音楽 (小説)

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テンプレート:基礎情報 書籍音楽』(おんがく)は、三島由紀夫の長編小説。1964年(昭和39年)、雑誌「婦人公論」1月号から12月号に連載され、翌年1965年(昭和40年)2月20日に中央公論社より単行本刊行。現行版は新潮文庫で重版され続けている。

精神分析医の「私」が、不感症に悩む或る一人の女性患者の治療を通して、彼女の深層心理の謎を探っていく物語。サスペンス調の娯楽的な趣の中にも、精神分析という学問・世界観に対する疑問を呈しながら、理論のみによっては割り切ることのできない人間性の謎や人間精神の不条理さを描き出そうとした作品である。

1972年(昭和47年)11月11日に黒沢のり子主演で映画化された。

あらすじ

ある秋の日、日比谷で診療所を開いている精神分析医・汐見和順のもとに、24、5歳の美しい女性患者・弓川麗子が訪れた。麗子は食欲不振、嘔気、軽い顔面チックと、「音楽がきこえない」という症状を訴えていた。問診によると、彼女の実家は甲府市だが、親が許婚と決めた又従兄から無理矢理に処女を奪われ、彼を嫌ってS女子大卒業後も帰郷せずに東京で貿易会社の事務員に就職し一人暮らしをしていた。現在は同じ会社で知り合った恋人・江上隆一がいるという。後日、再び診察に訪れた麗子は、「音楽がきこえない」というのは、江上との性行為で「オルガスムスを感じない」という意味だと打ち明けた。江上を愛しているにもかかわらず、それによって彼から猜疑心をもたれ出し、愛想をつかされるのではないかと悩んでいたのだった。

麗子は診察を受けながらも時折、汐見医師に手紙を書き、子供の頃の記憶や心理的な夢に出てくる鋏の挿話を送った。それは虚実入り混じったものだった。また、麗子は恋人・江上にわざと見られるように、汐見との仲を勘違いさせるような嘘の日記を付けたりして困らせていたが、やがて徐々に本当の自分のトラウマを汐見に語り出した。麗子には大好きな10歳上の美男子の兄がいたが、少女の頃にその兄に一度愛撫されたことや、昇仙峡の宿で兄と伯母との性行為を見てしまったことを話した。その後、兄は伯母との関係が親や世間にバレてしまい失踪してしまったのだという。

麗子の分析が核心に入ってきた矢先の冬のある日、突然彼女が診察に来なくなった。麗子は、甲府にいる許婚の又従兄が肝臓癌で危篤となり、憎んでいた男にもかかわらず、看病に飛んで行ったのだった。そして麗子の報告の手紙によると、病人となった又従兄への献身的な看護の末、聖女のような気持になった彼女は瀕死の彼の手を握りながら、「音楽」を聞いたのだという。その後、一旦麗子は帰京し汐見の診療所を訪ねた後、伊豆南端のS市に一人旅に出かけ、旅先から汐見に手紙を送った。麗子は観光ホテルで不能に悩む青年・花井と知り合った。数ヶ月後、再び診察室を訪ねた麗子は症状が再発し、ヒステリー状態だった。麗子は、しばらく花井と麹町のホテルに二人で住んでいたことや、花井の不能が治ると麗子は彼を嫌悪し、自由を与えるふりをして彼から逃げ出して、追われていることを話した。しかし、その前に汐見を訪ねてやって来た花井の様子から、その話が嘘だと感じた汐見は、麗子の心理に深く根ざしている兄の影響を鑑みて、彼女が失踪していた兄に会ったのではないかという当てずっぽうの質問をしてみた。図星を言われた麗子は驚愕し、本当のことを語り出した。

