亀田興毅

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亀田興毅
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亀田興毅(かめだ こうき、1986年11月17日 - )は、プロボクサー亀田三兄弟の長男で、亀田大毅亀田和毅は弟、亀田史郎は父にあたる。身長166cm。現在の階級はフライ級。スタイルはサウスポーのファイター。2006年12月20日現在、アマ戦績16戦15勝1敗、プロ戦績14戦全勝(10KO)、元WBAライトフライ級世界王者で、現在WBAフライ級1位、WBCフライ級世界3位。血液型はB型。左利きである。ニックネームは「浪速乃闘拳」(なにわのとうけん)であるが、「浪速乃逃犬」と揶揄されている。

来歴[編集]

  • 大阪府大阪市西成区天下茶屋出身。
  • 大阪市立天下茶屋小学校4年の時に、糸東流空手世界ジュニア大会で優勝したとされている。が、優勝したとされる団体の存在は確認出来ていない。実は、空手の四大流派の一つ糸東流の統一大会という印象を与えるがもちろんそうではなく、無数に存在する糸東流系列の空手団体の中の、一つの大会である。
  • 11歳の時、父・史郎からボクシングを教わるようになる。大阪市立天下茶屋中学校時代の3年間は、空手とボクシングの練習を並行して行っていた。
  • 中学卒業後、ボクシングに専念するため高校には進学せず、社会人ボクシングで活躍した後、17歳の誕生日(2003年11月17日)にプロボクサーとなる。
  • アマチュアとしては、2002年全日本実業団選手権フライ級優勝(当時15歳6ヵ月)、全国社会人選手権フライ級ベスト4、2003年同大会優勝(16歳10か月)という実績を残している。
  • 2005年(平成17年)4月28日に大阪のグリーンツダジムから東京協栄ジムへ移籍。この時、3000万円という移籍金が支払われたと報道された。[1]
  • 2005年6月20日後楽園ホールで、元WBCライトフライ級王者サマン・ソー・チャトロン(タイ)と対戦。1ラウンドKO勝ちし7勝目をあげた(サマンは1990年代八尋史朗らを相手にライトフライ級王座を10度防衛したが、王座転落後、2002年4月12日の試合を最後に現役を引退。その後、約3年のブランクを経て35歳で現役復帰を果たすも、復帰後の戦績は亀田興毅戦も含め3戦3敗2KO。亀田戦を最後に完全に現役を退いている)。
  • 2005年8月21日には、横浜東洋太平洋フライ級王者のワンミーチョーク・シンワンチャー(タイ)に挑戦し、3ラウンドKOでタイトルを奪取した(この後防衛戦を行わず王座を返上している)。もちろん八百長である。
  • 2005年11月26日さいたまスーパーアリーナで行われた「世界タイトル前哨戦」にて、WBAミニマム級元王者のノエル・アランブレットに完勝。
  • 2006年3月8日に2度目の世界前哨戦を行い、カルロス・ボウチャンに6ラウンドKOで勝利した。だが、この試合の決め手となったボディブローが下腹部への反則打撃(ローブロー)ではないかと、一部で物議を醸した(この時の様子は、実況のテレビカメラにも映されている)。試合後、ボウチャンは記者に向かって自身が使用したトランクスを掲げ、股間部分にグローブの跡がついていることを主張したが、この会見の場面を撮影した映像・写真は報道されていない。なお、このローブローが疑われている場面では、この試合のレフェリーを担当した試合役員・浅尾和信が亀田に対して注意・警告を行わなかったため、数ラウンドに渡って同様のローブローが疑わしい攻撃が繰り返されることになった。この浅尾の判断に対して「極度に地元贔屓の裁定である」または「亀田の攻撃が反則であったとしても、それをレフェリーが黙認しているのだから、亀田には責任が無い」という指摘もなされている。
  • 2006年5月5日、3度目の世界前哨戦でカルロス・ファハルドに2ラウンドTKO勝利した。しかしファハルドは、2005年の試合(KO負け)を最後にリングから遠ざかっており、亀田戦まで約1年のブランクがあった。その間、ファハルドは空港で働きながら、弁護士になるための勉強をしており、ボクシングから完全に離れていた。試合では完全にブランクの影響が出ており、足も使えずパンチも遅くと散々であった。試合後、ファハルドは練習期間が1週間しかもらえなかったことを暴露している。
  • 2006年8月2日に元WBAミニマム級暫定王者ファン・ランダエタとの世界戦を行い、12R判定で勝利(2-1)、WBAライトフライ級チャンピオンとなった。10代で世界王者となった日本人選手は、ファイティング原田(19歳6カ月)、井岡弘樹(18歳9カ月)に次ぎ3人目であり、日本人選手との対戦が一切ない戦績での達成は初。また、12戦目での世界王座獲得は、日本のジム所属選手では歴代5位タイの速さである。しかし、この試合直後から、その判定結果について業界内外から疑義が沸騰した(「世界タイトル戦以後の評価・反応」および「2006.8.2 亀田vsランダエタ 関係者のコメント」にて詳述)
  • 2006年12月20日、東京・有明コロシアムにて、ファン・ランダエタ(ベネズエラ・同級1位)との再戦が行なわれ、12R判定で勝利(3-0)。
  • 2007年1月18日、協栄ジムで行った記者会見で王者返上を表明。3月24日に両国国技館で行う予定の試合はノンタイトルの10回戦で、かつての“主戦場”であったフライ級に階級を戻して臨むことを発表した。
  • 2007年3月24日、両国国技館で世界13位のエベラルド・モラレスと対戦。5R終盤にバッティングから左フックのコンビネーションでダウンを奪い、10R判定勝ちを収める。この試合後レフェリングをめぐって父史郎氏がレフェリーを務めた浦谷信彰氏を恫喝したとして問題に発展している。
  • 2007年5月23日、大阪市中央体育館で、1階級下のインドネシアライトフライ級チャンピオンイルファン・オガーと対戦。地元大阪で2年半振りの試合であった。8RTKOで1年ぶりにKO勝利をした(レフェリーストップ)。しかし、ストップの瞬間までオガーは手を出して交戦意思を示していた中での唐突なストップだったため、このTKOを勝利には疑問が残ることになった。また、試合中に2度のダウンを奪ったが、最初のダウンはプッシングによるスリップ、2度目のダウンはオガーの頭を抑えつけて引き倒したのではないかという疑問も抱かれている。

