった。

放送開始にあたっては、とある朝日放送のスタッフが、子供にオセロゲームを買ったことを思い出し、「このオセロゲームを使ったテレビ番組はどうだろう」と言ったのがこの企画が生まれる発端だった。次に放送時間内にクイズを答えてすべての面が埋まり、面を最も多く獲得した解答者が海外旅行を賭けたクイズに挑戦すると仮定した場合、面の数は何枚が良いのかを試行錯誤の末に出した結論が25枚だった。また、企画段階では最終的に獲得した面の数とは別に、クイズの正解数に応じて賞金を出すという案もあったが、あくまで「面の数」にこだわり、これがこの番組の最大のウリとしてプロデューサーが一蹴。さらに、使用する面には赤・緑・白・青という「色」を使うが、当時はまだ一般家庭の一部に白黒テレビが残っていたことを理由に、この企画には社内やスポンサーから難色を示す声も上がったという。しかし、プロデューサーは「将来テレビはすべてカラーになる」と説得して回って実現させた。

初代プロデューサーは当時、朝日放送第二制作部長だった三上泰生。番組送信などの技術畑出身で、『ワイドショー・プラスα』や『ワイドサタデー』『新婚さんいらっしゃい!』などの番組プロデューサーを務める傍ら、『残響2秒 ザ・シンフォニーホールの誕生』と『6chは上方文化や』(いずれも大阪書籍)という著書を残す。自らの著書『6chは上方文化や』の中で「人生、非情なものだ。この非情さをクイズで表現したかった」と記している。

1992年9月までは朝日放送制作枠の15秒番組宣伝枠が朝日放送制作全国ネット番組の中で唯一なかったが、翌10月から放送開始(基本的に日曜20時台の番組の番宣)。同時に番組ロゴをそれまで台形をモチーフにした初代から2代目ロゴに一新した。その後、一部マイナーチェンジはあったが、2015年4月5日放送分からは3代目のロゴに一新されている。

1997年4月の時点で毎日放送『アップダウンクイズ』(1963年10月6日 - 1985年10月6日)、NHK総合テレビ連想ゲーム』(1969年4月5日 - 1991年3月20日)の22年を抜き、全国ネットクイズ番組の長寿新記録を達成した。また、それまでの地方ローカル番組を含めた最長寿記録はCBC天才クイズ』の37年2か月(1967年7月26日 - 2004年9月25日)だったが、当番組は2012年6月以降も継続したことで、クイズ番組最長寿の完全新記録達成となった。現在は民放テレビ番組として、全国ネットのレギュラー番組で唯一の視聴者参加クイズ番組(賞金が支払われる視聴者参加クイズとしても唯一)である。 

1996年7月から1999年3月まではオープニングのテーマソングがサラウンドで放送された。2003年4月6日から字幕放送を開始。2005年4月3日からハイビジョン化され、2006年4月9日よりモノラル制作(モノステレオ放送)からステレオ制作(フルステレオ放送)に変わった。2010年6月6日よりアナログ放送ではレターボックス放送となった(その日の「アタックチャンス」でレターボックス放送に移行したことを意識した問題が出題された)

なお、過去のVTR映像は当番組や朝日放送・テレビ朝日系列の回顧特番で見る限り、1984年5月20日(第465回)放送分以降しか確認されていない(この回の優勝者が番組史上3人目のパーフェクト達成者となり後述する特別企画・1000回記念大会に出場した際、紹介の時点で当時のVTRが流れた)。これは当時のマスターテープだった2インチVTRが非常に高価で保存が安易にできず、上書きして使い回されていたことが主流だったことから、第1回をはじめとする番組初期の映像は残っていない可能性があるためである(後述の追悼特番で取り上げた第1回と1975年の芸能人大会が、白黒のスチール写真しか紹介されていなかったため)。[9]

2016年10月22日公開の映画『バースデーカード』で、初めて映画作品に本番組が登場。主人公が本番組に青の席の回答者として出演し、主人公の父と恋人が観覧席で見守る場面が登場し、本番組の司会者である谷原も本人役で登場した[10]

出演者

太字は朝日放送→朝日放送テレビアナウンサー(元職を含む)。

『パネルクイズ アタック25』歴代の出演者一覧
期間 司会 出題 アシスタント
1975年4月6日 - 1976年3月28日 児玉清 あかはゆき 浅井環
1976年4月4日 - 1980年3月30日 中村京子
1980年4月6日 - 1981年3月29日 相沢純子 森昌美
1981年4月5日 - 1984年7月29日 平井悦子
1984年8月5日 - 1985年3月31日 豊島美雪
1985年4月7日 - 1985年5月19日 伊藤美加
1985年5月26日 - 1993年9月26日 (不在)
1993年10月3日 - 1999年3月28日 相馬宏美
1999年4月4日 - 2009年3月29日 沢木美佳子
2009年4月5日 - 2011年4月10日 加藤明子
2011年4月17日 - 2013年3月31日 浦川泰幸
2013年4月7日 - 2015年3月29日 角野友紀
2015年4月5日 - 現在 谷原章介 加藤明子
  • 番組開始当初、初代司会者の児玉は出題者(アシスタント)とともに席に座り、オープニングと海外旅行クイズの時だけ立って(ハンドマイクを持って)番組を進行したが、1992年10月4日放送分から全編立って進行するようになった(座っている時はデスクマイク、立っている時はハンドマイクだったが、これらに替わりピンマイクを着装するようになる)。

備考

  • 初代司会者の児玉は、1975年4月6日(第1回)放送分から2011年4月10日(第1795回)放送分までの36年間(ネットチェンジ前の『東リクイズ・イエス・ノー』(毎日放送制作)の時代から換算すると37年間)・1793回に亘って司会を担当した。これは日本のテレビにおけるクイズ番組史上最長の司会記録である。先行で放送される『新婚さんいらっしゃい!』司会を桂文枝(開始当時は桂三枝)が第1回の放送から現在まで司会を担当しており、2014年12月現在で実に44年に亘って司会を続けている(2017年で47年目)。これは日本のテレビにおけるバラエティ番組史上の最長の司会記録である等、当番組との共通点が多い。
    • なお、児玉は1984年10月14日・10月28日放送分では腹膜炎による病気入院で欠席し、タレント板東英二が代役司会を務めた。児玉は「とても上手くやってくださった」と評し、番組を作った構成の先生に「君より上手かった」と言われるほどだったという[11]。2012年12月23日放送のチャンピオン大会 ファイナルステージで、オープニングクイズに板東が出演し、代役司会当時の映像が流れた。
    • 2011年4月17日(第1796回)放送分以降、児玉が肝機能障害(当初児玉の死因である胃癌は公表されず)により当分の間検査入院・治療に専念することを表明。児玉休養中は、当時『おはよう朝日です』で司会を務め、同番組司会就任前の2009年度に『朝だ!生です旅サラダ』で全国ネット番組のレギュラーを経験した朝日放送アナウンサーの浦川が代役司会を担当することになった。また、児玉はこの入院によって当番組や『テレフォン人生相談』(ニッポン放送)を含めた番組、講演会への出演も全て見合わせたが[12]、同年5月16日、胃癌のため復帰叶わず77歳で逝去。翌17日より、ABC公式サイトに哀悼のコメントが掲載された(2012年の番組リニューアル(後述)による公式サイトリニューアルまで)。これにより、浦川が5月29日(第1802回)放送分より代役司会から正式に2代目司会者を担当することが決まり、「児玉さんに対し、恥ずかしくない司会をやっていきたい」と決意を新たにした[13]。児玉からは浦川に対して「浦川君なりのアタック25を遣って貰って良いよ」と激励とアドバイスが贈られたという。
    • 2011年5月29日放送分の冒頭では、浦川がパネルボードをバックに改めて児玉逝去の旨を伝え、5月22日に放送予定だった本編は児玉逝去4日前に収録されたため、オープニングの浦川の挨拶では児玉が無期限休養中である旨のコメント部分を割愛した。
  • なお、本放送終了後に問題内容が更新される本番組の携帯サイト(クイズ解答とパネル取りができる携帯ゲーム)は2012年3月29日まで浦川の顔写真を使用せず、児玉の顔写真を使用していた。同年3月30日以降は浦川と加藤の顔写真に変更。
  • 1993年1月17日・1月24日(第899・900回)放送分では出題者の豊島が急病のため、下村委津子が代役を務めた。
  • 番組開始当初から10年ほどはパネル操作アシスタントもいて、児玉・出題者・アシスタントの3人で番組を進行していた時期もあった。
  • 浦川が司会の期間、司会と出題者は朝日放送のアナウンサーのみとなった。
  • 2012年4月1日(第1842回)放送分より、浦川が司会になって初の大幅なリニューアルとなった。番組セットが180インチの大型液晶パネルを備えた近未来的なものとなり、さらに問題もビジュアルものを増やすなどで大幅なリニューアルが施されている[14][15][16]
  • 2015年3月29日(第1984回)放送分をもって、2代目司会者浦川、8代目出題者の角野ともに当番組を卒業。同年4月5日(第1985回)から、放送開始40周年に伴うリニューアルの一環として、『おはよう朝日です』から夕方ニュース番組『キャスト』への異動により当番組出演継続が困難となった浦川に替わり児玉と親交が深かった俳優の谷原章介が3代目司会者に就任。併せて朝日放送を寿退社する角野に替わり7代目出題者の加藤が産前産後休暇を終え9代目出題者として復帰[17][18]。なお、基本的なルールはそのままに、タイトルロゴ・セット・BGMなどをリニューアル[19][20]、早押しとパネル獲得のSEの余韻が短縮された。

クイズの種類

番組内で出題される問題はほとんどが読み上げ形式で、答えは解答後・シンキングタイム終了後にテロップで出される(1994年3月6日から)。問題読み上げの途中で押された際、正解・不正解に関係無く司会者が問題を最後まで読み上げて解説するが、しない場合はテロップで問題の答え(ごく稀に問題文も[21])が出される。以下の形式を含めて出題される問題の中にはテレビ朝日系列で放送される番組に関連したものも含まれる(朝日放送テレビ制作・テレビ朝日制作を問わず。一部は番組宣伝を兼ねる場合もある)。

読み上げ問題以外では以下の形式が用意されている。

現在

オープニングクイズ

当初は第1問から出題者による通常の読み上げ問題から始まっていたが(スタジオ応援者の状況の後、児玉が「さあ、今週のアタック25はこの問題からスタート!」と言って通常問題が始まっていた)、パネルの書体が変更された1984年10月からオープニングクイズを導入した。最初は「フラッシュオンクイズ」として、黄色のパネルがランダムでフラッシュされるモニターに隠れている写真の人物を当てる(当初児玉が「フラッシュオンクイズ、この方のお顔でフラッシュオン!」と言い問題に入った)。1994年4月に分割された写真が繋ぎ合わさる形式へと変更された(名称は「フラッシュオンクイズ」のままであった)。

1996年10月から系列各局からのご当地映像クイズに、その後1997年5月からは街頭インタビューとプロフィールのヒントからある人物を当てる志向になった。演出もCGを使った形式になっている。2005年10月からは人物当てから物当てに、2008年10月からは物当てクイズから人物当てクイズが3年ぶりに復活となり、人物の写真を泡状のCGで隠されているものを見て人物を当てる物に変わった。

2012年4月1日放送分からはタレントによるゲストクイズに変わり、VTR出演による本人に関する問題を3個か5個のヒントで放送告知と共に出す。回答者が正解した時点でまだゲストが言っていないヒントを含む残りのVTRはお蔵入りになる。全部ヒントを言った場合は、ゲストが終了を知らせて時間切れとなり次の問題で13番を埋める色を決める。なお、リニューアル後最初(2012年4月1日放送分)のゲストクイズは平原綾香が出題している。出題したゲストは、VTRの最後に司会者に先立って、「それでは解答者の皆さん、この後も頑張って下さい!」と言いながら「アタックチャンス」のポーズをとるのが恒例となっている。谷原に代わってからはVTRのゲストに「○○さん、ありがとうございました。」と挨拶をする。

黄色のパネルがランダムフラッシュする形式では他のクイズ同様間違えるとお立ちとなったが、CM後に間違えた解答者がお立ちのまま自己紹介するという異質なケースが少なからずあったため、分割された写真が繋ぎ合わさる形式となった時からお手付きでもペナルティ無し(出題前に司会者が「ペナルティはありません、どうぞ」と言い問題に入る。変更当初児玉はお手付き後に「リセット!」とコールしていた)に変更された。なお、お立ちがあった際に正解が出たら、お立ちの数は1問分減らされた。

また、優勝者のVTRクイズ正解時の旅行先が変更されると、司会者と出題の女性がその地に赴き、旅行先にまつわる問題が4週にわたり出題されていた。ただし、2011年5月15日(第1800回)放送分からエーゲ海クルーズの旅行内容の一部が変更された時には、児玉が入院中だった影響から、出題者の加藤のみが赴いていた。さらに、2012年4月1日放送分での「地中海クルーズペア10日間の旅」への変更の際には、旅行先にまつわる問題が出題されずそれ以降行われなくなっている[22]

映像クイズ

2017年現在のもの。映像クイズの呼称は「ビジュアルクイズ」になっており(2004年4月以降)。2015年4月からは以下の問題が週替わりで出題される(映画問題のみ毎週出題される)。通常の読み上げ問題においても、映像を用いる場合がある。

  • アナグラム問題
    著名人(架空の人物を含む)の名前を並び替えて作った文章を見て、元の名前を当てる。時間がたつにつれて元の名前に戻っていく。2012年4月からは著名人の名前以外のものも出題されている(オープニングで旅行先のクイズが出題される時は行われない)。
  • 熟語問題
    2枚の16分割されバラバラになったパズルの文字が、何という二字熟語になるかを当てる問題。浦川時代は9分割と難易度がやや低かった。
  • 順番問題
    スロットの5つの窓の内、4つの窓にヒントが書かれており1つ抜けている正解を導き出す問題。すべての窓が開いてもしばらく回答がなければヒントが画面に出てくる。例えばアテネ北京ロンドン⇒?⇒東京と出た問題でこの問題は過去の夏季オリンピック歴代開催地と解る為、?にはリオデジャネイロが入る。5つの窓の何処に?が入るかは解答者には明かされない。2015年4月以降はスロットの演出が廃止され、最初から4つのヒントが表示されるようになる。
  • ランキング問題
    上位5位までのランキングとヒントを見て、抜けている順位の国・都道府県・都市名や品物名などを当てる(1度だけ都道府県別ランキングで第47位を当てる問題が出題された)。順番問題が登場した2014年3月からリニューアル前の2015年3月までは出題されなかった。
  • 映画問題
    映画の一部を見て、それに関連する問題に答える。2012年4月から2013年3月までは第5問、2013年4月からはパネルが15枚埋まった時点で出題される。
  • 映像での3択問題[23]
  • 隠し絵問題
    海の下に隠された絵や写真が何かを当てる。船の軌跡によって、次第に下の絵や写真が見えてくる。のちに雲の奥に隠された絵や写真は何か、作者は誰か、もしくは写真に写っている人を当てる形式に変更。この場合は青い鳥が飛んだ跡により、次第に見えてくる。

音楽問題

当初は特定のテーマに沿った曲名や歌手名を当てる問題が中心だったが、後に3曲流し、タイトルに共通して入っている言葉を当てる、歌手名または曲名の頭文字を繋いで3文字の言葉を当てる、歌っている歌手の人数をすべて足した人数を当てるなど、多様な形式が登場した。