実は麗子は江上と知り合う前に、失踪していた兄に会っていたのだった。彼女が女子大の寄宿舎で暮していたときに兄が訪ねて来たのだった。兄は昔とすっかり変わりヤクザっぽい風体になり、安アパートに酒場の女と暮していた。麗子を妹だと信じないで嫉妬する酔ったその女と兄が口論となり、麗子が本当の妹か証明するために目の前で二人で寝てみろという挑発があった。殺気立つ女との口喧嘩の末、兄は突然、麗子に接吻をし襲いかかった。麗子は驚愕するが、この屈辱と恐怖の行為の中にも兄の或る切実なやさしさを感じとり、少女の時に兄に愛撫された時のような甘い快感を見出した。女が目の前の二人が本当の兄妹だと直感し、行為を止めさせようとした時はもう遅かった。麗子は、いよいよ兄が襲ってきたら、そばにあった鋏で兄を刺し殺そうと鋏を枕の下に隠したが、それを彼女は手から離してしまい使わなかった。それ以来、鋏は麗子にとって、地獄に身を委ねた破廉恥な自分の良心をおびやかす象徴となっていたのだった。その後、兄と女はアパートから引越してしまっていた。

汐見は麗子を治すために、荒療治に出ることにしかないと思った。それは麗子の兄を探し出し、江上と自分の立会いのもと二人を対決させることだった。彼の住所もわからないまま過ごす中、ある日、テレビに山谷のドヤ街の特集番組に兄が映っているのを麗子が発見した。汐見と看護婦、江上と麗子の四人は、浅草山谷街の都電停留所と泪橋の停留所との左右にまたがる山谷へ行き、麗子の兄を見つけた。兄は背中に赤ん坊をおんぶし、コップ酒を呑み青白くみすぼらしくなっていた。兄は妻を街娼に立たせて暮らしていたのだった。狭い2畳の部屋で、麗子はじっと兄の子を見つめ、突然と、「可哀想に!可哀想に!」と赤ん坊の頬に自分の頬をすりつけた。

麗子の深層心理の中には、「兄の子供を生みたい」という願望が巣食っていたのだった。それは、「兄自身を自分の母胎へ迎え入れるために、その母胎を空けておく」という願望を意味していた。麗子は兄以外の男の子供を妊娠する恐怖から不感症となり、「無原罪の母胎」を信じるにいたっていたのだった。そして麗子は、「赤ちゃんのお母さん」と言うところを、「赤ちゃんの妹さん」と言い間違えたことで、自分自身の中の無意識に気づいたのだった。「兄の子」がすでにいることを見た麗子はその後、江上と結婚した。半年後、江上から汐見に、「オンガクオコル」という電報があった。

