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=== 深夜放送自粛 ===
 
=== 深夜放送自粛 ===
不祥事による自粛措置として5月20日から24日までの5日間テレビの深夜放送を取りやめたほか、この期間は『[[NEWS23]]』の放送を第1部のみで打ち切りとした。第2部をネットしている地区については『ドキュメントDD』など、[[裏送り]]番組を放送した。また、ラジオの深夜放送も休止した<ref>ただし、『[[いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜]]』はTBSラジオのみ放送休止し、同時ネット局への裏送り放送として通常通り行われた。</ref>。
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不祥事による自粛措置として5月20日から24日までの5日間テレビの深夜放送を取りやめたほか、この期間は『[[NEWS23]]』の放送を第1部のみで打ち切りとした。第2部をネットしている地区については『ドキュメントDD』など、[[裏送り]]番組を放送した。また、ラジオの深夜放送も休止した<ref>ただし、『[[UP'S〜Ultra Performer'S radio〜|UP'S]]』および『[[いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜]]』はTBSラジオのみ放送休止し、同時ネット局への裏送り放送として通常通り行われた。</ref>。
 
この他、地方局では、TBSの深夜番組をネットせずに、『[[痛快!明石家電視台]]』など[[毎日放送|毎日放送(MBS)]] の番組をネットするケースも見られた。
 
この他、地方局では、TBSの深夜番組をネットせずに、『[[痛快!明石家電視台]]』など[[毎日放送|毎日放送(MBS)]] の番組をネットするケースも見られた。
  

2023年7月27日 (木) 11:51時点における版

TBSビデオ問題(TBSビデオもんだい)とは、1989年10月26日に、東京放送(TBS)ワイドショー番組3時にあいましょう」のスタッフが、坂本堤弁護士オウム真理教問題について批判のインタビュー映像を放送直前にオウム真理教幹部に見せたことが、9日後の11月4日に起きた坂本堤弁護士一家殺害事件の発端となったとされる事件である。オウムビデオ事件、単にTBS問題TBS事件ともいう。

経過

1989年秋にオウム真理教富士山道場で社会情報部(事件後廃止、「3時にあいましょう」スタッフ)と社会部合同で麻原彰晃(松本智津夫)による「水中クンバカ」の実演を取材。3時にあいましょうではこれを放送し、後日、オウム真理教批判の急先鋒であった坂本堤弁護士を取材し、インタビューを録画。

  • 1989年10月26日:オウム真理教の早川紀代秀上祐史浩青山吉伸らがTBS(当時の千代田分室)を訪れ、3時にあいましょうスタッフに対し、坂本弁護士へのインタビュー取材を抗議。ここで、(3時にあいましょう)曜日担当プロデューサーが、インタビューを収録した当該ビデオを3人に見せている。結局、オウム側の抗議にTBSスタッフはインタビューを放送しないことを承諾・約束し、オウム側幹部はその場を後にする。
  • 1989年10月31日:早川、上祐、青山ら3人が横浜法律事務所を訪れ、坂本弁護士と交渉、しかし交渉は決裂。
  • 1989年11月4日:坂本弁護士一家殺害事件(当時は「失踪事件」)が発生。
  • 1995年10月12日:TBSが、東京地検へ坂本弁護士のインタビューテープを提出。
  • 1995年10月19日:日本テレビが、TBSが放映前の坂本弁護士のインタビュービデオをオウム幹部に見せたと報道。同日、TBSは夕方のニュース番組「ニュースの森」内で否定の報道を行う。
  • 1996年3月11日:TBSは坂本弁護士のインタビュービデオを見せた事実は無かったという「社内調査概要」を発表。
  • 1996年3月12日:早川被告公判。TBSのプロデューサー、及び早川の供述調書の要旨告知(事件の核心となる早川メモが公表される)。横浜法律事務所、TBSに対して公開質問状。
  • 1996年3月19日:TBSは、横浜法律事務所の公開質問状に対する回答書提出。坂本弁護士のインタビュービデオを見せた事実はでなかったと回答。TBSの大川常務、衆議院法務委員会に参考人招致。社内調査概要に従って発言。
  • 1996年3月25日:TBSの磯崎洋三社長、坂本弁護士のインタビュービデオを、オウムの早川たちに見せたことを認める内容の記者会見を行う。
  • 1996年3月28日:TBSの大川前常務、衆議院法務委員会で陳謝。
  • 1996年4月2日:TBSの磯崎社長ら、衆議院逓信委員会に参考人招致。
  • 1996年4月3日:TBSの磯崎社長ら、衆議院逓信委員会に参考人招致。
  • 1996年4月30日:TBSは坂本弁護士のインタビューテープ問題についての社内調査概要など発表、19時00分から19時20分まで磯崎社長による社告謝罪番組「視聴者の皆様へ」、19時20分から23時00分まで検証特番「証言」を放映。ビデオをオウム幹部に見せた曜日担当プロデューサーは懲戒解雇。
  • 1996年5月20日:TBSは、23時50分から5分間の特別番組「視聴者の皆様へ」で砂原幸雄社長より経過報告と今後の対策および謝罪放送をした。
  • 1996年5月24日:TBSは横浜法律事務所に公開質問状に対する再回答書提出。3月19日の回答書を全面的に撤回し、坂本インタビュービデオを見せたことを認めるとともに、遺族と横浜法律事務所などに陳謝。
  • 1996年12月18日:TBS「放送のこれからを考える会」(座長:堀田力弁護士)が、報道現場における「個の確立」を求める提言。