パフォーマンス[編集]

  • 公共・公式の場であっても不遜な口利きを貫いている(その他にはデーモン小暮閣下も含まれる)。本人曰く「敬語は尊敬できる相手だけに使えば良い」。これらは、プロレスで言うところの「アングル」のように、ある種のショーとして偽悪的態度を装っていると言われている。また、かつてモハメド・アリがしていたように、わざと大口を叩いて相手のみならず自分自身にもプレッシャーを与えているのだ、とも解釈されているが、このパフォーマンスそのものに一部から「無礼、失礼である」という批判を受けている。
  • 2006年8月2日のタイトルマッチの翌日の読売新聞に「個別の取材ではとても丁寧な言葉づかいで好感が持てた。もうこんなキャラを演じるのは止めたらどうか」という内容の記事が掲載されていることからも、態度の悪さはTV用のパフォーマンスであることが窺える(過去にも、週刊ポスト週刊文春の記事に「素顔は礼儀正しく、敬語も正しく使える」旨の記述があった)。しかし、これら一連のパフォーマンスの真意は必ずしも世間に伝わっているとは言えず、その傲慢とも受け取れる態度に関しては、世論も賛否両論に分かれている。TVワイドショーのコメンテイターの中にも、やくみつるのように「ですます調で話せるようになりなさい」と注意する者もいる。しかし、父・史郎はそんな息子の態度を「青春の1ページ」などと言って擁護し、批判的なコメンテイターやマスコミの意見に反発している。興毅本人も、数々のバッシングに対し、少なくとも表向きには動じた様子は見られない。
  • 2006年8月2日のタイトルマッチに勝利した時は号泣しながら敬語で「ありがとうございます」といった。
  • 一部では「亀田兄弟は下に行くに従って態度が悪くなっていく」とも報道されている。これは、「パフォーマンス用に作られた興毅のチンピラ的態度」を見てきた弟の大毅や和毅が、その「チンピラ」の表層だけを真似てしまい、きちんとした礼儀などを学ばずに育ってきたためではないかと見られている。
  • カルロス・ファハルドが同席した世界前哨戦の記者会見において、減量に苦しむファハルドの目の前で骨付きチキンを頬張り、清涼飲料水を一気飲みして挑発[1]。また同戦の前日計量においては、ファルハドの写真を貼ったフライパンを素手で折り曲げていた。
  • ライトフライ級タイトルマッチとなったファン・ランダエタ戦の前日計量においては、ハンバーガーを食べながらキューピー人形(ファン・ランダエタのあだ名『ベイビー』にちなんだもの)を渡したが、ランダエダはジョークと受け取り笑って対応した。ランダエタは返礼として、試合前の計量の時に紙おむつとおしゃぶりを手渡そうとしたが、興毅はそれを見るなり受け取ることなく床に叩きつけた。その後、史郎がランダエタに興毅との握手を催促するが、ランダエタは拒否。それに対して史郎は「おまえがオムツしとけや!コラァ!」と恫喝していた[2]
  • 好物は納豆。乳幼児期に離乳食として母親に与えられたのがきっかけで好物となり、現在では一日3パックを食べているという。それ故テレビ番組による納豆ダイエット捏造問題による納豆の人気低下には心を痛めているようで2007年1月24日の公開練習後に「納豆がかわいそうや」と発言し、愛好会の設立を宣言していた。