なお、問題数も当初は3問あったが、しだいに2問→1問と減り、2004年4月以降映像クイズ直後に出されていた問題は、2010年6月以降、映像クイズ後の読み上げ問題を数問こなした後、楽曲を聴いて、アーティスト名や曲名、楽曲にまつわるものを答える形式に変更された(そのアーティストや楽曲に関連したCD作品などの発売に合わせたり、放送時期・季節に合わせて出題される場合が多かった)。

また、児玉司会時代に画当て正解者の海外旅行先が変わる際、それぞれの旅行地に関するクイズが出題された放送回には出題されなかった。2012年4月1日放送分から2013年3月31日放送分まではパネルが15枚埋まった段階で出題される形式に変わったが、収録状況によっては出題されない日もある(4人で音楽問題を迎えた場合、たとえ収録・出題されても答えが出なかった場合、放送時間の都合で実際の放送に入らないケースがある)。

過去

パーソナルクイズ

1992年9月ごろまで、解答者に関する問題が出題されたが、失格中でなければ誰でも解答できた。失格者は立ったままでインタビューに答えることになっていた。

オープニングクイズから3問出題後に行われる形式で、赤から順に4人の解答者に関するエピソードの関連問題を1問ずつ計4問出題。司会者とのやりとりは直接の対話とエピソードの一節を紹介するケースの2通り。なお年間チャンピオン大会では解答者がそれぞれトップ賞をとった回のフィルムクイズの答えの関連エピソードから出題した。クイズは全員に解答権があった。

初期には、各解答者の生年月日の朝日新聞に載ったニュースから出題するクイズだった。

7ヒントクイズ

『アップダウンクイズ』の「目で見るクイズ」に似た内容のクイズで、BGMに合わせて7枚の写真パネルが見せられ、それに共通するものは何かを答えるクイズである。なお、誤答があった場合、この問題に限って司会の児玉が「続けます。続きどうぞ。」と言って問題を続行させ、正解者が出るか時間切れになるまで流し続けていた。また、このクイズが出る前でお立ちの解答者がいる際に誤答が出たら、その時点でお立ちの数が1問分減らされた。

ルール

  • 4人の参加者が、赤 ()・緑 ()・白 ()・青 ()の4色に分かれて戦う。
  • 早押し問題が出題される。解答者がボタン(「ボーン」という音で、赤→緑→白→青の順に音が高くなる)を押したところで各問題全体での読上げが止まり、司会が解答者を指す。通常は「赤!」という風に、色の名前を呼ぶ[24]が、チャンピオン大会の予選では、「○○さん」と名前で、さらに同じ名字が複数いる場合には、「○○県の○○さん」などと言って指す[25]。解答者が解答したのちに、司会者が問題文の残りを読み上げて、正解を確認する。
  • 正解者が出ると、下の図のようなボード上の1から25までの数字が書かれたパネルのうち1枚を獲得できる。その後、色が下に記したルールに従って変わっていく。勿論、入れるパネルの番号は正解した解答者がコールする。最終的に、自分の色のパネルの枚数を競う。解答者のスコアはパネルの獲得枚数で決めるため、「○点」とは言わず、「○枚」と言う。番組本編内でのパネル獲得のルール説明は番組初期の数回以降途切れていたが、2009年5月3日(第1702回)放送分でオープニングの提供クレジット読み上げ後にアシスタントのナレーションによるルール説明が復活し、その後も不定期に行われている。その後、2012年4月のスタジオセットリニューアル後はルール説明を行なう際、1問目のオープニングクイズ終了後に不定期に行っていたが、2015年4月以降は再び行われなくなった。クイズの正解数は勝敗に関係せず、パネルの取り方に戦略性が求められる。
    ファイル:Attack25-panel1-1.png
  • 最初の正解者(現在の1問目は有名人からの出題クイズ[26])は、13番のパネルを獲得する。その際は司会者(主に児玉・浦川)が「13番に○(色)がともって今週は○(色)でスタートいたします」と言う(谷原に変わってからは「今週のアタック25は13番に○(色)がともりました」と言っている)。そのため、解答者が13番をコールすることはめったにない。1985年4月頃は、1番から25番までがアトランダムに光るパネルを解答ボタンで押して止めて最初のパネルの場所を決めていた時期もあったが、あまりにも不評のためわずか数回で取りやめとなり、13番からスタートする形式に戻された。その際流れるBGMが、その後のフラッシュオンクイズで流された。
    ファイル:Attack25-panel1-2.png
  • 2問目以降の正解者は、下記の優先順位に従ってパネルを1つ指定し、そこを自分の色にする。そこから、司会者は「さあ、○(色)の○○さん、何番!?」と聞く。
    • 自分の色のパネルで他の参加者の色のパネルを縦・横・斜めのいずれかの方向に挟める場合、そのようなパネルの中から指定する。挟まれた部分に複数の参加者の色が混在してもよい。挟まれたパネルは、オセロゲームの要領で、全て解答者の色に変わる。
      ファイル:Attack25-panel2-1.png ファイル:Attack25-panel2-2.png
      (白が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルの中から指定できる。10番のパネルを指定すると、14番の青が白に変わる)
    • 自分の色で挟めない場合、次の問題に正解したときに挟めるようになるパネルを指定する。
      ファイル:Attack25-panel3-1.png ファイル:Attack25-panel3-2.png
      (緑が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルの中から指定できる。例えば、5番を指定すると、次に正解して3番を指定すれば、4番を挟むことができる)
    • それでも指定できない場合、参加者の色がついているパネルに縦・横・斜めいずれかで接しているパネルの中から指定する。
      ファイル:Attack25-panel4-1.png ファイル:Attack25-panel4-2.png
      (赤が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルが指定できる)
    • 谷原に代わってからは、数問たっても解答できないと、谷原から「○(色)は押してはいるが、声が全く聞こえてこない!!」または「○(色)はなかなか押せてない!」と喝を入れられる場面も見受けられる。

戦略

  • 良く知られている戦術に、1問目の正解者が2枚目のパネルをあえて他の解答者に取らせることで、その解答者が更に次の問題に正解しても辺(3, 11, 15, 23番)を狙えなくさせるというものがある。実際、シミュレーションによる解析を行った研究[27]では、1問目に正解して中央を取った解答者は2枚目のパネルは他の解答者に取らせた方がよいという結果が出ており、また、このように、正解すると不利になる参加者のいる局面が全体の3.8%あるという結果が出ている。ただし、この研究ではルールを一部簡略化している。
  • 最初の問題から3問連続で正解した解答者は、大抵は13→8→3、または13→12→11等の様に縦か横かに指定して、挟まれにくい端を狙う場合が殆どである。しかし中には、13→7→1の様に敢えて斜めに指定して、挟まれる恐れのない角を最初から狙う戦術を取る解答者もたまに現れる。それでも、最初の問題から3問連続正解という解答者は滅多におらず、大体は3問目で他の解答者に阻止されて角のパネルを獲得されることが多いので、その戦略はリスクが大きい[28]

アタックチャンス

  • 番組の放送枠が30分となった1975年10月5日(第27回)放送分より新設された特別問題であり[29]、その後にコーナーが定着し、当初は1回限り、スルーまたは不正解だった時にはアタックチャンスは無しという対応をしていた。その後、正解者が出るまで続ける方式(すなわち、スルーまたは不正解が何度出ようと正解するまでアタックチャンスは終わらない)に改められ、現在に至っている。
  • またアタックチャンス直前、出題中の場面には、パネルボードが表示される。1995年9月までは、スタジオのパネルを画面上部に表示し、同年10月からCG表示に切り替わった。2012年4月からはパネルがモニターでの表示により、アタックチャンス直前以外にも常に表示されている。
  • 残りのパネルが5枚になったところで鐘(チャイム)が鳴り『アタックチャンス』問題となる。その際に残り6枚で司会者は「あと1問でアタックチャンスになる可能性があります」と予告する。谷原時代では、鐘が鳴った後、パネルの状況を見るべく、一人一人の解答者にアドバイスを送る。
  • この問題で正解した解答者は通常のパネル獲得の後、大量得点の可能性や今後の展開に有利なパネル(「アタックチャンスの狙い目」と呼ばれる)を1枚だけ指定(元の色で点滅したあとに「」のパネルに変わる。開始当初は黄色にはならず、点滅後そのパネルが消灯するだけだった。長らく「アタックチャンスの狙い目」表示は黄色だったが、2016年1月17日放送分より狙われたパネルの内側に黄色の枠が点滅した後パネルが消灯し、枠のみが表示される方式に変わった)することが出来る。なお、司会者の「アタック・チャンス!」というコールも、当然チャンス中は正解が出るまでコールされる。
  • アタックチャンスの問題では司会者は通常パネル獲得時に「さあ、○(色)の○○さん、まずは何番?」と聞き、アタックチャンス指定時に「そして、アタックチャンスの狙い目は?」と聞く。
    • 黄色になったパネルは、誰も獲得していないパネルと同じ扱いになる。ただ、他人が取ったパネルは勿論、自分が獲得したパネルでも指定できるが、消すと逆に不利になったり、他の解答者にチャンスが出てきてしまうような場合でも、どれか1枚を指定しなければならない。
    • パーフェクト状態の解答者が権利を得た場合でも自分のパネルを1枚指定しなくてはならない。最近では2012年11月11日放送分でこの例が発生している。ただし、過去にアタックチャンスの狙い目指定の放棄を認めた例がある。その解答者はその後パーフェクトを達成した(何人目のパーフェクト達成者かは不明)。
    • だいたいの回は角のパネルが指定されるが、配置によっては端のパネルまたは中央付近のパネル(7・8・9・12・14・17・18・19番)が狙い目に指定されることもたまにある。さらに普段は13番に狙い目を指定することはめったにないが、これまで3回指定された。(1987年7月5日(指定したのは当時立命館大学の学生であった長戸勇人)、1994年2月27日、2013年10月6日放送分。なお、いずれも1問目は13番からスタートしている)
      ファイル:Attack25-panel5-1.png ファイル:Attack25-panel5-2.png
      (22番に青が入って、アタックチャンスの狙い目として25番を指定)
    • アタックチャンスの時点でトップ独走状態にある解答者が正解した場合は、大量のパネルを追加獲得する必要性が小さい。このため、他の解答者にとって以後の展開が有利にならないパネルをアタックチャンスの狙い目に指定して、守りに入ることがある。なお、状態によっては取られた解答者がすぐに取り返せることもある。
  • 司会者が「アタックチャンス後の問題が大事(大切)です」と度々述べるように、解答者全員は、その後の問題に正解し狙い目となったパネルを獲得することがさらに重要である。前述のように、パネルが空くことで他の解答者にもチャンスが生まれるからである。
  • 1996年6月23日までは、アタックチャンス問題の合図となる鐘(チャイム)を鳴らしパネルの状況を説明した後、児玉が「その前にこちらをご覧下さい、どうぞ」と言ってCMに入り、その後「アタックチャンス」のタイトル文字とアタック音が流れる趣向だったが、1995年10月1日からは、特別企画ではタイトルを出さなくなる。1996年6月30日〜2012年3月25日、2015年4月以降は、CMに入る前に司会者が「アタックチャンス!!」とコールしてから、一旦CMを入れて、再開後再び「アタックチャンス!!」のところから再生した[30]
  • アタックチャンスのコールやポーズは司会者によって微妙に変化している。児玉は座って進行していた頃は単に『アタックチャンス』といいながら拳を下に下ろすスタイルだったが、立って進行するようになった1990年代中頃より「大事な大事な(勝負の)アタックチャ〜ンス」と言いながら、右手の握りこぶしを微妙に前後させる。この頃から力強くコールすることが多かった。特に後者のポーズは番組恒例にもなり、児玉の物まねをするときには欠かせなかった。浦川は「(○○代、○○大会)勝負のアタック・チャンス!」と言いながら右手の握りこぶしを頭上の位置まで上げて握る。谷原は「(○○代、○○大会)勝負をかけたアタック!!チャンス!!」と言いながら、握りこぶしを振りかざす。当初は児玉・浦川と同じく右手だったが、2015年8月以降は左手でポーズをしており、2016年5月以降は握りこぶしを振りかざす前に手を力強く叩く動作が加わった。
  • 1996年6月以前のアタックチャンスのアタック音は、優勝者に対するVTRクイズに不正解だった時の音の出だしの部分を加工して使用していた。また、アタックチャンスの旧来式の台形ロゴは、タイトルロゴが2代目に変更された後も2000年7月9日まで使用されていた。
  • コーナー開始から2009年3月までは出題中の場面のみ通常問題と区別されていなかったが、4月から出題中の右下に「アタックチャンス」と表示されるようになった。2012年4月から右上に表示されている。
  • アタックチャンスのパネル選択時は、放送開始当初から1995年9月までと2009年4月以降、実際のパネル画面を映して行われている(それ以外の時期はCG画面を使って行われていた)。

シンキングタイムとお手付き

  • シンキングタイムはおよそ7.5秒間でその間シンキングタイム用のBGMが流れる(流れ終わったあとはブザーは基本的に鳴らない[31])。流れ終わっても(時間切れ寸前であっても)、解答ボタンが押された場合は解答することができる。ただし、画面を見て答える問題と音楽の問題では出題自体がシンキングタイムであるためBGMが流れない(司会者自らが押すブザーが鳴った時点で出題は終了)。
  • お手付き・誤答は司会者が押すブザーが鳴り、不正解のBGMが流れ、解答者はその場で起立して、続く2問の解答権が失われる。司会者は「2問の間御辛抱」や「あと1問御辛抱」と言う。ブザーが鳴ると時間切れとみなして解答権を失うが、正解が出たら正解となる。これは他の解答者も押されていることを考慮して即答をしなければならないため。ただし、第1問目のオープニングクイズにはペナルティがないので、同じ解答者が何回も続けて間違えることもある。2011年1月9日放送の女性アナウンサー大会でも中盤に5問設定された特別問題(並べ替えや複数答える問題)で第1問目のオープニングクイズと同様、不正解でもペナルティ無しで何度でも解答できるルールで行なわれた。なお、言い直しが認められているため、誤答が出た後でも正解が出れば正解となる。
    • ブザーが鳴ると解答席の横にあるランプが2つ点灯し、解答権が失われる2問は起立していなければならない。起立することから、司会者は解答権が失われる状態を「お立ち」と呼んでいる。2問以上連続して誤答が出ると、次の問題の解答権は2人にしか与えられない。
    • ブザーの後は不正解の(立たなければならない)BGMを流す。ただし、音楽の問題や画面を見て当てる問題ではすぐ正解確認に入るため流れないが、もちろん「お立ち」となる。なお、正解の場合のチャイムやBGMは無く、司会者が「正解!」「その通り!」(かつて初代司会者の児玉は当初は「その通り!」だったが、2007年6月以降「正解!」と言う場合が圧倒的に多く、「その通り!」は少なくなった(たまに「結構!」「お見事!」と言った場合もあった)。2代目の浦川は当初、「正解です」「その通り(正解)です」と言っていたが、次第に初代の児玉と同じように「その通り、○○!」という場合が多かった。3代目の谷原は、当初は「その通り!」を連発していたが、最近は「お見事!」「そうです!」と言う場合が多い)などと言うことでそれに替えている。
    • 「お立ち」となっても他の解答者への出題は続くため、当然ランプは1つずつ消える。なお、スルーや他の解答者の不正解もあり得るため、司会者が「1問得されました(助かりました)」などと言うこともあれば、パネルが1枚も埋まることなく解答権が復活することもある。また、司会者は2問の「お立ち」が終わった解答者が出る状態を「お戻り」と呼んでいる。
    • 1995年9月24日(第1033回)放送分まで、「お立ち」は3問だったが、解答者が4人なので、3問連続で不正解者が出ると、解答権が1人だけ(早押しの意味が失われる)という状況もあった。そのため、収録時間や問題を全部使い切り、ウェストミンスターの鐘が鳴って強制終了したこともある。1995年10月1日放送分から「お立ち」を3問から2問に減らしたのは、このような不都合を解消するためである。
    • 車椅子の人、妊娠している人などは体調の負担を考慮して座ったままとなる特例もあるが、座ったまま休むことができても2問の解答権は失われる。2006年9月3日に放送された芸能人大会において出産直前だったジャガー横田がその例外の1人になった。ペアでの大会だったため、不正解の際はペアを組んでいた夫の木下博勝のみ「お立ち」とした。
    • 「東リ・パネルクイズアタック25(旧)」時代は、パネルの両脇に当時の東洋リノリュームのロゴマークが縦に10個つながっているタイマーがあり、それが一定時間ごとに下から一つずつ点灯、10個すべて点灯すると時間切れというルールだった。なお視聴者は中CM直前のみこのシーンを見ることができた。
    • 他の解答権のある人の誰にもその問題の正解ができなかった場合、「お立ち」中の本来解答権のない人に解答権が与えられ、ここで正解した場合は「お戻り」となる救済措置がある。尚、「お立ち」の人が複数の場合の救済順序は先にお手付きをした「お立ち」の人からで、“先入れ先出し”の順序である。