TBS批判とその過熱

TBS側がオウム幹部にビデオを見せたことは、情報源の秘匿というジャーナリズムの原則に反し、報道倫理を大きく逸脱するものとして批判された。またTBSがビデオをオウム幹部に見せたことで坂本弁護士が殺害されたという非難もあった。世論もこれに追随しTBS批判は過熱の様相を見せた。

またTBSは、オウム幹部の公判において当事者の供述やメモが明らかになったことを受け事実を認めるまで、問題発覚後5か月以上にわたり不透明な「内部調査」を根拠に事実を否定し続けた。この間、TBSは事実を把握しているのに意図的に隠しているのではないかと疑われた。一連の経緯からビデオ問題は報道への信頼を大きく揺るがす非常に重大な事件とされる。TBSが一転してビデオを見せたことを認めた当日1996年3月25日、TBSの看板番組『筑紫哲也 NEWS23』のキャスターを務める筑紫哲也は番組で、「TBSは今日、死んだに等しいと思います。……今日の午後まで私はこの番組を今日限りで辞める決心でおりました」[2]と発言した。この発言も大きな反響を呼んだ。

一方で、扇情的なTBSバッシングに対しては、「坂本弁護士殺害の因果をTBSだけに負わせることは問題の本質を無視するものだ」と識者とジャーナリストが異論を唱えた(※1)。これらの批判の過熱によって、坂本堤弁護士一家殺害事件を含むオウム真理教に関連する一連の事件(松本サリン事件地下鉄サリン事件など)そのものの真相究明がおろそかになったとの批判もある(※2)。

※1 異論を唱えた「識者とジャーナリスト」は誰で、その理由は何だったのか明記されていないことに注意。

※2 TBSビデオ問題は地下鉄サリン事件後、オウム信者が逮捕されたことがきっかけだった。この指摘は時間的に矛盾している(松本サリン事件は1994年6月27日、地下鉄サリン事件は1995年3月20日、TBSビデオ問題が日本テレビにより報道されたのが1995年10月19日)上、真相究明がどうおろそかになったのか、全く触れられていない点に注意。百科事典である以上、客観的、科学的根拠に基づくべきであろう。

このような背景には、いわゆる「視聴率稼ぎ」も問題視されている。当時、TBSは一部の番組を除き、1980年代から視聴率の低迷に陥っている。中でも、1985年に「8時だョ!全員集合」の打ち切りは相当痛手だった。フジテレビに視聴率を食われて、テレビ東京も下回ることもあり、「振り向けばテレビ東京」と言われたこともある。ワイドショーは制作費が比較的安く済むのが利点であるが、このことも頭に相当入っていたのだと思われる。※3 視聴率稼ぎが事件に及ぼした影響について全く触れられていない点に注意。