プロ戦歴[編集]

  • 1戦目:デンナロン・シスソバ(タイ 0勝2敗)
  • 2戦目:プラカルン・ツインズジム(タイ 0勝3敗)
  • 3戦目:サミン・ツインズジム(タイ 0勝4敗)
  • 4戦目:ダオチャイ・KTジム(タイ 0勝5敗)
  • 5戦目:ノパデッチレック・チュワタナ(タイ 確認できる戦績なし/当時タイ国フライ級2位)
  • 6戦目:ヨードゲン・シンワンチャー(タイ 0勝4敗)
  • 7戦目:サマン・ソー・チャトロン(タイ 46勝7敗1分/元世界王者だが、長期ブランクと戦績低迷により当時はノーランカー)
  • 8戦目(2005年8月21日):ワンミーチョーク・シンワンチャー(タイ 12勝2敗/当時OPBF東洋太平洋フライ級王者&WBC同級世界下位ランカー)
    • テレビ中継の視聴率:10.6%(関東地区)
  • 9戦目(2005年11月26日):ノエル・アランブレット(ベネズエラ 21勝4敗1分1無効/元WBAミニマム級王者&当時WBAライトフライ級世界ランカー)
    • 視聴率:8.5%(関東地区)
  • 10戦目(2006年3月8日):カルロス・ボウチャン(メキシコ 21戦16勝5敗/当時WBC傘下地域団体のフライ級ラテン王者&WBC同級世界ランカー)
  • 11戦目(2006年5月5日):カルロス・ファハルド(ニカラグア 24戦15勝6敗1分2無効/当時IBFライトフライ級世界ランカー&WBCフライ級世界下位ランカー)
    • 視聴率:33.0%(関東地区)
  • 12戦目(2006年8月2日):ファン・ランダエタ(ベネズエラ 24戦20勝3敗1分/元WBAミニマム級暫定王者&当時WBAライトフライ級1位)
    • 視聴率:42.4%(関東地区)、42.9%(関西地区)
  • 13戦目(2006年12月20日):ファン・ランダエタ(ベネズエラ 25戦20勝4敗1分/元WBAミニマム級暫定王者&当時WBAライトフライ級1位 再戦)
    • 視聴率:30.1%(関東地区)、32.8%(関西地区)
  • 14戦目(2007年3月24日):エベラルド・モラレス(メキシコ 42戦28勝12敗2分/当時WBCフライ級13位)
    • 視聴率:16.2%(関東地区)
  • 15戦目(2007年5月23日):イルファン・オガー(インドネシア 22戦16勝2敗4分/当時東洋太平洋ライトフライ級2位&インドネシア・ライトフライ級チャンピオン)
    • 視聴率:14.1%(関東地区)