ラストコール・優勝者(トップ賞)の決定・ウェストミンスターの鐘・賞金

  • 全てのパネルが埋まった時点でゲーム終了となり、最後のパネルを入れることを「ラストコール」と言う(児玉・浦川時代は「○(色)の○○さん、ラストコール‼︎」だったが、谷原時代は「それでは、○(色)の○○さん、ラストコールお願いします」となっている)。なお収録時間の都合で時間切れとなった場合はウェストミンスターの鐘(字幕放送では単に「(鐘の音)」で表記) が鳴り、パネルが埋まっていなくても終了となる。初めて時間切れとなったのは、1983年10月16日の放送である[32]
  • 出場者は参加賞と獲得パネルの枚数に応じた賞金(1枚につき1万円)を獲得し、獲得パネルの最も多い人が優勝(すなわちトップ賞)。海外旅行を賭けたVTRクイズに挑戦する。
  • 25枚のパネルを全て同じ色にするとパネル獲得分の賞金に加えてパーフェクト賞として合わせて50万円を獲得できる。
  • 2人もしくは3人が同じ枚数で並んだ場合、同点決勝(プレーオフ)を行って優勝者を決定。2人での同点決勝の場合は、先に解答権を得て、それが正解ならばその時点で決着。もし、不正解の場合は、その問題を最後まで読み上げた上で相手に解答権が移る。その解答も不正解の場合は、新しい問題に移る。2009年2月8日(第1690回)放送分で発生した3人での同点決勝の場合は、最初に解答権を得た人が不正解の場合は、その人は次の問題の解答を失い、新しい問題に移る。新しい問題で、先に解答権を得た人が不正解の場合、今度はまだ2問とも答えていない人が解答権を得る。それでも不正解の場合は、3人で新しい問題に移る。1問正解で優勝決定。
    • 3人での同点決勝は、1984年3月18日の放送で初めて行われた(赤が4枚、緑・白・青が7枚ずつ)[33]。2009年2月8日(第1690回)の放送では、赤・白・青がそれぞれ8枚ずつ、緑が0枚で最後の問題を迎え、ここで緑が正解したことにより、史上2回目の3人同点決勝となった(ただし番組内では史上初と説明されていた)。同点決勝は青が制した。
    • 2011年5月8日(第1799回)の放送では、全員が6枚ずつで最後の問題を迎えた。最後の問題は緑が制したが、もし時間切れになってウェストミンスターの鐘が鳴っていたら、全員での同点決勝になるところだった。
    • 優勝者を発表する時、司会者が「○(色)の○○さんが○枚のパネルをお取りになりまして、地中海クルーズ・ペア10日間の旅、挑戦権獲得!!おめでとうございます!!」と絶叫し、ファンファーレが流れる。画面には「地中海クルーズ・ペア10日間の旅、挑戦権獲得」の字幕スーパーが写し出される。その後、司会者が優勝者(トップ賞)の賞品(「○○さんにはトップ賞といたしまして…」と言う)を紹介し、出題者が参加賞の賞品(「そして、今日出場いただきました○○さん、○○さん、○○さん(優勝者以外の3人の名前)には…」と言う)の紹介をする(1996年4月 - 2015年3月)。谷原に司会が代わった2015年4月以降はすべて出題者が優勝者と参加賞の賞品を紹介するようになり、「優勝された方には○○を、ご出場いただいた3名の皆様には」と言うようになった。
    • 1980年代前半から1990年代前半では、パーフェクトを達成した際、「パーフェクト達成!!」の字幕スーパーとトップ賞とは別のファンファーレが流れた。なお、1990年後半以降はパーフェクトを達成時であっても、通常のトップ賞のファンファーレが流れている。したがって、1998年10月11日放送の11人目のパーフェクト達成時は、通常のトップ賞のファンファーレが流れたのみである。2009年8月16日(第1717回)放送分で12人目のパーフェクト達成時は、ラストコール後に「史上12人目!パーフェクト達成!!」の字幕スーパーが出たが、ファンファーレは通常のトップ賞のもののみだった。さらに、2015年10月4日(第2009回)放送分の13組目のパーフェクト達成時も「挑戦権獲得 豪華客船で行く地中海クルーズ パーフェクト達成!!50万円」の表示は出たものの、ファンファーレは通常のトップ賞のもののみだった。
    • ウェストミンスターの鐘が鳴るのはだいたい年に1、2回程度であるが、2002年度、2008年〜2010年度、2012年〜2016年度のように一度も鐘が鳴らなかった年もある。かつて1995年9月には1ヶ月の間に2回(第1031回・第1033回)も鐘が鳴ってパネルが全て埋まらず、ゲーム終了ということもあった。ただし、芸能人大会やチャンピオン大会など特別な大会では時間切れなしで全てのパネルが埋まるまで勝負は続けられるが、その際、途中カットされる部分はダイジェスト形式で編集した上で放送する。特別な例として、1995年5月28日(第1016回)放送分で、誤答の「お立ち」が非常に多かったため、逆に全てのパネルが埋まるまで続けたこともある。1995年10月1日(第1034回)放送分から不正解による起立を3問から2問に短縮したのは、1995年9月の出来事の影響が大きく、鐘が鳴る確率を低下させて攻撃性を増すためである(1995年10月1日放送分で初代司会者の児玉がコメントした)。1997年1月26日と2004年1月25日は鐘が鳴った。
    • 2011年10月2日(第1819回)放送分では誤答が相次いだため、4年振りに鐘が鳴った。2代目司会者の浦川に変わってから初めてのことであった。さらに2011年11月13日(第1825回)放送分でも誤答が相次ぎ、2度目の鐘となった。
    • 2017年7月30日(第2093回)放送分では誤答とスルーが相次ぎ、史上初めてアタックチャンスの問題の途中(残5枚)で鐘が鳴るという事態が発生した。3代目の谷原に変わってから鐘が鳴ったのはこれが初めてであり、約6年ぶりに鐘が鳴った。
    • このほかに、賞金とは別に優勝者(トップ賞)(18金ダイヤモンドネックレス、掃除機、キャスター付き旅行バッグ)・参加賞(ベルト、札入れ、小銭入れ、キーケース、磁気健康グッズ)の賞品がプレゼントされる。過去に東リが単独スポンサーだった時代にはカーペットまたはカーテンまたはクッションフロアがプレゼントされていた。また、パーフェクト達成した優勝者にトップ賞の賞品に加え、それとは別にパーフェクト賞分の東リ商品を贈呈した。優勝者と参加賞では違った品物が贈呈された。
    • 獲得賞金はゲーム終了後、児玉時代は「パネル獲得数と賞金の額を順に申し上げますが…」と言って紹介していた。また浦川時代は、(特に優勝者に対して)「○枚獲得、○万円お持ち帰りですが」などと賞金に言及することはあった。また、谷原時代は、エンディング時にたまにではあるが海外旅行獲得ならなかった優勝者に対し、「クルーズは残念でしたがパネル○枚取れて賞金は○万円獲得なので、○○(豪華なもの)に使ってください」と言うこともある。さらに、1枚もパネルを獲得していない解答者には「1枚賞金1万円ですから、1枚でも取りましょう‼」と言うこともある。ただし、夏休みに行う児童・生徒対象の大会では「賞金」とは言わずに、「奨学金」(主に生徒)または「図書券」(主に児童)と表現していた。2016年10月以降、トップ賞ファンファーレと同時に「トップ賞○万円獲得」という字幕が出るようになった。

賞金額の変遷

金額はパネル1枚当たりの額。賞金額改定の度に2,000円ずつ値上がりしており、賞金額の改定は毎回4月に行われているが、1990年4月以降は1枚10,000円で据え置きとなっている。

  • 放送開始 - 1977年3月:2,000円
  • 1977年4月 - 1986年3月:4,000円
  • 1986年4月 - 1989年3月:6,000円
  • 1989年4月 - 1990年3月:8,000円
  • 1990年4月 - 現在:10,000円

25枚全て獲得してパーフェクトを達成した際の賞金は、放送開始当初から50万円に固定されている。過去には副賞として当時のスポンサーだった東リのカーペットが贈呈された(優勝者とは別の賞品。さらに過去には東リのクッションフロアも賞品だったことがあった)。また、後述の特別企画でパーフェクトの賞金が100万円に設定されたことが、1度だけあった(勿論、達成はならなかった)。

また、賞金とは別に出演料的なものが成績にかかわらず5,000円支払われる(近畿地方近辺からの出場者の場合はこの中に交通費も含まれるが、遠方からの出場者で朝日放送までの交通費が5,000円を超えた場合、交通費も朝日放送側から別途支払われる)。

海外旅行チャレンジVTRクイズ・エンディング

海外旅行チャレンジクイズは、25枚のパネル盤面上(スタジオでは別モニター)にVTRを映し、古今東西問わず「ある○○」を当てる問題。主に「人物」(浦川司会時にはある「人名」といった回もある)、「都市」がメインで、他に「グループ」、「国」、「都道府県」、「町・街」、「村」、「半島」、「島」、「山」、「川」、「湖」、「海峡」、「岬」、「観光地」、「国立公園」、「温泉」、「年号」、「西暦年」、「文学作品」、「楽曲」、「条約」、「組織」、「建造物」、「出来事」、「乗り物」、「遺跡」などがある。上記のある○○から独立したお題(例・船(乗物から独立)城(建造物から独立))や、ある程度有名ならある○○に「架空」の言葉を追加したお題(例・ある架空の人物など)も存在する(ドラマなどの劇中で作られた楽曲は存在するとみなされ、ある架空の楽曲とは認められない)。

成績や賞品紹介の後、すぐに優勝者と司会者が簡単な感想を話した後、司会者から「さあ、今日はある○○を、御当て頂きます」とジャンルが発表され、優勝者が獲得した自分のパネル(外す操作は当初はアシスタント、現在はスタッフ)を全部外した時点で「ある○○の名前をお答えいただきます、スタート!!」と言ってVTRが始まる。1990年9月以前はフィルム映像だったため、「ある○○、フィルムスタート!!」と言っていた。番組開始当初(東リ提供時代)からは1987年3月まで全成績を述べた後に、CM無しでそのままクイズに入っていた。1987年4月から1996年3月までは、成績を述べた後一旦CMを入れ、CM明けは優勝者へのインタビューから始まっていた(1992年10月からは旅行先VTRからスタート)。1996年4月から2010年3月14日まではVTR開始前に一旦CMに入り、CM明けに旅行の紹介を放送した後、もう一度「ある○○、VTRスタート!!」から再生されていたが、2010年3月21日放送分から2012年3月25日までは、残りパネル1 - 3枚の時点で一旦CMに入り、CM明けに旅行の紹介をした後、以後番組終了までCMを挟まずに競技を進行するようになっていた(同点決勝がある場合は、同点決勝前にCMを挿入するため、そのまま旅行先紹介VTRに移る)。2012年頃からは2015年3月まで放送回によってVTRを一度流してからCMに入って、旅行先の紹介後にもう一度VTRを流すこともあった。

VTR映像は、優勝者の色のパネルの部分だけしか見ることが出来ない(オンエアでは残った他の色のパネルのうちの1枚にトップ賞獲得者の様子が映し出され、パーフェクトの時は映し出されていなかったが、2015年4月5日からは画面右側に表示されたため、パーフェクトであっても映し出される)。このため、多くのパネルを獲得していたにも関わらず映像の肝心の部分を隠されてしまうことや、逆に少ないパネル獲得に関わらず重要な部分を見ることができたりと、独特の運不運が存在する。それによる優勝者の悲喜こもごもの表情を見るのも、一つの醍醐味となっている。

現在はCGパネルにVTRが表示されるが、1995年9月24日以前はスタジオのパネルでクロマキー合成によりVTRを流していた。その際、残った別の色のパネルの数字部分が透けて映像が見えていたり、格子の形が見えていた。これはクロマキー合成に紫色を使っており、格子の線は黒だが、パネルの数字は紫色を使っているためである(エンディングでのパネル点滅時には紫もある)。これにより隠れているパネルの数字部分にも映像が少しだけ見えることもある。映像はいくつかのヒント映像が流れ、映像の最後に、ある人物ならその人の顔写真(このために映像を撮っている場合もある)、ある都市なら航空写真に市章(ただし、日本にある都市の場合のみ)、ある国なら航空写真に国旗が映される。VTR映像出題中は「フライト・トゥ・パリ」のBGMが流れる。2012年5月13日放送分からはサイドパネルの左側に「海外旅行を賭けたクイズに挑戦中」、右側に「ある○○の名前は何でしょう?」と表示されるようになり、2015年4月5日放送分からは画面右側に表示されている。

映像終了後、司会者に「その○○とは!?(西暦の場合、児玉は「さあ、それは西暦何年?」、浦川は「その年とは?」)」と尋ねられ、5秒以内(解答時間は時報のようなカウントダウンの音が流れる)で正解を解答すると、司会者が「正解!!」[34]・「結構!!」・「その通り!!」と絶叫、ファンファーレが鳴り、番組開始当初から1983年12月までは電飾が光る中で、1984年1月から1995年9月までは電飾点灯に加え、解答者席上(天井)に吊るされていたくす玉[35]が割られて大量の銀色の紙吹雪が舞い、フランス国旗を彩った3色(青・白・赤)の紙テープが降る中で、1995年10月からは電飾点灯は維持しつつ、くす玉に代わって解答席の後ろに設置された2つの舞台照明[36]を使って後部の壁の部分を照らす中で、2009年4月以降は電飾点灯・舞台照明演出に加え、「憧れの地中海クルーズペア10日間の旅獲得!!」というテロップが出る中で海外旅行獲得。児玉が司会をしていた頃は海外旅行決定の時にその解答者に握手をし、「おめでとう!」・「やった!」・「良かったぁ!」や「いや、文句無し」(1995年「20周年記念グランドチャンピオン大会」)、「あんな顔が出てしまえば笑っちゃうよね」(同年の一般大会)といった労いのコメントがあった。