その後のTBS

ワイドショー一斉打ち切り

TBSはかつて「民放の雄」(「8時だョ!全員集合」、「水戸黄門」、「ニュースコープ」などの人気番組が多かった)と言われたが、1980年頃からフジテレビ日本テレビに視聴率を奪われ、TBSは視聴率の全体的な低迷に陥っていた。平日正午代の大不振(いわゆる「死に枠」と揶揄された。但し、「新伍のお待ちどおさま」を除く)、「ギミア・ぶれいく」の強制打ち切りに伴い強引的に始めた「ムーブ」の大不振、さらに本格的な決め手になった平日夜10時にテレビ朝日ニュースステーション」の裏番組だった「ニュース22プライムタイム」、「ニュースデスク'88・'89」等の大不振によるうっぷん晴らしから低予算で制作できるワイドショー(「3時にあいましょう」)でその事件を報じて視聴率アップを狙っていたことも原因である。1985年に発生したテレビ朝日「アフタヌーンショー」の「やらせリンチ事件」以上のさらなる放送界最大の事件となったこの問題でTBSは社会的非難を浴び、当時放送中であった報道系ワイドショー番組「モーニングEye」、「スーパーワイド[1]を打ち切ることで、報道との線引きが曖昧であったとの指摘を受け、いわゆる「報道系ワイドショー」といわれる番組からの撤退を表明した。ただし、「サンデーモーニング」は報道局制作に移行したため打ち切られず、「ブロードキャスター」内のコーナー「お父さんのためのワイドショー講座」も、2008年9月をもって終了を予定している。2008年現在でも、視聴率の全体的な低迷(ゴールデンタイムでも1クール別の平均視聴率7~10%前後)は続いており、「振り向けばテレビ東京[2]。」とまでいわれている。しかし、ワイドショー廃止を宣言したにもかかわらず、結局は後番組の視聴率が悪く、芸能ニュースを扱う「ジャスト」で事実上の完全復活となり、最近では「みのもんたの朝ズバッ![3]。」、「ピンポン!」でもやはり視聴率稼ぎのため相次いで不祥事が続発している。 「ザ・フレッシュ!」(打ち切り当時「フレッシュ!」)はそれ以前からの視聴率低迷のため、1996年春に報道局制作の番組(おはようクジラ)への変更が決定していた。ただ後番組の準備が間に合わなかったことから暫定的に「フレッシュ!」の終了が改編期を2か月過ぎた5月末まで延長されたに過ぎず、オウム事件との直接関係はなかった。そして「スペースJ」はもともと報道局制作の番組であったが、オウム関連を追及していた番組内容を問題視した上層部判断により、当時の社会情報局制作番組とともに打ち切られた経緯を持つ。さらに「ブロードキャスター」は社会情報局解体後、報道局ではなく制作局へ移管された。ちなみに「サンデーモーニング」はこの時の経緯を踏まえ、現在まで報道局担当番組のままである。

機構改革

当時、いわゆる報道系ワイドショー系の番組のみならず、情報系から一部バラエティに至るまで数多くの番組が「社会情報局」というセクションで制作されていたが、この件に関しては「ボーダーレス」「ノンジャンル」のセクションだからこそ起きた問題なのではないかという内外からの指摘もあった。

こうした声を踏まえ、社会情報局を廃止した。廃止後、ニュース系の番組は一旦すべて報道局に移管され、それ以外の番組はすべて制作局へ移管された。

ちなみに、TBSでのこの流れを受け、テレビ東京以外の在京民放他局も同様部署の整理再編に動くこととなり、日本テレビ(社会情報局)とフジテレビ(編成局社会情報部)はそれぞれ段階的に廃止・一般番組制作部門への吸収などが行われた。テレビ朝日(情報局)だけは組織改編をせず、同様の部署は維持された(2007年の機構改革で情報局は報道局に吸収された)。