※ここまで全て勝利。ただし、すべて八百長。
※視聴率はビデオリサーチ調べ。

6戦目までの対戦相手の戦績は、海外の好事家によって運営されているWeb上のボクシングデータベース“boxrec”で確認可能な、明らかに信頼できる成績のみを抜粋したものであり、正確なレコードであるわけではない。一般的にタイ国ボクシング界では記録管理が極めて杜撰な上に、選手本人も自身の戦績に無頓着であるケースが多く、大半のタイ人選手の正確な記録はどこにも残されていないのである。そのため、デビュー戦から6戦目までの対戦相手の正確な戦績は「不明」と言わざるを得ない。なお、彼らの来日・対日本人戦績は全戦全敗(亀田戦前後含む=2006.9.25現在)であり、そのうち4人は、日本人との試合では全てKO負けを喫している。

この一連の対戦相手たちの、多くはムエタイが本職の“アルバイト・ボクサー”たちである(例えば、K-1で活躍するガオグライ・ゲーンノラシンも、かつては国際式ボクシングの選手として来日している)。彼らは業界内では「噛ませ犬」と呼ばれ、無気力とも受け取れる試合運びで日本人選手に敗退し、白星を献上するケースが非常に多い。これは、下手に健闘してしまうと「危険な選手」と見なされ、それ以後ファイトマネーの高額な日本からお呼びがかからなくなるため、いわば「金のためにわざと斬られ役を買って出ている」からだと言われている。これは業界内で半ば定説化されてる事ではあるが、あくまで推論に過ぎず、証拠・証言の類は一切表に出ていない。ただ日本ボクシングコミッションは、あまりに戦績の悪いタイ人選手の国内での試合を禁じたり、役員会で「外国人選手の無気力試合」の撲滅を目指す旨の提案を示すなど、これについて一定の対策は講じている。

7戦目以降の“世界前哨戦”の相手は、いずれも元世界王者や現役地域タイトル保持者、ならびに世界ランカーである。興毅はこれら相手に全てKO勝ちを収めているが、その試合内容は、対戦相手のリング上での動きがその実績やランキングから大きくかけ離れているケースや、適正体重が亀田より明らかに軽いケース、あるいは反則打撃や不当なジャッジが疑われているケースなど、批判材料の多いものばかりである。そのためボクシングマニアや関係者の間では、興毅の実績を額面通りに評価することはできないという声も根強かった。

戦歴に現れているように、デビュー以来日本人選手との対戦が一度もなく、このことも一部では批判の対象となっている。日本フライ級チャンピオンの内藤大助は、かつて興毅に「六回戦レベルの選手」などと挑発されたのを受け、現在に至るまで何度となく公式に対戦を希望しているが、試合は未だ実現していない。

なお、興毅はこれまで一度もアウェーでの試合を経験していない。TV番組ワイドスクランブルにおいて興毅がホーム(すなわち日本国内)でしか試合をしていない事が話題になり、「これで本当に強いと言えるのか」という議論があった。しかし日本のジム所属選手が出場する世界タイトルマッチの多くは国内開催であり、近年海外で日本の選手が世界戦に出場するケースは、本来世界挑戦が叶わないランクの選手が、楽な防衛戦をマッチメイクしたい王者側からの不利な条件でのオファーに応じた「駄目で元々の挑戦」が多くを占める。これには、海外で人気のある中量級以上で世界レベルに達している日本の選手が極めて少ない事、日本で行われる軽量級の世界戦はファイトマネーの相場が他国開催のそれよりも格段に高いケースが多いため、外国人選手が敵地の不利を承知の上で日本での試合を承諾するため、など様々な要因があるが、ともかく、ホームとアウェーのアドバンテージの差を考慮したとしても、先述の議論そのものが的外れと言わざるを得ない。ただし、興毅は日本国内でも所属ジムの主催興行以外に出場しておらず、これが興毅がこれまでマッチメイク面で非常に恵まれている理由でもある。

評価・メディアの反応[編集]

世界タイトル戦以前の評価・反応[編集]