不正解・時間切れの場合は初代「アタックチャンス」のアタック音をアレンジしたBGMが流れる。一時期、不正解の時、BGMが流れる前にブザーが鳴ったこともあった。VTR確認前に、司会者が正解答を言う。2012年4月1日の放送から、不正解時に「残念」というテロップが表示されるようになった。司会者が正解を説明する際、毎回パーフェクト達成状態の形でパネル全体が外れて見られるようになる。現在はその際に画面左(1996年10月〜2013年3月までは画面中央に表示)に、周りはトップ賞獲得者の色がバックとして使われていたが(2013年4月以降。画面右にはスタッフ・制作クレジットのロールが流れている。同年3月までは画面下に表示)、2015年5月頃からはトップ賞獲得者の色に関係なくクリーム色で固定された。正解を説明の際、司会者は当初、内容を書いたメモをポケットに入れていたが、現在は「アタック25」のロゴの入った黒いファイルを持っている[37]。なお、旅行クイズが不正解になっても獲得賞金が没収されることは、一切ない。

エンディングの際に、解答者の前で出題者から花束が贈呈される(その際出題者は「おめでとうございます!」と言う)。ただし、1975年4月6日の放送開始時から1995年9月25日放送分までは祝福のBGMが流される中、出題者から花束が、エールフランスの客室乗務員から旅行バッグ(末期では旅行獲得プレート)が、1995年10月1日放送分から2012年3月25日放送分までは出題者から花束と旅行獲得プレートが渡されていた。児玉が司会だった時は「また次回、憧れの地中海クルーズの旅、お待ちしております!!ごきげんよう!!さよなら!!おめでとうございます」と言って、逆に旅行獲得できなかった時は「本当に残念ですが、また次回、憧れのエーゲ海クルーズの旅、お待ちしております!!ごきげんよう!!さよなら!! 残念でございます」と言ってエンディングとなった。1996年10月から2012年3月25日放送分まで、司会者と出題者が挨拶する中で、提供クレジットが表示されていた。浦川時代はVTRクイズの正解・不正解にかかわらず、「アタック25、(では、)また来週です(翌週が放送休止の場合は「アタック25、(では、)また次回です」、年内最終放送の場合は「アタック25、(では、)また来年です」)。さようなら」などと言ってエンディング、2012年4月1日放送分からは携帯電話サイトやスマートフォンサイト利用者に対するクイズ出題となっていた[38]

谷原に司会が替わった2015年4月5日放送分からは、海外旅行を獲得した場合に従来の花束・目録プレートではなく、谷原から記念のトロフィーを贈呈するようになった。このトロフィーのレプリカ(ミニチュア版)もあり、スマートフォンを含む携帯電話用の番組サイトで、番組内で出題されたものをピックアップした「今週の3問クイズ」の月間成績上位者5人(多数抽選)に贈呈される。またVTRクイズの正解・不正解にかかわらず、谷原が「アタック25、また次回(翌週の放送有無にかかわらず)、(年内最終放送の場合は「また来年」)お目にかかりましょう。さようなら」と言ってエンディングとなる。

2012年4月1日以降の最後の提供クレジットの箇所ではその日の解答者または、優勝者の家族[39]が改めて司会者席付近に集合して浦川や加藤→角野らと「アタックチャンス!!」のポーズをとり、記念撮影をするところで終わりとなる。また、谷原に変わってからは谷原、加藤抜きで記念撮影を行うことがほとんどで、視聴者クイズの告知はサイド字幕に留められた。

かつてエールフランス協賛によるパリ旅行だった時は、以下のような流れとなっていた。

  • 児玉が優勝者を発表する際に、「○○(色)の○○さんが○○枚のパネルをお取りになりまして、パリ挑戦権獲得!!おめでとうございました!!」と言ってファンファーレが鳴った際、字幕スーパーには「トップ賞・花の都 パリに挑戦・ABC」→「アタック25トップ賞・パリ挑戦権獲得」と出た。
  • 出題前に「さぁ(トップ賞の解答者名)さん、エールフランスに乗れますでしょうか。パリそしてニース(カンヌ)が○○さん待っております(この時にこやかに旅行鞄を持っているエールフランスのスチュワーデスのアップが映し出される)よろしいでしょうか。ある○○(人物・国・都市・川・島・年号など)、フィルムスタート!!」というコメントとともに出題が始まった(1995年10月以降は「○○行きなるでしょうか、VTRスタート!!」に変更されるが、詳しくは海外旅行を参照)。
  • 正解すると、改めて正解内容を確認した後、児玉が「(解答者名)さん、お見事!! パリそしてニース(カンヌ)にいらしていただきます!!おめでとう!!良かった!!」などとコメントした後、BGMが流される中、エールフランス機の離陸映像とパリの風景をパネルに映し出して、そのパネルをバックに先述の通り、エールフランスのスチュワーデスより「おめでとうございます、エールフランスで楽しい旅をどうぞ!」と言いながら、航空バッグ(末期は旅行獲得プレート)が、出題者より花束が贈呈された。
  • 児玉が「さらに○○さんにはトップ賞といたしまして(トップ賞の賞品)を合わせてお持ち帰りいただきます」を紹介し、出題者が「そして、今日ご出場いただきました他3名様(後に3名の個人名)には(参加賞の賞品)をお持ち帰りいただきます。そして、今日見事パリ行きとなられました○○さんを応援していただいた方には(賞品名)をお持ち帰りいただきます」と言った。
  • 児玉が感想を聞いた後、「○○さん、見事パリ行きを射止めたことをお伝えして、また来週この時間、パリがあなたを待っております!ごきげんよう!!さよなら!!!良かった!!!!」と言って片手を前に出しながらエンディングとなる。
    • 1992年9月まで、不正解で旅行を獲得できなかった場合に児玉は「○○(出題者)さん、残念ですがおみやげを差し上げて下さい!」と言うと、出題者は「残念でございました。トップ賞の○○さんには(賞品名)を差し上げます(その間に拍手が沸く)。そして、ご出場いただきました他3名様(後に3名の個人名)には(参加賞の賞品)を差し上げます。そして、今日トップ賞となられました○○さんを応援していただいた皆様には(賞品名)をお持ち帰りいただきます」と言った。児玉は席に戻り、「○○さん惜しくもパリ行きなりませんでしたが、また来週この時間、パリがあなたを待っております!ごきげんよう!!さよなら!!!残念!!!!」と言って片手を前に出しながらエンディングとなった(どちらとも末期は解答者席の前で行った)。

特別企画

  • 最初の特別企画は1975年7月27日(第17回)放送分の藤田まこと石坂浩二、桂三枝(現・六代桂文枝)、高岡健二(現・高岡建治)を迎えたゲスト特集で、石坂が優勝している。このときのバックセットは観客席ではなく解答者の席の色に沿ったスパンコールであった。また出演者は全員が初代のタイトルロゴを書いた丸いワッペンをつけていた。
  • 毎年、8月に「小学生親子ペア大会」(2013年から)、9月の敬老の日の前日(2001年までは9月15日と重なる週の日曜日)に60歳以上対象の「熟年大会」が行われる(ただし、60歳以上であっても、熟年大会ではないレギュラー放送で出場した人は複数いる)。
  • 過去には1994年まで「中学生大会」、1996年まで「小学生大会」、2011年まで「高校生大会」、1997年から2011年まで「高校生VS高校の先生大会[40][41]」が開催されていた。なお、高校生大会は2016年に復活している。
  • 当番組は基本的に一般視聴者が参加する番組だが、2005年から2007年には9月第1週にタレントやお笑い芸人の2人1組、計4組が解答者として出場する「芸能人大会」が開催された。なお、上記の「アナウンサー大会」同様、出題場面が途中でダイジェストの扱いとして放送されることがある。芸能人大会はこの時期以外に2006年3月5日(第1547回)放送分でも開催されている。
    • その最新回は、2015年7月19日放送分の、放送回数2000回記念であるが、詳しくは後述。
  • 過去には、数年に一度、過去5年以内(またはそれ以上)に出場者で優勝したとしても海外旅行を逃した人、解答できずに終わった人、解答するも正解できずに終わった人、あるいは正答できてパネルを獲得するも最後は0枚という残念な結果に終わった人たちのためのいわばリベンジ大会である「夢をもう一度大会」があった。優勝できなくとも、獲得パネル1枚だけで喜ぶ人あり、海外旅行獲得リベンジ達成の人ありなど、夢を再び与えるという画期的な企画も持っている。
  • 1989年1月15日に放送された『700回記念大会第1弾』「4強激突!プロ野球大会」では両リーグからそれぞれ2チームの選手とそのチームのファンであるタレントが2人一組で出場していた。優勝はジャイアンツ勝呂博憲前田武彦)チームで、最後の旅行獲得問題でも「大阪球場(難波球場)」を正解しパリ旅行まで獲得している。さらにトップ賞となったチームを応援していた観客1人にもパリ旅行がプレゼントされた。
  • 1989年1月22日(700回記念大会第2弾)、1990年4月8日(15周年記念大会第2弾)、1991年1月20日(800回記念大会)の3度、各大学のクイズ研究会やサークル25人が1チームとなって4大学対抗で戦う「大学対抗! 100人の大サバイバル」を実施。各大学、代表者1名が解答席に着いてクイズに答えるが、お手付き・誤答や相手に正解されたメンバーは脱落、次の代表者に交代するという特別ルールで実施。25人全て脱落した大学は、その時点でパネル枚数に関係なく敗退。そのため、1989年の700回記念大会第2弾で放送された最初の大会では、通常のルールでは不可能な6枚獲得で優勝するという事態が起きた(18枚獲得していた大学がメンバー全滅により敗退したため)。なお、海外旅行への挑戦権は、優勝したチームで最終的に残ったメンバー全員にあり、正解した場合は残り人数分の旅行を獲得できるというルールだったが、700回記念大会放送時は不正解だった。
  • 1995年2月5日の1000回記念では、過去のパーフェクト者のうち4人による対戦を行った。この回の優勝者は、1986年1月に放送された『クイズタイムショック』(田宮二郎山口崇司会期)での最後のパーフェクト達成者である。
  • 1995年3月12日 - 26日(第1005 - 1007回)、過去5年以内の出場者の参加も交えての「20周年記念グランドチャンピオン大会」を3週にわたり開催、まず全国各地で筆記予選を行い、ネット局の代表1人(テレビ朝日からは2人)が選ばれ、それらを東日本・西日本別に予選大会を行い(形式は3問先取の早押しクイズで4人勝ち抜き→従来のパネルクイズ)、それぞれ獲得パネルの多かった2名が選出。テレビ朝日代表の東大生が勝利し、グランドチャンピオンとなった(賞金は枚数に関係なく50万円)。
  • 1997年1月5日と1998年1月11日には大学対抗クイズ研マドンナペア大会を開催。1998年は予選を行っていた。
  • 2000年3月には4週にわたって25周年記念大会を開催。1週目は、番組が開始された年の1975年に出場された「25年前の出場者大会」を、2週目は、出場者が全員25歳である「25歳大会」を、3週目は「25にちなんだ人大会」を、4週目「系列局女子アナペア大会」を行った。2001年4月にも3週にわたって27周年記念大会を開催した(実際は満26年)。1週目「27にちなんだ人大会」、2週目「ペア大会」、3週目「系列局女子アナペア大会」を行った。
  • 2004年4月4日 - 18日には番組開始30周年(正式には満29年であり、30年目突入)記念大会と銘打って、3週間に渡る「史上最強のクイズ王決定戦」を開催した。参加基準やルールは「20周年記念大会」と同じだが、ファイナルのみ賞金がパネル1枚につき4万円となった(よって、パーフェクトの場合は100万円となった)。『FNS1億2000万人のクイズ王決定戦』初代チャンピオンで、「20周年記念」でも決勝まで勝ち残っていた新潟代表のブックオフ社員が優勝。
  • 2005年3月20日、1500回を迎えやくみつる高田万由子森内俊之丸山和也の4人の著名人によるゲスト大会が行われた。結果は、森内がパネル18枚で優勝。なお、クイズを趣味とする森内は、過去にもプロ棋士としての仕事の合間を縫って1995年4月23日(第1011回)に一般参加者として予選会を勝ち抜いて出場したことがあり、その際はパネル1枚に終わっている。
  • 2005年8月7日(第1520回)放送分は、「浴衣大会」を開催。一般出場者4人と、児玉・沢木が浴衣を着て登場した。
  • 2005年9月4日(第1524回)放送分は、芸能人ペア大会で、赤は高田万由子と篠沢秀夫、緑は大林素子パンチ佐藤、白は京子・スペクターとデーブ・スペクター、青は光浦靖子モンキッキーで、優勝は青の光浦靖子とモンキッキーで14枚獲得[42]
  • 2007年9月2日(第1621回)放送分はお笑い芸人大会で、赤はアンガールズ、緑はカンニング竹山ダンディ坂野、白はハリセンボン、青はブラックマヨネーズで、結果は赤のアンガールズが9枚で優勝[43]
  • 2010年2月14日(第1740回)と同年4月4日(第1746回)放送分は、2001年以来となるペア大会を行った。
  • 2011年5月16日に児玉が77歳で逝去。22日は通常の放送を休止し『さようなら児玉清さん 〜パネルクイズ アタック25特別番組〜』と題した追悼特別番組[44]が放送された。5月19日に収録が行われ、スタジオには児玉の遺影や趣味であった切り絵の作品[45]、応援席には過去の放送時の写真が展示された。追悼番組では番組のこれまでの歴史のほか、児玉の俳優としての活動、数々の名語録などを映像で振り返った(一部映像は通常の放送素材とは別に児玉の司会ぶりの様子のみを収録した映像も使用)[46]。VTRゲストには、最初の芸能人大会に出演した石坂と、大河ドラマ龍馬伝』で児玉と共演した福山雅治が登場し、故人との想い出を語った。
  • 2012年8月12日放送分では、2010年4月4日放送分以来約2年4か月ぶりのペア大会を行ったが、親子4組によるものだった。さらに、同年9月2日放送分では夫婦ペア大会を行った。以降、予選会でも夫婦ペア大会分も恒常的に募集[47]ようになり、3〜4ヶ月に1度位の頻度で夫婦ペア大会を行うようになっている。
  • 2015年7月19日放送分では、放送回数が2000回を迎えることを記念して『番組対抗芸能人大会』が行われ、朝日放送制作の全国ネット番組[48]から『新婚さんいらっしゃい!』の桂文枝山瀬まみ、『朝だ!生です旅サラダ』の神田正輝向井亜紀、『ペットの王国 ワンだランド』の関根勤篠田麻里子、『熱闘甲子園』の古田敦也と『スーパーベースボール』(朝日放送制作分)の矢野燿大が出場[49]。芸能人大会は2007年9月2日放送分以来約8年ぶり。さらに文枝は前述した、番組開始初期のゲスト大会以来40年ぶりの出場となった。優勝は古田・矢野チーム。
  • 2017年3月26日放送分に芸能人大会を放送。出場者はラサール石井大島さと子松尾貴史八田亜矢子。優勝はラサール石井。