登場人物

汐見和順
精神分析医。日比谷の或るビルに診療所をひらいている。不感症の患者・弓川麗子の症例を手記にする。診療所には看護婦と助手の二人が勤務している。
弓川麗子
汐見の診療所を訪れた不感症の患者。24、5歳の美女。低目のよく潤んだ声。整った顔なのに冷たさがなく、程よい愛らしさのある形のよい鼻と、むっちりした唇に繊細で脆そうな顎をしている。実家は甲府市の名門の旧家。東京のS女子大を卒業後、帰郷せず一流の貿易会社の事務員に就職し2年になる。田舎に幼時から決められた許婚がいるが、彼を嫌い上京していた。10歳離れた兄がいる。
江上隆一
麗子の恋人。同じ職場で知り合った。T大学のボート部出身で体格がよい。健康的な美男。麗子を愛している。
山内明美
汐見の診療所の看護婦。汐見と付き合っているが結婚はしたがらない女。童顔で粗い一筆描きをしたような明るい、男好きのする顔立ち。麗子にやや嫉妬する。
麗子の兄
麗子の10歳上。喧嘩が強く美男子。麗子と仲の良い兄妹だった。大学を3度すべる。伯母との情事が世間に洩れ、行方をくらまし、その後ヤクザのような風体になる。
麗子の伯母
麗子の兄と肉体関係を持っているのを、小学校4年の麗子に目撃される。
児玉助手
汐見の診療所の助手。
アメリカ人の患者
67歳の白髪の老紳士。汐見の知り合いのアメリカの医師から、来日して女遊びをするように言われてきた或る個人会社の社長。清教徒気質で妻以外の女を知らない。
映画女優の患者
有名女優。売れなくなってノイローゼになる。精神分裂症の疑い。
俊ちゃん
麗子の許婚又従兄。少女時代の麗子を無理矢理襲う。遊び好きだったが30歳前で肝臓癌となる。腹水で腹がふくれ黄土色の顔色になる。献身的に看病する麗子に感謝しながら死ぬ。
甲府の病院の看護婦
俊の入院していた病院の看護婦。麗子の献身的な看病に感動し、麗子の味方になる。
麗子の父親
甲府市の名門旧家の17代目。又従兄の死後、娘をまるで腫れ物にさわるようにし、麗子の意向に従う。
花井
不能に悩む青年。色白で整った顔立ちで目が澄んでいる。象牙を彫ったような繊細な美貌だが生気がなく植物的。黒いセーターに黒いズボンの服装。製薬会社社長の息子で高級な腕時計をしている。伊豆南端のS市へ旅行中の麗子と知り合う。花井は自殺をしようと伊豆の岬に来ていた。スタンダールの「アルマンス」や、「アベラールエロイーズ」の書簡を愛読。母親は慈善事業生け花の趣味でほとんど家にいない。
麗子の兄と同棲していた女
酒場の女で兄の情婦。毒々しい化粧をした派手な女で、下品なガラガラ声。三流アパートで麗子の兄と住んでいた。兄妹の近親相姦の目撃者となり恐怖で戦慄する。
寄宿舎の同室の友
麗子がS女子大生だった時の寄宿舎の同室者。
山谷のドヤ街の案内者
中年の男。
赤ん坊
麗子の兄の子供。痩せている。赤ん坊の母親は街娼をしている。

作品評価・解説

三島由紀夫は、「今日、われわれの心に楽の音は絶えてゐる。精神的な音楽も肉体的な音楽も。……これは、あたかも現代といふこの不毛な時代を象徴するごとく、どんなに努力し、どんなにあせつても、自分の心と肉体の中に真の音楽をきくことができない一人の女性の半生の物語である。つひに彼女はその音楽を、耳に、体内にたしかにきくことができるだらうか? できるとすればいかにして? それは、それとも幻覚だらうか? 現実のまちがひのない音楽だらうか?」[1]と述べている。

澁澤龍彦は、「これは既成の精神分析学批判の小説であるとともに、現存在分析一派のいわゆる『愛の全体性に到達する』とはいかなることであるかを、小説家の想像力を媒介とした、具体的な症例によって検討しようとした、きわめて野心的な小説でもある」[2]と述べている。

映画化

『音楽』(行動社日本ATG) 1972年(昭和47年)11月11日封切。カラー 1時間43分。

スタッフ

キャスト

おもな刊行本

  • 『音楽』(中央公論社、1965年2月20日)
    題字・装幀:神野八左衛門。カバー絵:アルブレヒト・デューラー「マドンナと動物たち」。紙装。ビニールカバー。紫帯。
    ※ 本文中、「刊行者序」の部分のみ組体裁および用紙が異なる。
  • 『音楽』(講談社・ロマン・ブックス、1969年7月24日。再版1972年)
    カバー装幀:船坂芳助。紙装。:カバー(裏)に著書肖像写真。カバー袖に略歴。
    ※再版1972年の帯(背)に「話題の映画化」、帯(表)に「ATG映画化」、帯(表・裏)に1972年公開の映画『音楽』のスチール2葉あり。
  • 文庫版『音楽』(新潮文庫、1970年2月20日。改版1990年)
    付録・解説:澁澤龍彦

脚注

  1. 三島由紀夫『作者のことば(「音楽」)』(婦人公論 1963年12月号に掲載)
  2. 澁澤龍彦「解説」(文庫版『音楽』)(新潮文庫、1970年)

参考文献

  • 文庫版『音楽』(付録・解説 澁澤龍彦)(新潮文庫、1970年。改版1990年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第11巻・長編11』(新潮社、2001年)

関連項目

外部リンク

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