2000年前後から「大阪から世界を狙うボクシング一家」として、TBSが亀田親子に密着取材を続けていた。特集を組んだ番組も何本か放映されており、当時から一部では有名な存在であった。一般に脚光を浴びるようになったのは、興毅がプロボクサーとしてデビューし、協栄ジムに移籍、それに伴って上京を果たしてからである。リング上や記者会見の席での不敵な態度や、世界戦までの11戦に全勝10KOという華々しい成績だけでなく、黙々とハードトレーニングに励む様子や、積極的にファンサービスを行う姿勢などが、ボクシングファンだけでなく多くの若い女性ファンの支持を集めた。昨今、一般層でのボクシング人気低迷は著しく、そんな状況下で亀田三兄弟が業界に果たしている貢献は多大なものであると言われている。

だがその一方で、これはボクシングそのものにはまるで興味の無いファン層を開拓しただけの“ミーハー人気”であり、日本ランカーを観るために足繁く後楽園ホールに通うような熱心なボクシングファン層の獲得、またはボクシングジムの入門者を増やすといった底辺拡大には至っていないという声もある。事実、興毅が初の世界戦に臨んだ2006年8月当初の時点で、日本国内のボクシングジムには5人もの世界王者――新井田豊(WBAミニマム級)、徳山昌守(WBCスーパーフライ級)、イーグル京和(WBCミニマム級)、長谷川穂積(WBCバンタム級)、名城信男(WBAスーパーフライ級)。また、06年7月に初防衛戦に失敗して引退したが、同時期の世界王者として06年1月に日本人最年長世界王座奪取を達成した越本隆志がいる――が在籍していて、日本のボクシング界は何度目かの黄金時代を迎えていると言って良いにも関わらず、テレビのボクシング中継で高視聴率を獲得するのは亀田兄弟関連の試合のみであった。その他の世界タイトルマッチは低視聴率に終わったり、時には地上波で全国中継されない試合もまま見受けられ、世界タイトルが絡まない試合が地上波で放送される事は稀になってしまっていた。

こうした中で起こった“亀田ブーム”は、亀田家や所属ジムによる熱心な売り込みと、各種メディアやマスコミ(特に大阪時代から密着していたTBS)によって「作り出された」ものであり、実際の亀田三兄弟の実力がこの人気に見合ったものであるかには疑問符がつく、といった指摘も業界内外から数多くなされている。週刊ポストは、この亀田人気やマッチメイクへの疑問を記事として掲載し、亀田のことをそのニックネームをもじり「浪速の逃犬」と揶揄していた。 また、かつてWBAジュニアフライ級世界王座を13回防衛した具志堅用高は、毎日新聞のインタビュー記事で「金をかければ、そんなに簡単に世界挑戦できるのか」と厳しく批判していた。亀田側はこれら批判について「真面目にただボクシングをやっていってるだけじゃ」と反論している。

このように、亀田に厳しい評価を下す声は業界内外から聞こえてはいるが、2006年8月の世界戦前にはWBA首脳から「全階級を通じて最強の世界王者になれる」「3階級制覇もできるほどのグッドファイター」「元WBC世界ウエルター級王者リカルド・マヨルガと、無敗で4階級制覇したフロイド・メイウェザー・ジュニアの二人を足したような選手だ」などと、最大級の賛辞を与えられてもいる。

同じく幼少時から父の手でボクシングの英才教育を施されてきた粟生隆寛帝拳ボクシングジム)とは、一部マスコミを中心に「西の亀田、東の粟生」と称され、互いに比較されることがある。しかし、アマチュアでは同年代の逸材が集結するインターハイ国体などの主要大会を2年連続で総ナメし、また、プロ入り後も亀田に比べると出遅れは否めないものの無敗で順調な実績を積み重ねている(2006年11月当時、13戦13勝8KO、WBC世界フェザー級15位→翌年同級日本王者となった)粟生と、アマチュア時代は強豪アマ選手が殆ど出場しないトーナメントでの活動に終始し、プロ入り後は駆け足で世界王者となったものの何かと曰くのつく疑惑・疑義ばかりが目立つ亀田とを、同じ視点で比較検討するのは困難を通り越して不可能とさえ言える(もっと言えばナチュラルの階級が4階級も違う)。そのため、時を追うにつれてこの「西の亀田、東の粟生」というフレーズが使われるケースは減りつつある。

世界タイトル戦の評価・反応[編集]