チャンピオン大会

  • 毎年、最終放送となる本番組の放送では、前年12月からその年の11月までに原則として特別企画(芸能人大会・女性アナウンサー大会・夫婦ペア大会など)以外にて優勝した解答者から獲得枚数が多かった上位解答者が登場、『年間チャンピオン』を決定する「アタック25 チャンピオン大会」が、1978年から行われている。英名はChampion Convention Match(チャンピオンコンベンションマッチ)。
  • 大会に辞退者が出た場合、出場人数が固定されていた時代は、対象外となった優勝者の内、枚数順に繰り上がりで出場する。規定枚数以上になってからは辞退者数次第で出場者が10人未満の場合のみ対象外となった上位の同じ獲得枚数者全員に繰り上がりでの出場権が与えられる。
  • 2003年度までは、年間の獲得枚数上位4人が対戦。2004年度から2014年度では予選が導入され、予選を勝ち抜いた4人での対戦となる。
  • 2015年度以降は、年間の獲得枚数上位4人が出場し対戦する、2003年度以前の形式に戻った[50]
2004年度 - 2007年度の予選
  • 年間獲得枚数上位10名が出場。予選は10人一斉早押しクイズ。3問先取で決勝に進出、誤答2回で失格・退場。なお、決勝進出者は、勝ち抜けた順に赤・緑・白・青と座る。
2008年度 - 2011年度の予選
  • この年から2013年度までは、出場選考の基準が定員制度ではなく枚数制度になっており、規定の枚数(年度により異なる)に達した優勝者全員が出場できる。
  • ファーストステージは、映像を用いた20問の「筆記クイズ」(視聴者には10問ずつ、前半と後半に分けて出題)。結果発表は、いつも使用している25面パネルで行われ、成績上位10人のエントリーナンバーに対応したパネルが一斉に赤く点灯する。点灯したナンバーの解答者がセカンドステージ進出。
  • セカンドステージは、2004年度から続く「10人一斉早押しクイズ」。3問先取で決勝に進出、誤答2回で失格・退場。決勝進出者は勝ち抜けた順に赤・緑・白・青と座る(ここまで前編、後編は決勝)。
2012年度 - 2013年度の予選
  • ファーストステージは、「参加者全員一斉早押しクイズ」。3問先取で先着3人が決勝に進出(勝ち抜け順に赤・緑・白の席と座る)、誤答2回で失格・退場。なお、ゲストクイズや熟語パズルなどの通常放送時のビジュアルクイズも出題される。
  • サバイバルステージが新設され、途中退場者を除くファーストステージの敗者全員が「○×クイズ」に挑む。1問誤答で失格・退場。最後まで残った1人が決勝に進出、青の席に座る(このサバイバルステージにあたる箇所までが前編、後編は決勝)。
  • この予選方式からファイナリストシートを新設。決勝進出者は決勝席に座れる。
2014年度の予選(チャンピオン大会最後の予選大会)
  • 予選ステージは「アタック15」。テーマは短期決戦
  • パネル獲得枚数上位12人が出場し、4人1組で3グループ行われる。
  • 盤面には初めから4枚のパネル(8番に赤、12番に青、14番に緑、18番に白)が埋まっている。最初に正解した人は13番を自動的に取り、以降はパネルの取り方の基本ルールに沿う[51]。アタックチャンスは行わない。
  • 誤答は通常と同じ2問休みだが、通常と違い最初の問題で誤答しても2問休みになる。
  • 15枚目が埋まった時点でゲーム終了。初めから4枚のパネルが埋まっているため、11枚埋まるまで行う。各グループの枚数トップが決勝に進出(A・B・Cグループ勝者がそれぞれ赤・緑・白の席)。さらにグループ2位の中で枚数が最も多い人が、ワイルドカードとして4人目の決勝進出者(青の席)となる。もしも、最多枚数が同枚数で並んだ場合又はグループ2位の最多枚数が同点の場合には一問勝負のプレーオフを行なう。
  • 2012年度以降のファイナリストシートは続行する。

女性アナウンサー大会

  • 年始初の放送は、テレビ朝日系列のうち4局の女性アナウンサー各2人を解答者に迎えた「新春女性アナウンサー大会」を2003年から行っており、この時に限り旧来の『解答者本人が自己紹介をする』形式をとっている。かつては1992年10月4日、1996年1月7日に男性アナウンサーを含めた「アナウンサー大会」を実施した経緯がある[52]。また、2000年3月26日にも「25周年記念企画」で、2001年4月15日にも「26周年記念企画」で行っていた。エンディングでは司会の児玉、出題者の沢木(2010年は加藤)、解答者の全員が揃って「アタックチャンス」のポーズを取るのが恒例となっている。さらに2010年1月10日の女性アナウンサー大会では、前半のCM前のアタックチャンスのコールを、児玉と共に、解答者全員が解答席に座りながら「アタックチャンス」のコールをした(CM明けのアタックチャンスは別撮りで従来どおり児玉単独で行う)。なお、朝日放送テレビのアナウンサーは社則により解答者としては出場できない(問題の内部流出など不正防止の意味合いもある)。また、テレビ朝日系列のうち、現在放送していない福井放送とテレビ宮崎は対象から外れている。
  • 女性アナウンサー大会は年末恒例のチャンピオン大会のような2週連続戦(2008年度〜2014年度まで実施)ではなく1発勝負で女王を決定する。

出場局と優勝局

開催年 対戦相手 優勝局(解答者)
第1回
2003年
東日本放送
広島ホームテレビ
九州朝日放送
名古屋テレビ放送
遠藤和子影島香代子
第2回
2004年
東日本放送
新潟テレビ21
長崎文化放送
静岡朝日テレビ
(橘尚代・川村綾
第3回
2005年
テレビ朝日
山口朝日放送
熊本朝日放送
福島放送
大久保尚子笠置わか菜
第4回
2006年
テレビ朝日
愛媛朝日テレビ
鹿児島放送
岩手朝日テレビ
原田佳子矢部順子
第5回
2007年
山形テレビ
長野朝日放送
大分朝日放送
瀬戸内海放送
本庄里恵子岡薫
第6回
2008年
北海道テレビ放送
名古屋テレビ放送
九州朝日放送
テレビ朝日
下平さやか松尾由美子
第7回
2009年
東日本放送
広島ホームテレビ
長崎文化放送
テレビ朝日
(大木優紀・本間智恵)
第8回
2010年
青森朝日放送
新潟テレビ21
愛媛朝日テレビ
テレビ朝日
矢島悠子竹内由恵
第9回[53]
2011年
テレビ朝日&静岡朝日テレビ
広島ホームテレビ&山口朝日放送
大分朝日放送&熊本朝日放送
北海道テレビ放送&秋田朝日放送
石沢綾子国井美佐 / 後藤明日香塩地美澄
第10回
2012年
東日本放送
テレビ朝日
九州朝日放送
名古屋テレビ放送
鈴木しおり金沢歩
第11回
2013年
福島放送
テレビ朝日
愛媛朝日テレビ
北海道テレビ放送
大野恵・石沢綾子)
第12回
2014年
青森朝日放送&岩手朝日テレビ
テレビ朝日&静岡朝日テレビ
大分朝日放送&熊本朝日放送
瀬戸内海放送&広島ホームテレビ
北村実穂 / 串山真理
第13回
2015年
東日本放送&山形テレビ
広島ホームテレビ&山口朝日放送
九州朝日放送&鹿児島放送
テレビ朝日&名古屋テレビ放送
山本雪乃 / 徳重杏奈
第14回
2016年
テレビ朝日&新潟テレビ21
名古屋テレビ放送&北陸朝日放送
九州朝日放送&長崎文化放送
北海道テレビ放送&秋田朝日放送
高橋春花 / 藤盛由果
第15回
2017年[54]
東日本放送&福島放送
瀬戸内海放送&広島ホームテレビ
大分朝日放送&熊本朝日放送
テレビ朝日&名古屋テレビ放送
池谷麻依 / 田中麻耶
第16回
2018年
青森朝日放送&岩手朝日テレビ
山口朝日放送&愛媛朝日テレビ
九州朝日放送&鹿児島放送
テレビ朝日&静岡朝日テレビ
林美桜 / 佐野伶莉

番組出場

解答において人名の場合は、日本人、中国人、韓国人の場合は姓と名のフルネームでなければならないが、それ以外の外国人の場合はフルネームでなくてもよく、判別できる程度でよい(このケースは予選でも適用される)。ただし、フィルムクイズは外国人もフルネームで答えなければならないことがある。そのため、苗字または名前しか答えられず、結局不正解になってしまったこともある。

また、冒頭でも述べたようにこの番組では日本の民放唯一の参加者を限定しない視聴者参加型クイズ番組だが、クイズ王によるクイズ荒らしを防ぐため、一度本選に出場すると、5年間は原則として本選に出場すること並びに予選会に応募することができない(ただし、「年間チャンピオン大会」「グランドチャンピオン大会」などの特別企画であれば、特例として5年以内でも予選会なしで本選に出場できることがある)。その5年間の沈黙を経て再び出場する者も多い。

予選・収録

予選は基本的にテレビ朝日系列局の放送エリアごとで行われる。そのため、ハガキに書く住所の項目は都道府県名から書くことになっている。なお、山梨県を含む関東地区予選はテレビ朝日ではなく朝日放送東京支社で行われる(ただし予選の応募受付を各局で行っていた1990年代までの宛先はテレビ朝日だった)。テレビ朝日系列局がない富山県は富山テレビ(BBT・フジテレビ系列)で行われていたが、2009年3月の放送終了により予選の募集は終了した。FBC日本テレビ系列テレビ朝日系列クロスネット)、朝日放送徳島支局朝日放送高知支局、鳥取県・島根県に所在するテレビ朝日の各支局でも予選は行われない。2012年4月から放送再開した宮崎県については、テレビ朝日系列局のテレビ宮崎(フジテレビ系列主体、日本テレビ系列を含む3局クロスネット)ではなく、この番組を放送している宮崎放送TBS系列)で開催される予選に参加する。

予選は専用の用紙に氏名などの他に自己アピールを記入することから始まる。現在の予選問題は全30問(制限時間8分)の筆記形式で、いわゆる「クイズによく出る問題」と時事問題がバランスよく出題される(かつては、同じ筆記形式でも、問題文のない解答欄のみの用紙に、カセットテープ再生による読み上げ問題の解答を記入する方式だった。1問の制限時間はおよそ10秒で、全20問。問題の読み上げは、本選の出題者が担当していた)。解答の際、誤字・脱字がある場合は不正解となる。ただし、漢字がわからない場合はその漢字をかなで書いても問題はない。筆記予選が終わると答案用紙が回収され、即採点される。その後の合格発表で名前もしくは受験番号を呼ばれた人のみ面接に進める。この面接に受かれば、予選に合格となる。

ただし、予選に合格すれば必ず出場できるわけではなく、向こう1年間の出場資格が与えられたということになる。1年待ってもオファーがなければ出場資格が消滅する。なお、指定された収録日に都合が悪く(用事等で)出場を辞退したとしても、出場資格は消滅しない。なお、出場が決まっていなければ、出場資格を持っている間にも予選に参加することは可能。その予選に合格すれば出場期限を延長できる。

1975年の放送開始以来、出場者募集はハガキのみだったが、2004年春頃からはインターネットでも募集されるようになった(現在は携帯電話でも募集している)。また、出場者募集のお知らせは番組中で告知され、1年を通じて行われている。

従来は、番組開始当初から大阪市北区(1989年まで大淀区)大淀南の朝日放送本社Aスタジオで行われていたが、2008年春から社屋の移転により、福島区福島1丁目(通称「ほたるまち」)のAスタジオでの収録(隔週木曜日)となっている。このため、同年4月27日からエンディングでのスタジオ全景のカメラ位置も変更されている。収録から放送までは原則2週間後から3週間後だが[55]、2011年5月15日放送分は5月12日収録で3日後に放送された[56]

2017年10月8日放送分では、お笑いコンビ「ロザン」の宇治原史規が一般枠(予選・筆記試験)から出場[57]。当番組では定期的に「芸能人大会」を行っているが、通常の放送回に芸能人が参加するのは1975年の開始から同番組でも極めて異例[57]

備考

応援席

  • 1995年9月24日までは観覧者を一般から募集をしていたが(しかしながら収録日の都合上、関西在住の中高年女性が多かった)、現在は出場者の家族・身内・友人と関係者・アルバイト(エキストラ)しか観覧席に座ることができない。
  • 1992年9月までは、観覧者が色別のパネル上げでトップ賞の予想を行い(行わない回もまれにあった)、予想が的中するとプレゼントが、的中しなかった観覧者全員に粗品が贈られていた。
  • 番組初期の頃は、司会の児玉の呼びかけとともに、番組の冒頭でギャラリー(観客・応援者)が、支持する解答者の後方にある「応援席」へ移動し着席する様子が、BGMが流れる中、映し出されていた。
  • 番組が始まって7〜8年目の頃は、第1問(通常の読み上げ問題)が終了した後に、司会の児玉の呼びかけ(呼びかけがなくCMに入る場合もあった)とともにギャラリー(観客・応援者)が「応援席」へ移動していた。
  • プレゼントの内容は、番組オリジナルグッズや、スポンサーからの賞品などだった。そのため支持(応援)する色の観客席に座る人のばらつきが発生していた。観覧者にはそれぞれの色のプラカードを持たせて、番組序盤で上げていた。
  • 1985年頃には、フィルムクイズの前に各解答者の応援人数をコンピューターで表示していた時期もあった。
  • 現在ではこのトップ賞予想制度は観覧者の方は廃止されたが、2016年に視聴者電話応募形式で再開された。番組冒頭時点から各解答者の後方にはギャラリーがすでに着席していたが、2012年4月1日放送分からは解答席の背後のモニター設置により、ギャラリーは出題者席の背後に移動し、画面にはオープニング・エンディング時に、対戦中は解答者が正解したとき時々映し出されるようになった。

解答者紹介

  • 1994年4月3日放送分までは本人による自己紹介(解答ボタンを押した後に自己紹介に入るもの、1992年10月のリニューアル以降はフラッシュオンクイズ→提供クレジット→CM挟んでから)。
  • 1994年4月10日放送分からは出題者のナレーションによる紹介になる。
  • 1996年10月6日放送分からは序盤終了後(パネル5枚埋まった時点が目安)に児玉が紹介し提供クレジットとCMとなった。
  • 2005年1月9日放送分からはオープニングクイズが終わった後に紹介する形になった(2008年8月以降は、解答者のプロフィールのうち年齢が省略され、「今回は○○歳代の皆さん」と紹介している)。
  • 2012年4月1日放送分からはOPアニメーションの中で4人同時に紹介されており、司会者による紹介は省略されたが、対戦中に解答者が1回目に解答した後に司会者がインタビューするようになる形式になった。よって、不正解で解答者が立ったままインタビューすることもある。まれに、数回解答した後にインタビューすることもある。また、十数問出題が終わっても、1回も解答できてない解答者にも必ずインタビューをして、「1問でも答えて、パネル1枚でも取りましょう」と激励を送る。ちなみに、「○○歳代」はサイドパネル左側で紹介されることになり、2015年8月頃から年齢表示が復活した。また最近では、「○○大会」と、様々な職業やカテゴリーごとの大会となっている。
  • 2016年10月2日放送分からはOPアニメーションでの紹介は割愛され、司会者がインタビューする形式のみとなっている。(2016年10月~12月のみ約20年ぶりに出題者からの紹介が行われていた。)

優勝者に関する記録

パーフェクト

この番組で言うパーフェクトとは、正解数は関係無く、最終的に25枚のパネル全てを同じ色にする事であり、2018年4月現在で13回パーフェクトを達成している。初代の児玉時代は12回パーフェクトを達成した。なお、2代目の浦川時代にパーフェクトを達成したことは1度もなかったが、3代目の谷原時代では谷原が司会就任した最初のパーフェクトで、2015年10月4日での夫婦大会で約6年振りのパーフェクトを達成し、海外旅行獲得はならなかったものの、司会交代後・青の席・夫婦などのペアによるパーフェクト達成はいずれも番組史上初という快挙を成し遂げた。

