平時信

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平 時信(たいら の ときのぶ、生年不詳 - 久安5年7月26日1149年8月30日))は、平安時代後期の官人桓武平氏高棟王流で、父は関白藤原忠実の家司を務めていた従四位上兵部大輔、平知信。弟に知範、信範らがあり、室は二条大宮(令子内親王)の半物(氏素性は未詳、時忠・時子の母)・少将局(美福門院の女房、藤原基隆女、親宗の母)・藤原祐子(藤原顕頼女、滋子の母)など。子に時忠親宗時子平清盛室)・滋子高倉天皇生母、建春門院)・平重盛室・清子(平宗盛室)・建春門院女房冷泉・建礼門院女房帥佐らがいた。正五位下兵部権大輔。贈左大臣正一位高倉天皇の外祖父。

父とともに藤原忠実・藤原忠通父子に仕えていたらしい。元永元年(1118年)12月10日における忠通と藤原宗子(藤原宗通女)との婚儀の際に、前駆の一人として彼の名が見える。彼自身は摂関家に仕える中流貴族で終わったが、彼の子供たちは平氏政権の一翼として活躍した。日記時信記』がある。

参考文献[編集]

  • 角田文衛監修『平安時代史事典』角川書店、1994年。
  • 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。

関連項目[編集]