深夜放送自粛

不祥事による自粛措置として5月20日から24日までの5日間テレビの深夜放送を取りやめたほか、この期間は『NEWS23』の放送を第1部のみで打ち切りとした。第2部をネットしている地区については『ドキュメントDD』など、裏送り番組を放送した。また、ラジオの深夜放送も休止した[4]。 この他、地方局では、TBSの深夜番組をネットせずに、『痛快!明石家電視台』など毎日放送(MBS) の番組をネットするケースも見られた。

路線変更

ワイドショーの廃止に伴い、1996年6月から裏番組を意識し、地方情報を扱った番組『おはようクジラ』、1996年9月30日から生活情報重視の『はなまるマーケット』、1996年10月からサロントーク型情報番組『素敵なあなた』を開始した。

『はなまるマーケット』については2014年3月まで続く人気長寿番組となり路線変更が功を奏している。

しかし、それ以外の枠では視聴率低下が続き、正午枠を含め短期間にリニューアル・打ち切りが繰り返されることになる。

1998年になり、かつての『スーパーワイド』→『素敵なあなた[5]』→『わいわいティータイム』→『情報!もぎたてサラダ』の時間枠に『ジャスト』を開始。これまで扱わなかった芸能情報を復活させたり[6]、トレンド情報を充実させ、ようやく安定するようになる。

日テレとの関係悪化

この事件を報道した日本テレビとは事件の前後しばらくの間、双方の局が相手に番組資料映像を貸さないなど、険悪な関係となった。下記はその主な事例。

  • 俳優のフランキー堺が亡くなって間もなく、日テレの『知ってるつもり?!』で彼をとりあげた際、主演作『私は貝になりたい』のワンシーンが流れたが、1958年にTBS(当時はKRT)で放映されたドラマではなく、翌1959年に劇場公開された橋本忍監督、東宝配給の映画版だった。
  • 加藤茶がゲスト出演した日テレの2時間特番で、ドリフ全盛期のいかりや長介のエピソードの前置きにドリフ出演番組のVTRが流れたが、TBSの『8時だョ!全員集合』ではなく、同番組休止期間中の1971年4月から半年間日テレで放送された『日曜日だョ!ドリフターズ!!』の映像だったため、加藤のギャグにやや精彩を欠いた内容だった。
  • 高校サッカー中継は、日テレ系フルネット局が開局した地域でも、1994年度までは一部のJNN系列局が参加していたが、日テレが事件を報道した直後の1995年度の大会から日テレ報道に対する報復の意味も含め次第にJNN系列局が制作参加局から離れ、現在の参加局は宮崎放送のみとなった。宮崎放送が引き続き参加しているのは、NNNに加盟しているテレビ宮崎フジテレビ系メインネット・ANNにも加盟しているがNNSには非加盟)がスポーツ中継(特に野球・サッカー)のノウハウが高くない事が影響しているためといわれる。日テレ系の準キー局・読売テレビ放送が制作して西日本のほぼ全域と東日本の一部の日テレ系列局にネットされている討論バラエティ番組『たかじんのそこまで言って委員会』は2007年4月から宮崎放送でもネットされ、同年10月からは大分放送でもネットされるようになった(日テレはネット無し)。大分のネットは当地にある日テレ系列局のテレビ大分(フジテレビと日テレのクロスネット)が編成上の都合でネット出来ないことから宮崎と同じ理由でTBS系列の大分放送でネットされることになったとされる。

なお現在は、以下に挙げる点などから両局の関係はある程度修復したものと見られている。

他会社の不祥事との比較

この事件は企業倫理の問題として、三菱リコール隠しパロマの湯沸し機死亡事故と比較される事がある。

脚注

  1. 「3時にあいましょう」の後続番組
  2. テレビ東京でも少数だが不祥事が起きている。例:ポケットモンスターポケモンショック)、TXNニュースアイ(中国強盗団の一部始終やらせ騒動)、ガイアの夜明け(うなずき屋男騒動)[1]
  3. 例:TBS不二家捏造報道問題
  4. ただし、『UP'S』および『いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜』はTBSラジオのみ放送休止し、同時ネット局への裏送り放送として通常通り行われた。
  5. 15時台のみ
  6. ただし、スキャンダルネタは扱わない このスタイルは王様のヴランチと昼帯エンディングに受け継がれた

関連項目

外部リンク