# 放送 解答席 出身・性別 旅行クイズ
1 1977年10月2日 埼玉県 女性 成功
2 1983年11月27日 東京都 男性 成功
3 1984年5月20日 千葉県 男性 成功
4 1985年9月29日 福岡県 男性 成功
5 1986年12月28日
チャンピオン大会
東京都 女性 成功
6 1987年4月5日 東京都 男性 成功
7 1989年10月15日 大阪府 女性 失敗
8 1990年12月30日
チャンピオン大会
愛知県 男性 成功
9 1993年8月22日
先生大会
大阪府 男性 失敗
10 1997年2月23日 愛知県 男性 失敗
11 1998年10月11日 岐阜県 女性 成功
12 2009年8月16日
高校生vs高校の先生大会
鹿児島県 男子高校生 成功
13 2015年10月4日
夫婦ペア大会
福岡県 夫婦 失敗
パーフェクト総計 13回
  • これまでの解答席別パーフェクト達成回数(内旅行クイズ成功回数)
    • :2回(0回)
    • :5回(5回)
    • :5回(4回)
    • :1回(0回)
  • パーフェクト達成者の旅行クイズの成功回数
    • 成功:9回
    • 失敗:4回

5人目・8人目は年間チャンピオン大会での達成である。なお、緑のパーフェクト達成者では今のところ全員旅行クイズ成功しているが、白のパーフェクト達成者では1回だけ旅行クイズ失敗している。さらに、赤と青のパーフェクト達成者で旅行クイズ成功者は未だ1度も出ていない。

最低記録

理論上、通常勝利[58]に最低限必要な獲得枚数は7枚であるが、1989年1月22日の700回記念特集第2弾・「大学対抗100人の大サバイバル大会」では6枚での優勝が発生した。これは、この回の優勝条件が「パネル獲得数が一番多く、なおかつゲーム終了時に生き残りが1人でもいること」という特別ルールになっており、パネル獲得数が一番多かったチームがゲーム終了前に25人の解答者を全員使い果たして失格となったためである。

なお、7枚で優勝したのはこれまでに7組いる(最近では2018年5月20日放送分)。また、優勝するためには最低3問に正解する必要があるが、1985年6月9日、2000年8月6日、2008年7月27日、2012年3月4日放送分では、3問正解での優勝が起きている。

海外旅行

VTRクイズ正解で獲得できる海外旅行は、初回から1995年9月までエールフランスで行くパリ(パリの他にニースカンヌディジョン、あるいはタヒチ)だったが、1995年10月放送分から旅行先はアメリカ合衆国ニューヨークフロリダディズニーワールド)、ドイツスイスローマオーストリアミラノスペインと変化。そして2009年4月5日放送分からは地中海クルーズ・ペア10日間の旅と史上初のペア旅行となり、以降はクルーズ旅行で固定されている。

1975年以来、オープニング映像にエールフランスの旅客機が飛び立つ映像が使われていたが、パリ旅行中止とともに消滅した。2007年4月1日放送分で、旅行先がパリ・ミラノに変更されたことに伴って、久々にエールフランスの旅客機が飛んでいる映像が、オープニングクイズで流された(2008年4月からのスペイン・パリ旅行の時にも適用された)。

フランス旅行が中止になったのは、1995年9月5日にフランス政府が南太平洋ムルロア環礁核実験を行ったことに対する抗議とされている。そのため、この出来事があった直後の9月10日放送分から24日放送分までの3回分、収録した日付のテロップを表示したり、優勝者決定時のテロップを「海外旅行挑戦権獲得」に変更。さらに、児玉のコメントの1つである「パリ挑戦権獲得!」を「海外旅行挑戦権獲得!」に、「エールフランスに乗れますでしょうか?」を「海外旅行獲得なるでしょうか?」と変更するなどの対応になった。

2001年4月、ようやく旅行先にパリが復活。ただし、エールフランスではなく、日本旅行会社が主催するツアーとの提携である(2001年のみJALパックAVA、2002年から2004年まではANAハローツアー、2005年4月から2009年3月までは近畿日本ツーリスト、2009年4月からはPTS提供)。なお現在は違うが、初代司会者の児玉は長らく樫山文枝と近畿日本ツーリストのCMに出演していた。

通常旅行に行けるのは1人で、2人ペアでの旅行は、チャンピオン大会等の特別企画のみだったが、2009年4月からは、通常回でも2人ペアでの旅行獲得ができるようになった。

1995年10月のニューヨークとフロリダ・ウォルトディズニーワールドの旅に変更以降、旅行先が変更される際の1か月間は通常のオープニングクイズが旅行先にまつわるクイズに変更される。この時のVTRでは、初代司会者の児玉と出題者が実際に旅行先へ赴き、そこから出題を行う(ただし、エンディングのVTRクイズ前に出る旅行先紹介VTRは出題がなくなってからも登場)。なお、この旅行先にまつわる問題が実施される場合、読み上げ問題の間に挟まれる、通常の映像(ビジュアル)クイズと音楽の問題の合計4問のうち、1 - 2問分が削減される。ただ、2011年5月15日の一部旅行先変更の際には、音楽の問題が出題された上、出題の加藤明子アナウンサーだけが赴いた。また、2012年1月22日放送分から旅行先紹介VTRがカットされたが、これは1月13日にイタリアで発生した、コスタ・コンコルディアの座礁事故が影響したとされている。

その後、2012年4月1日放送分からスペイン・フランス・イタリアをめぐる地中海クルーズ・ペア10日間の旅に変更され、VTRクイズ出題前の旅行先紹介VTRが復活した。ただし、これまで旅行先変更のたびに行われてきた、その旅行先にまつわるクイズが出題されなくなり、代わりに新登場となったVTRゲストが登場して出題するクイズに変更された。

旅行先の変遷

期間 旅行先 航空会社・旅行会社
1975年4月6日 1976年3月 パリ エールフランス
1976年4月 1981年5月 タヒチ
1981年5月 1985年頃 パリ・ディジョン
1985年頃 1991年3月 パリ(ニースも抱き合わせ)
1991年4月 1995年9月 パリ・カンヌ
1995年10月 2000年2月 ニューヨークとフロリダ・ウォルトディズニーワールドの旅 日本旅行→JALパックAVA
2000年3月 2001年3月 ウォルトディズニーワールドとディズニークルーズライン8日間の旅 JALパックI'll
2001年4月 2002年3月 ヴェネツィア・フィレンツェ・ローマとパリ10日間の旅 JALパックAVA
2002年4月 2003年6月 パリ・ロワール・モンサンミッシェル10日間の旅 ANAハローツアー
2003年7月 2004年3月 ドイツ・ロマンチック街道とスイス・アルプス、パリの旅
2004年4月 2005年3月 パリ・モンサンミッシェルプロヴァンスを巡るフランス縦断10日間の旅
2005年4月 2006年3月 充実のローマ・パリ9日間の旅 近畿日本ツーリスト・ホリディ
2006年4月 2007年3月 充実のオーストリア・パリ9日間の旅
2007年4月 2008年3月 充実のパリ・ミラノ9日間の旅
2008年4月 2009年3月29日 充実のスペイン・パリ9日間の旅
2009年4月5日 2010年5月30日 地中海クルーズ・ペア10日間の旅 PTS
2010年6月6日 2012年3月25日 憧れのエーゲ海クルーズ・ペア10日間の旅(2011年5月15日放送分から一部旅行先が変更)
2012年4月1日 2014年3月30日 スペイン・フランス・イタリアをめぐる地中海クルーズ・ペア10日間の旅
2014年4月6日 2015年3月29日 豪華客船[59]で行く地中海クルーズ・ペア10日間の旅 JTB
2015年4月5日 現在 英国が誇る豪華客船クイーン・ヴィクトリアで行く地中海クルーズ・ペア10日間の旅

パネルボードと解答席

  • 番組の要であるカラーパネルは、初期の頃で制作費1000万円ほど掛かっており、アクリル板のパネルの内部に赤・緑・青・白のアドビジョン蛍光管を組み込んで、それらの色を合わせている。そのため、点灯した色にムラがあったり、点灯が乱れたり、黄色が微妙な色になったりした事がある。真青はVTR映像のクロマキー用に残しておく必要があったため、シアンで代用して青と言っていた[60]。またパネルを開発した家電メーカーの社員がスタジオに駐在しており、パネル故障などの緊急事態に対応していた(実際トラブルが起き、収録が中断した事もあった)[61]
  • 番組初期の頃は、25枚のパネルの左右両サイドに上向きの矢印(当時のスポンサーの東洋リノリユーム〈現: 東リ〉のマーク)を図示した10個のランプが縦並びにあり、シンキングタイム(7.5秒)には、シンキングのBGMとともにそのランプが下から0.75秒に1つずつ順に点灯していき、解答時間切れを表していた。アタックチャンス直前の数問や、放送時間内の緊張感の拡大等の演出上の効果で(不正解者の発生や全員解答不能の事態に陥った場合等を強調する為に)は上にパネルボード、下に解答者の2画面表示だった為、ランプが点灯していく様子がO.A.でも確認できた。
  • 現在、番組を見ると、画面右端の空きエリアの部分に現在の4人取得パネル数が常時表示されている。
  • 現在の解答席は8代目である。解答席の前にはパネルの獲得枚数が表示される得点板があり、初代から6代目までは豆電球で表示されていたが、2001年9月30日放送分の7代目セットから液晶モニターに替わっている。
    • 初代: 1975年4月 - 1976年3月(解答権獲得の点滅)
    • 2代目: 1976年4月 - 1984年3月(解答権獲得の点滅、お立ちの3つ点灯)
    • 3代目: 1984年4月 - 1986年3月(お立ちの3つ点灯)
    • 4代目: 1986年4月 - 1992年9月(お立ちの3つ点灯)
    • 5代目: 1992年10月 - 1995年9月(お立ちの3つ点灯)
    • 6代目: 1995年10月 - 2001年9月23日(解答権獲得の点滅、お立ちの2つ点灯)
    • 7代目: 2001年9月30日 - 2012年3月25日(解答権獲得の点滅、お立ちの2つ点灯)
    • 8代目: 2012年4月1日 - 現在(解答権獲得の点滅、お立ちの2つ点灯)
  • 早押しで、1番早く押すと解答席のメインの電飾が点灯、2番目以降は解答席の電飾の一部が点灯する。司会者の「他の方も押されたんですが、○○さんが早かった」や「○○に押し勝った○○」という台詞は、2番目以降の電飾の一部が点灯したのを見て言っている。
  • 早押しボタンは、初期の頃はコンピュータのキーボードにあるスペースキーほどの長さのボタンであり、7代目セットの初頭では解答席の色と同色のカラーボタンが左右に設置された。現在は黒いボタンである。
  • 解答席の正面にはテレビモニターが設置されており、通常時や旅行を賭けたVTR問題の際に使用される。またモニターの手前に、自分や相手のパネルの獲得枚数がわかる表示板が設置されている(なお収録時にはモニター等で通算放送回数が表示される)。
  • 現在のパネルボードの書体は3代目である。初代は角張っている文字、2代目はゴシック体になり、解答席と同様に、2001年9月30日放送分から3代目 (Lucida Bold) になった。
  • 1995年9月まで、スタジオのパネルで表示していたが、1995年10月からテレビ放送ではCGで製作したパネルを使用している。スタジオのパネルは現役で使われており、2009年4月から第1問・アタックチャンス・ラストコール時にスタジオのパネルでの表示が復活した。2012年4月1日のリニューアルからは、パネルが180インチの大型液晶スクリーンでの表示になり、位置も解答席の背後に移動したが、2015年4月5日からは背後の液晶スクリーンに変わってCGで映し出される様になる。解答者は、出題者席の隣に設置してあるスタジオ用のパネルを見てパネルを取るが、スタジオ用パネルが放送内で映し出されることは稀。
    • 初代: 1975年4月 - 1984年9月(新学社「単元別漢字ノート」のページの数と同じ書体になっている)
    • 2代目: 1984年10月 - 2001年9月23日(フォントはゴシック体)
    • 3代目: 2001年9月30日 - 現在(フォントはLucida Bold)

スタジオセット

  • 初代:1975年4月 - 1976年3月
  • 2代目:1976年3月 - 1984年3月
  • 3代目:1984年3月 - 1986年3月
  • 4代目:1986年4月 - 1987年3月
  • 5代目:1987年4月 - 1989年3月
  • 6代目:1989年4月 - 1992年9月
  • 7代目:1992年10月 - 1995年9月24日
  • 8代目:1995年10月1日 - 1997年9月28日
  • 9代目:1997年10月5日 - 2001年9月23日(司会者の立ち位置部分の背景のみ変更)
  • 10代目:2001年9月30日 - 2004年3月28日(司会者の立ち位置部分の背景のみ変更)
  • 11代目:2004年4月4日 - 2006年3月26日
  • 12代目:2006年4月2日 - 2008年4月20日
  • 13代目:2008年4月27日 - 2012年3月25日
  • 14代目:2012年4月1日 - 2015年3月29日
  • 15代目:2015年4月5日 - 現在

タイトルロゴ

  • 初代:1975年4月 - 1992年10月
    • 台形をモチーフにしたもので、上段から「パネルクイズ」「アタック」「25」と並べられている。「パネルクイズ」はナールを使用。
  • 2代目:1992年10月 - 2015年3月29日
    • 左側に、上段から「パネルクイズ」「アタック」、右側に大きく「25」とデザインされている。2012年4月1日から「パネルクイズ」の部分のフォントが変更され、「パネルクイズ」「アタック」の部分が少し左に移動した。
  • 3代目:2015年4月5日 - 現在
    • 2代目から続く「25」の部分以外はリニューアル。「パネルクイズ」が「PANEL QUIZ」と英語表記になった。2016年3月27日までは「40TH ANNIVERSARY」の文字が加えられていた。

オープニングの変遷

1975年4月 - 1982年3月
エールフランスの飛行機が離陸するシーン→テーマソング出だしの「アタック・25」の音声に合わせてクロマキー合成を駆使して25枚のパネルにタイトルが映し出される→テーマソングに合わせて赤・緑・白・青の4色(後にアタックチャンスの黄色を含む5色)のパネルがフラッシュ(間に「ア」「タ」「ツ」「ク」の文字[62]を順に表示)しながら、バックにスタッフロールが流れる。最後に「25」が緑地に赤文字で浮かび上がる→司会席の児玉が「さぁ、25枚のパネルにアタックしましょう!パリです」と挨拶し、その季節ごとのパリ・フランスの風景を描写した紹介→3人が「『東リパネルクイズ アタック25』、司会の児玉清です」「問題を差し上げます○○(出題者)です」「アシスタントの○○です」「どうぞ、よろしくお願いいたします」と挨拶→その回の趣旨を紹介した後、解答者の自己紹介→ギャラリーの応援席移動→提供読みという構成。この時代のテーマソングはフルコーラスで流れていた。
1982年4月 - 1985年3月
最初にパネルボード(マス目なし状態)が登場し、そこに映る飛行機離陸シーンから、パリの日中の風景が綴られた映像にのせてタイトルバック(通常のレッドバック・白文字ではなく、赤文字で映像に被せる方式)・スタッフロール、それ以降の展開は前と同じ。
1985年4月 - 1992年9月
飛行機離陸シーンに続きタイトルバック→パネルボードの前に立った児玉と豊島が「こんにちは、この時間は『パネルクイズ アタック25』でお楽しみいただきます。司会の児玉清です」「問題を差し上げます、豊島美雪です」「どうぞ、よろしくお願いいたします」と挨拶した後、先週の展開を回想するやりとり→解答者の自己紹介→ギャラリーの4色別のボード札上げ→フラッシュオンクイズという構成。
この時期からスタッフロールはエンディングに移動、出演者は本人の映像に合わせてクレジットされるようになる。
1992年10月 - 1994年3月
空港の映像→飛行機離陸シーン→タイトルバック(この代から番組ロゴが変更、CGアニメーションによる表示になった)にのせて児玉の「『東リパネルクイズ アタック25』、まずはフラッシュオンクイズでお楽しみいただきます」の挨拶と共にフラッシュオンクイズスタート→13番点灯あとにブルーバックに提供クレジット→CMと続き、児玉と出題者が「さあ、25枚のパネルにアタックしましょう!『東リパネルクイズ アタック25』、司会の児玉清です」「こんにちは、問題を差し上げます、○○です。今日もパリ目指してがんばって頂きます」「どうぞ、よろしくお願いいたします」と挨拶する構成。
1994年4月 - 1995年9月
スタジオをバックにタイトルが映し出される→解答席の前に立った児玉と相馬が「こんにちは、お元気でお過ごしのことと存じます。『東リパネルクイズ アタック25』司会の児玉清です」「問題を差し上げます相馬宏美です」「どうぞ、よろしくお願いいたします」と挨拶→解答者紹介(その間、児玉と相馬はそれぞれの持ち席に移動)。
1995年10月 - 1996年6月
タイトルバックは変わらず、パネルの前に立った児玉と相馬が「さぁ、25枚のパネルにアタックしましょう!『東リパネルクイズ アタック25』、司会の児玉清です」「問題を差し上げます相馬宏美です。これから30分間ご一緒にクイズでお楽しみください」「どうぞ、よろしくお願いいたします」と挨拶→解答者紹介へと続く。
1996年7月 - 1999年3月
スタジオをバックにタイトルバックにCGのパネルボードが散乱し、それがまとまりタイトルに形成される→パネルの前の映像がアップになり、パネルの前に立った児玉と相馬が「こんにちは『東リパネルクイズ アタック25』司会の児玉清です」「問題を差し上げます相馬宏美です。今日もニューヨーク、そしてフロリダのウォルトディズニーワールドを、目指して、頂きましょう」「どうぞ、よろしくお願いいたします」(これは1996年10月以降省略)と挨拶→児玉の進行でオープニングクイズに入り、その後パネルが5枚埋まる時点まで問題が続く→解答者紹介→提供クレジット。
1999年4月 - 2012年3月
タイトルアニメーションCG(2009年4月以降はスタジオバック)→パネルの前に立った児玉→浦川が、「こんにちは、『東リパネルクイズ アタック25』司会の○○です」(2000年6月まで。後に東リが冠スポンサーで無くなった際には、東リと言わなくなった)。出題席に座っている沢木→加藤が「問題を差し上げます沢木美佳子(ABCアナウンサーの加藤明子)です。今日も○○の旅を目指して頑張って下さい」と挨拶→児玉・浦川が「はい、頑張っていただきます」と言った後オープニングクイズに入り、その後数問問題が続く(2005年1月から割愛)→解答者紹介→提供クレジット。
2012年4月 - 2015年3月
アニメーションCGがタイトルバックとして復活。1985年3月以来、27年ぶりにOPの中で司会・出題者が紹介された。それに伴い両者の自己紹介も省略され、出場解答者もOPアニメーションの中で4人同時に紹介されることになった。[63]このアニメーションの終盤に提供クレジットが挿入され、サイドパネルにはその回の解答者の年代やオープニングクイズの出題者などが表示されることになった。スタジオパートでは浦川の隣に出題者がハンドマイク(自身が使う他、海外旅行を獲得した解答者にコメントを求める際にも使われる)を持って立つようになり、提供クレジット表示終了後、浦川は「今週も始まりました『パネルクイズ アタック25』」、出題者は「“地中海クルーズ・ペア10日間の旅”を目指してがんばってください」と言う。次に浦川が「今週は○○大会、皆さん頑張ってください」と行った後オープニングクイズに入る。
2015年4月 - 現在
テーマソングが新バージョンで流される中、OPの中での司会・解答者紹介は継続されたが、出題者の紹介は割愛され、提供クレジットは谷原がスタジオに入場するシーンになった。提供クレジット表示終了後、谷原が「こんにちは、今週も始まりました『パネルクイズ アタック25』、司会の谷原章介です」と挨拶。次に、今回の出場者についての説明をした後「“地中海クルーズペア10日間の旅”を目指して頑張って下さい」と言い、オープニングクイズに入る。オープニングクイズ終了後、谷原は「続いて問題を差し上げますのは、加藤アナウンサーです。お願いします」(2017年10月以降は「続いて問題を差し上げますのは、この方です。」)と紹介し、出題席に座っている加藤は「はい、ABCアナウンサーの加藤明子です、よろしくお願いします」(2018年4月以降は「加藤明子です、よろしくお願いします。」)と言って2問目の読み上げに入る。なお、2016年10月2日放送分からOPの解答者紹介が省略され、同年12月18日放送分までは、谷原の挨拶後に、加藤が解答者の紹介とトップ賞予想クイズの説明を行う構成で行われていた。2017年1月8日放送分からはトップ賞予想クイズの説明は谷原が簡易的に行い、加藤の解答者紹介は省略された。

番組休止の事例

また、報道特別番組を編成したことによる休止には以下の事例がある。

上記以外の特別番組による休止には以下の事例がある。

パロディ

他局でのパロディは非常に多いが、『番組ナンバーワン決定戦』(2006年放送)、『朝日放送新社屋完成記念 番組対抗No.1スペシャル 〜オールスター大集合!おめでたバトル〜』(2008年放送)といった番組対抗クイズ特番で使用するなど、朝日放送自身もたびたびパロディの題材にしている。

関連書籍

  • 1983年11月1日に『東リ・パネルクイズアタック25』の書名で、大泉書店より発行された。大きさは新書判で、全1250問・219ページで構成されている。8 - 9ページの目次に「パリ挑戦者(向かって左)を激励する児玉清さん」という写真があるが、このときのトップ賞とパリ旅行挑戦権を獲得したのは、当時滋賀県の大学生だった早川浩一さん(獲得パネル数10枚、フィルムクイズである人物・「ガンジー」を見事正解してパリ旅行を獲得)。
    • 現在は絶版となっている。発刊から長期間経過していることもあって古書店でも探すのが難しく、ネットオークションの出品も稀で当時の定価(650円)の数倍から十数倍もの高値での落札となるケースが多い。ただし、国立国会図書館には所蔵されている。
  • 2014年9月25日に『パネルクイズ アタック25 公式ファンブック』が講談社から出版された。パネルの取り方のルールや、番組のトリビア、データ、予選会・本戦の攻略法と出題された問題の一部が掲載されている。

ゲームソフト

  • 富士通パソコンシステムズ: PlayStation版・Windows 95版・Macintosh版のゲームソフト(全て1997年)を発売していた(他に『100万円クイズハンター』のゲームも発売された)。
    • PS版: ゲーム内容はオープニングからエンディングのフィルムクイズに至るまで実際の番組(発売当時)の流れを完全に踏襲しており、司会の児玉も実写ムービーで登場するなど、番組の雰囲気の再現性は非常に高い。クイズゲームとしても、問題数の多さに加え、一度出題された問題はセーブデータに記録されて出題の優先度が下がるなど、独自の仕様により高い評価を得ている。他にもクイズだけで楽しむモードや、逆にクイズ無しでスロットマシンを使ったモードが楽しめる。また、「勝ち抜きアタック」モードで優勝し、フィルムクイズを正解すると、「ニューヨークの様々な光景」がテーマの映像が流れ、そのあとに「勝利の言葉」が表示される。この言葉、応募券とともに自身のプロフィールなどを郵送すると、先着500名にオリジナルグッズが貰えた。
    • PC版: PS版では予選が無かったのに対し、こちらは応募ハガキの記入から始まり、予選の筆記試験、面接を合格できれば番組出場と、実際の番組参加手順を更に忠実に再現している(ただし、実際の予選はディレクター以上のスタッフが仕切るのに対し、このソフトではADが予選を仕切るようになっている)。
  • デジキューブ(のちに倒産、現存せず): PlayStation 2版のゲームソフト(2002年)を発売していた。
    • PS2版: PC版と同じく応募ハガキの記入からスタート。まれに、予選会の通知ではなく「近所のスーパーの特売」といったものが届き、その時点でゲームオーバーになることがある。オリジナル解答者を作って成績を保存する事もできる。予選もある程度再現されており、筆記試験、面接が行われる。面接の受け答えによっては、ミニゲームに挑戦することもある。本戦では、1問目はお手付き無し、アタックチャンスや旅行クイズの前にCMをはさむ(設定で省くことも可能)、パネルが規定の数だけ埋まると、「画面を見て答える問題」「音楽を聞いて答える問題」が出題されるなど、本戦の雰囲気を最大限に踏襲している。他にも専用マルチタップで最大4人まで対戦できるパーティモードがある。優勝するとプロデューサーからデジタルカメラが貰え、コントローラーの操作でスタジオ内をそのカメラで撮ることができ、それを保存しプリンターに繋げてプリントアウトすることもできる。そして児玉、沢木、プロデューサーがゲーム内で言った台詞を聞けるモードがあった(言っていない台詞は聞くことができず、全部集めるのには時間がかかる)。さらに、ある条件を満たすと、チャンピオン大会モードが追加される。また、タイトル画面でコントローラー2のR1を押すことでパネルシミュレーター機能が利用できる。なおPS版と異なり、海外旅行挑戦権クイズに使われる音楽は著作権の都合により別の曲が使われている。
  • このほか、朝日放送のスマートフォン向けサイトで公式ブラウザアプリが配信されている(別途、会員登録が必要。基本的に有料だがauスマートパスに加入しているauユーザーのみ無料で参加できる)。

冠スポンサー

この番組の冠スポンサーは以下のように移り変わっている。2000年7月2日以降は冠が付かず、単に「パネルクイズ アタック25」として放送されている。

放送期間 冠スポンサー 番組名
1975年4月 - 1986年3月 東洋リノリユーム(現・東リ/一社提供 東リ・パネルクイズアタック25
1986年10月 - 1987年3月 アルインコ(一社提供) アルインコ・パネルクイズアタック25
1987年4月 - 1992年9月 日興證券日興投信(各60秒) 日興パネルクイズ アタック25[66]
1992年10月 - 2000年6月 東リ(90秒または120秒) 東リ・パネルクイズアタック25

1986年4月 - 9月は東洋リノリユーム・小林製薬の二社提供であったため、冠は付かなかった。アルインコは1987年4月に冠スポンサーから外れてからも翌年3月までスポンサーを継続した。

東リは上記以外にも1991年10月 - 1992年9月(30秒枠)、2000年7月 - 2002年3月(60秒枠)、2007年4月 - 2008年3月(30秒枠)にも提供したことがある。長期にわたって当番組のスポンサーだった関係から、スタジオのセットには現在も同社の製品が使われている。また、「東リ・パネルカーペット・アタック」シリーズの商品名はこの番組の名称にちなんでいる。

提供クレジットは、番組開始当初の東洋リノリユーム一社提供時代は、白地に同社のシンボルマークの大写しを使用、その後日興證券時代から複数スポンサーになってからは1996年9月29日までブルーバックが使用されていたが、その後はスタジオ映像に提供クレジットを重ねる形式となった。2012年4月1日から2015年3月29日までは、番組オープニングのCG映像に提供クレジットを重ねていたが、2015年4月5日からは、番組オープニングのCG映像の後、谷原がスタジオに入場する映像に提供クレジットを重ねる形式となった。

番組名に冠は付いていないが、現在の筆頭スポンサーであるジャパネットたかたは、この番組限定のテレビショッピング(CM)を毎回制作しており、高田明前社長らジャパネット社員が「この時間は(商品名・機器名)にアタックします!」と言っている。

ネット局と放送時間

2017年10月より

放送対象地域 放送局 系列 放送日時 備考
近畿広域圏 朝日放送テレビ(ABC)[1] テレビ朝日系列 日曜 13:25 - 13:55 制作局
北海道 北海道テレビ(HTB) 同時ネット
青森県 青森朝日放送(ABA)
岩手県 岩手朝日テレビ(IAT)
宮城県 東日本放送(KHB)
秋田県 秋田朝日放送(AAB)
山形県 山形テレビ(YTS)
福島県 福島放送(KFB)
関東広域圏 テレビ朝日(EX)
長野県 長野朝日放送(abn)
新潟県 新潟テレビ21(UX)
静岡県 静岡朝日テレビ(SATV)
石川県 北陸朝日放送(HAB)
中京広域圏 メ〜テレ(NBN)
広島県 広島ホームテレビ(HOME)
山口県 山口朝日放送(yab)
香川県・岡山県 瀬戸内海放送(KSB)
愛媛県 愛媛朝日テレビ(eat)
福岡県 九州朝日放送(KBC)
長崎県 長崎文化放送(NCC)
熊本県 熊本朝日放送(KAB)
大分県 大分朝日放送(OAB)
鹿児島県 鹿児島放送(KKB)
沖縄県 琉球朝日放送(QAB)

過去に放送していたネット局

※系列は放送当時の系列。

放送対象地域 放送局 系列 備考
宮城県 ミヤギテレビ(mm34) 日本テレビ系列
NETテレビ系列
現:MMT、KHB開局までの半年間放送
秋田県 秋田放送(ABS) 日本テレビ系列 1987年の一時期
山形県 山形放送(YBC) 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1993年3月、YTS移行まで放送
福島県 福島中央テレビ(FCT) 1981年9月、KFB開局まで放送
新潟県 新潟放送(BSN) TBS系列 1981年3月29日まで。毎週日曜日17時からの時差放送。
新潟総合テレビ(NST) フジテレビ系列
テレビ朝日系列
テレビ新潟(TNN(現:TeNY))開局に伴う移行。
1981年4月5日から1983年9月25日まで。
同時ネットだったが、翌週から開局したNT21(現:UX)へ移行。
長野県 テレビ信州(TSB) テレビ朝日系列
日本テレビ系列
1980年10月5日から1991年3月31日[67]、ABN(現:abn)開局まで放送
静岡県 テレビ静岡(SUT) フジテレビ系列 1978年6月、SKT(現:SATV)開局まで。
東リクイズ・イエス・ノー』の後番組扱いで毎週日曜日14時からの時差放送。
富山県 富山テレビ(BBT) 2009年3月まで
石川県 北陸放送(MRO) TBS系列 1986年9月頃打ち切り
福井県 福井テレビ(FTB) フジテレビ系列 1987年10月から放送していたが終了時期は不明
島根県・鳥取県 山陰中央テレビ(TSK) 1994年3月まで
岡山県 テレビ岡山(OHK) フジテレビ系列
テレビ朝日系列
現:岡山放送、1979年3月まで
同年4月の岡山・香川両県
エリア一本化
によりKSBへ一本化
愛媛県 テレビ愛媛(EBC) フジテレビ系列 1995年3月、EAT(現:eat)開局まで放送
高知県 テレビ高知(KUTV) TBS系列 1996年9月29日から1998年3月16日まで放送
熊本県 テレビ熊本(TKU) フジテレビ系列
テレビ朝日系列
1989年9月、KAB開局まで放送
宮崎県 テレビ宮崎(UMK) フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1996年10月にMRTへ移行
宮崎放送(mrt) TBS系列 1996年10月にテレビ宮崎から移行。2002年12月に一旦打ち切った後、
2012年4月7日に放送再開するも、2017年9月30日を以て打ち切り。[68]
鹿児島県 南日本放送(MBC) 1982年9月、KKB開局まで放送

放送時間の変遷

期間 放送時間(日本時間
1975年4月 - 1975年9月 日曜日 13:15 - 13:40(25分)
1975年10月 - 1994年9月 日曜日 13:15 - 13:45(30分)
1994年10月 - 現在 日曜日 13:25 - 13:55(30分)

スタッフ

(2017年12月現在)

  • 協力:JTBグループ PTSカガミ(旧・各務プロダクション)東リ ほか
  • 構成:高見孔二
  • 問題アドバイザー:山口牧生
  • 問題作成:秋田千枝、井上久美子、井上望、奥村康治、儀賀保秀、倉片陽子、多田奈々、西村麻耶、鍋谷直輝、藤田曜、山口真弓(週替わりでクレジット)
  • 問題チェック:倉橋光子、吉氏眞理、井上景子、矢野郁子、弘中麻由、鎌塚百美(週替わりでクレジット)
  • 音楽:山下毅雄
  • SW:岡田光司(朝日放送テレビ)
  • カメラ:手塚西都子(朝日放送テレビ)
  • VE:板谷諒介
  • 音声:牛越大輔
  • MA:滝川毅(アイネックス)
  • 照明:安本雅司(ハートス)
  • SE:角田研
  • 編集:森島健太
  • 美術:田中影洋
  • CG:竹内淳
  • TK:岡島美榮子
  • 宣伝:藤田高一郎
  • 庶務:田村圭
  • AD:吉栖成美
  • AP:綾川由里絵
  • FD:石原朋子
  • ディレクター:山内貴博、山田知道
  • プロデューサー:渡邊拓史(朝日放送テレビ、2016年4月10日〜、以前はディレクター)
  • チーフプロデューサー:秋山利謙(ABCリブラ、2015年4月5日〜)
  • 制作:朝日放送テレビ、ABCリブラ(2015年4月5日〜)

過去のスタッフ

  • 構成、監修:堤章三
  • 構成:土屋幸喜(2015年5月〜時期不明)
  • CG:木村卓
  • AD:竹島和彦、濱田崇充、小松幸一
  • ディレクター:岡本悦治、倉本拓、清水雄一郎(清水→以前はFD)、及川瑞葉、岩城正良、鳥海久慎、小城修哉、佐々木聡子、佐々木匡哉、佐藤真澄、矢野政臣、朝日源、植田貴之、朝比茂信、山田大樹、大橋洋平、後藤真実子、神崎宗弘
  • プロデューサー:河野雅人、月村潔、吉田多満子、北條信之、野条清(野条→以前はディレクター、現在:放送番組審議会事務局長)、岩城正良(現在:制作局長補佐)、尾島憲
  • 制作:小森成樹(以前はチーフプロデューサー、元:ABCリブラ代表取締役社長)

脚注・出典

  1. 1.0 1.1 1.2 2018年3月25日(当番組の2017年度最終放送日)までは、同年4月1日の認定放送持株会社移行に伴う商号変更並びに分社化前のため、朝日放送。
  2. 地上デジタル放送では開始当初より実施。
  3. 字幕の色は谷原の声が黄色、加藤の声が水色、それ以外は白色で表記。
  4. この枠は、1963年10月に水曜12:15 - 12:40枠の『グロリアホームクイズ 歌って当ててハイ何点』(毎日放送制作)開始に伴い、『ガイド』として設置された物。その後後継番組『ダイビングクイズ』(毎日放送制作)の変遷(ダイビングクイズ#放送時間を参照)に伴い、『ガイド』『CMロータリー』『ファミリータイム』と改題しながら継続し、当番組の開始時は13:40に移動していたが、1975年10月より13:45 - 14:55に歌謡番組せんみつのJOYJOYスタジオ』を設置するため、14:55 - 15:00に移動した。
  5. 『パネルクイズアタック25公式ファンブック』30ページより。
  6. (2011-05-17) 【復刻】児玉さん「アタック25」への想い 日刊スポーツ大阪版 日刊スポーツ [ arch. ] 2011-05-17
  7. UHTはUHF局だったため、スポンサーセールスや受信可能範囲等の都合から一部のNET系列番組(毎日放送制作を含む)を先発VHF局であるRCCの編成に残していた。
  8. 前番組「お昼にあいましょう」の金曜日を朝日放送が担当した名残り。1970年から水曜日を含め全曜日TBS製作に移管
  9. 追悼特番で紹介された映像では1984年12月30日放送分
  10. (2016-08-23) 谷原章介、『アタック25』司会者・本人役で映画出演「縁を感じる」 ORICON STYLE [ arch. ] 2016-08-23
  11. 東京ニュース通信社テレビジャパン2006年7月号(6/18→7/20)P40-41「テレビっ子が行く! あいたかった、ひと。」第5回児玉清
  12. 児玉清が緊急入院、当面は検査と治療専念-芸能SANSPO.COM-(2011年4月2日記事)
  13. (2011-05-20) 児玉清さん「胃カメラのんでおけばよかった」スタッフに漏らす スポーツ報知 arch. 2011年5月22日
  14. 「アタック25」リニューアル!浦川アナ「児玉さんが見ていたら…」-スポニチ Sponichi Annex 芸能2012年3月23日速報記事、3月27日閲覧。
  15. ウラウラのつぶやき(2012年3月) [リンク切れ]- 朝日放送『おはよう朝日です』サイト内。「3月23日」を参照
  16. 2012年3月25日放送での告知より。
  17. 谷原章介「アタックチャンス!」 4月から『アタック25』新司会(オリコン)-Yahoo!ニュース2015年2月12日記事、2015年2月12日閲覧。
  18. これにより、加藤は児玉・浦川・谷原の歴代司会者全ての出題者を担当したことになる。
  19. 谷原章介、「アタック25」司会に!故児玉清さんの“後継者”(サンケイスポーツ2015年2月12日 即日閲覧)
  20. 『アタック25』谷原章介、児玉清さんの「その通り」継承 ORICON STYLE 2015年4月5日閲覧
  21. 放送時間等の制約による編集上や司会者が問題文をフォロー(復唱)しなかった場合である
  22. この際は旅行先として放送内でも告知していたクルーズ会社の客船が沈没事故を起こしてしまったため、クルーズ旅行の船会社も含めて旅行内容が急遽変更された影響によるものであると言われている。なお、その影響により、2011年の年間チャンピオンは放送上スイートルームでのクルーズ旅行を獲得したにもかかわらず、実際には他の出場者と同じ普通客室に変更されたとのことである
  23. 2012年4月から2013年3月までは、オープニングクイズ、熟語問題、アナグラム問題、ランキング問題、映画問題で誤答やスルーが発生した場合に、パネル5枚が埋まるまで出題されていた。ただし、3問以内に5枚埋まらなかった場合は、読み上げ問題に移っていた。
  24. 浦川は、連続解答となった場合に「立て続けに赤!」や「またしても赤!」、大事なパネルを取ることが予想される場合に「ここで赤!」などと言う場合があった。谷原は複数の解答者がボタンを押した場合に「○○に押し勝った○○!」ということもある。
  25. 1995年3月放送の「20周年記念グランドチャンピオン大会」では「北海道」などと、都道府県名で呼んでいた。
  26. 2012年6月17日放送分では1問目の有名人からの出題クイズが時間切れで正解が出なかったため、2問目の2文字の漢字を当てる問題で最初の正解者が出るという珍事があった。後に2014年1月26日放送分でも同様のことが発生した。
  27. 野口陽来、松井利樹、小森成貴、橋本隼一、橋本剛『アタック25の最適戦略』、第12回 ゲーム・プログラミング ワークショップ 2007、pp.144-147、2007
  28. ただし、この戦法を取る人は基本的にクイズを趣味としており『アタック25』の優勝を目標としている人(初代司会者の児玉曰く「手練れ」)が多いため、例えば13→7と狙って1番を取られた場合でも、その人に19番を取らせた上で11→3と獲得して25番を狙うというように手立ては準備しているようである。
  29. 朝日放送:秋山利謙ゼネラルプロデューサーによれば、『アタックチャンスは、放送枠が25分から30分に拡大となった時、その5分増えた分を穴埋めするために当時の番組スタッフが考え出したものだった』と語っている(『当事者が明かすロングセラーの秘密』日刊ゲンダイ 2015年7月14日発行19面)。
  30. 一時期は、解答権を得た出場者が解答する直前まで放送し、CMから再開後に「アタックチャンス!!」のコールから再生していたこともあった。なお、2005年 - 2006年に同点決勝の場合は、同点決勝の前にCMが入っていたが、2012年4月から2015年3月まではCMを入れていなかった。
  31. 谷原が司会の時はごく稀に流れ終わった後にブザーを鳴らすこともある。
  32. 『パネルクイズ アタック25 公式ファンブック』158ページより。
  33. 『パネルクイズ アタック25 公式ファンブック』87ページより。
  34. 浦川は「大正解!!」と言う時もあった。谷原は「お見事‼」が多い。
  35. くす玉の外観は造花であるが、外観が映るのはごくまれに優勝者を応援した観客席を映し出した時に少し出る程度で、大抵は海外旅行クイズに正解し、くす玉が割られて解答者の頭上に紙テープ・紙吹雪が舞うところしか映らなかった。
  36. 舞台照明の外観は銀色の筒のようなもので、放送中は時たまその舞台照明が映し出されたりしている
  37. ファイルにあるABCロゴは現行ロゴでなく、3代目(1989年-2007年)のものを使用している。
  38. 参加できる時間は放送終了から30分間となっていた。なお、遅れネット局(高校野球地方大会中継に伴って同時ネットから遅れネットへ変更した場合を含む)ではすでに受付時間が終了していることからクイズの回答には参加することができないため、視聴者限定クイズの部分を携帯サイトの紹介や出場者募集告知などに差し替えられた。週によっては視聴者限定クイズ自体が休止となる場合もまれにあるが、この場合でも携帯サイトの紹介や出場者募集告知などに差し替えられた。
  39. 優勝者のみで行うこともたまにある。
  40. 2011年は高校の先生が集まらず(実際には予選高得点者の高校の先生がおり予選も通過していたにもかかわらず高校生とのマッチングの関係からオファーがなかった)高校生2名と中学校の先生2名との対戦となった。
  41. 2011年は前述の事情で中学校の先生にオファーを出したり、高校生出場者の内1名がパネルの取り方のルールすら知らなかったことからして出場者の確保に非常に苦労していたようであった
  42. アタック25観戦記録(2005年9月4日)
  43. アタック25の記録(2007年)
  44. ネットスポンサーはすべてPT扱いとなり、一部企業はACジャパンのCMに差し替えとなった。
  45. 同特別番組では2004年2月『徹子の部屋』(テレビ朝日制作)に児玉が出演した際に切り絵の腕前を披露する場面も紹介された。
  46. 肖像権の関係上、ほとんどの解答者や観客にはぼかし処理がされた他、かつての冠スポンサーだった日興証券・日興投信に関して司会者席下部の「提供 日興証券・日興投信」の文字は、放送時のスポンサーと異なることからぼかし処理で消されていた。ただし、1989年の「700回記念プロ野球大会」の部分を再生した「アタックチャンス」の箇所など、解答席の場面での両サイドの日興証券・日興投信の看板や東リのロゴは、処理されずにそのまま放送されていた。
  47. なお、夫婦ペア大会の予選を通過するためには夫婦とも筆記予選を通過しなければならないという最低限のハードルが課せられており、夫婦のうち一方のみが筆記予選を通過した場合は一般参加者が筆記予選を通過した扱いとなるとのことである
  48. 基本的に当番組と同じ週末日中に放送の番組を選出。ちなみに『熱闘甲子園』はテレビ朝日との共同制作。
  49. (2015-07-07) 『アタック25』放送2000回 司会の谷原章介、天国の児玉さんに改めて感謝 ORICON 2015-07-07 [ arch. ] 2015-07-07
  50. パネルクイズ アタック25|出題者:加藤明子アナの「アタック25」ナイショ話|朝日放送
  51. 13番のコールは通常通り、浦川が行った。
  52. 1992年の時は北海道テレビ放送が優勝、1996年では名古屋テレビが優勝した。
  53. この年は1チーム2局ずつ・計8局の対抗戦。
  54. 開催月を3月にずらして開催。
  55. 児玉清が「アタック25」収録を欠席-芸能-SANSPO.COM(2011年4月1日記事、6月5日閲覧)
  56. 「アタック25」児玉清の復帰を待つ!-芸能-SANSPO.COM(2011年5月10日記事、6月5日閲覧)
  57. 57.0 57.1 ロザン・宇治原「アタック25」参戦!京大卒芸人が予選から一般枠でガチンコV宣言(デイリースポーツ)-Yahoo!ニュース2017年9月29日記事、2017年9月29日閲覧。
  58. 時間切れや同点決勝がない場合。
  59. クイーン・エリザベスクイーン・ヴィクトリア
  60. 日本のテレビ美術 TV-ART OF JAPAN 1978年3月
  61. 朝日新聞1975年8月19日夕刊芸能面「不況に強い番組は? 答え…クイズです」
  62. この文字は最後の「25」を含め全て5×5のマス目を利用しており、それぞれ緑地に赤文字(ア・25)・白地に緑文字(タ)・青字に白文字(ツ)・赤地に青文字(ク)で表示された。
  63. 出場解答者は手を振っている人が多い。
  64. この日の朝日放送制作枠は『プリキュアシリーズ』(当時は『スマイルプリキュア!』)のみ放送。
  65. 参照:フロンターレ公式[1]
  66. 1991年6月 - 11月は、損失補填問題に伴い一時降板。
  67. 1984年9月30日までは時差ネット(前倒し)、10月7日からは同時ネット。(1984年9月30日、10月7日 信濃毎日新聞 テレビ欄)
  68. 放送再開後も一貫して遅れ放送であったため、携帯サイトやスマートホンサイトでのクイズには参加できなかった。

外部リンク

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【10分繰り下げ】
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不明
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パネルクイズ アタック25
(1975年4月 - 1994年9月)
【ここから朝日放送制作枠】
新婚さんいらっしゃい!
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※12:55 - 13:25
【10分繰り下げ】
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日曜演芸会
(1961年4月 - 1975年3月)
(関東ローカル)
※13:15 - 14:00
(枠移動=16:30 - 17:15)
パネルクイズ アタック25
(1975年4月 - )
【ここから朝日放送→朝日放送テレビ制作枠】
テレビ朝日 日曜13:40 - 13:45枠
ファミリータイム
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(枠移動=14:55 - 15:00)
パネルクイズ アタック25
(1975年10月 - )
【ここから朝日放送→朝日放送テレビ制作枠】
テレビ朝日 日曜13:45 - 13:55枠
歌謡びんびんハウス
(1986年11月 - 1994年9月)
※13:45 - 14:55
【ここまでテレビ朝日制作枠】
パネルクイズ アタック25
(1994年10月 - )
【ここから朝日放送→朝日放送テレビ制作枠】

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