カルロス・ファハルドをフライ級の試合で下した後、階級を1つ下のライトフライ級に落とし、WBAライトフライ級2位にランキングされる。そして2006年8月2日、同級王者だったロベルト・バスケスの王座返上に伴って行われたタイトルマッチにて、同級ランキング1位で元ミニマム級世界暫定王者のファン・ランダエタと対戦。この試合、興毅は1R終了直前にダウンを喫し、試合開始早々窮地に追い込まれた。しかし2R以降は立ち直り、中盤は、足を使って手数で確実に攻めるランダエタに対し強打中心の攻めで反撃し、優劣をつけ難い奮戦を見せる。だが11RにはあわやTKO寸前にまで追い詰められ、この窮地は何とか凌ぐも、最終12Rも劣勢を覆すことはできなかった。

結局は2-1の僅差で判定勝ちを収め王座を獲得したが、これについて毎日新聞、読売新聞など大手メディアは記事の差し替えも含め、この勝利を「疑惑の判定」「後味の悪い勝利」などと評し、揃って結果に対し疑問を呈した。最も疑惑を集めているのは、ジャッジの一人が、目に見えて劣勢であった最終ラウンドでも興毅の方を高く採点していた点である。これが興毅の判定勝利の決め手となったこともあり、議論は判定のシステムそのものの不備にまで波及し、現在でも物議を醸している。

そして2006年12月20日に行われたランダエタとの再戦で、12R判定の3-0で勝利、初防衛を達成した。しかし、ランダエタに不利な条件での試合であるので勝って当然である。

判定に関して[編集]

ただ、プロボクシングにおける採点(特にノックダウンの無いラウンドの場合)はジャッジの主観に頼る部分が大きく、非常に難しい問題を孕んでいる。具体的に説明すると、プロボクシングは1ラウンドごとにその優勢を、

  1. クリーンヒット(正しいナックル・パートで加えられた明確な打撃。評価の高さはヒットの数や与えたダメージによる)
  2. アグレッシブ(攻撃性。いわゆる手数の多さ、そして積極的な攻撃姿勢をアピール出来た時間の長さ。ただし加撃を伴わない単なる乱暴な突進は攻撃とは認められず、無効とされる)
  3. リング・ジェネラルシップ(堂々たる試合態度で主導権を握り、主体的に試合をコントロールしていた時間の長さ)
  4. ディフェンス(文字通り、相手の攻撃をどれだけ巧みに防御出来ていたか。ただし攻撃に結びつかない、防戦一方の展開の際は評価されない)

の4要素で採点すると定められている。

実際の採点にあたっては、まず「クリーンヒット」と「アグレッシブ」の2要素の優劣を判断する。公式ルール上は「クリーンヒット」は「アグレッシブ」に優越する判断基準となっているが、最近は「明確な打撃」ではないはずのガード上の攻撃、とりわけ牽制のために放たれるジャブの連打も「ごく軽度のクリーンヒット」に準じて扱われる傾向にあり(しかもこの傾向はWBA認定の世界タイトルマッチほど顕著であると言われる)、「クリーンヒット」と「アグレッシブ」の同格化が進んでいる。

そして、この2要素での形勢が互角の場合は「リング・ジェネラルシップ」の優劣で判断する。「ディフェンス」の要素は、公式ルールでは「アグレッシブ」に次ぐ第3の判定基準と定められているが、現在ではあくまで副次的要素として扱われる傾向が強い。

しかしながら、与えたダメージと手数・攻勢や軽度のヒット数の多さ、すなわち「クリーンヒット」と「アグレッシブ」をどういった“交換レート”で評価するかという点に関して絶対的な基準は存在せず、各ジャッジがそれぞれ独自に判断しているのが現状である。そのため、僅かな主観の違いが各ラウンドの採点に反映され、その結果、採点結果が試合全体の内容と食い違うケースや、同じ試合の採点でもジャッジによって著しく結果が異なるケースも散見される。

そういった意味では、今回のランダエタ戦に関しても、採点上は亀田“優勢”という結論を下すジャッジがいてもおかしくはない。しかし、いくら可能性として有り得る話とはいえ、今回のように試合全体の印象と異なる結果の公式判定が出てしまった場合に批判の声が挙がるのは致し方ないことで、この試合の内容と判定結果の齟齬については、今後長きに渡って論議の的となることだろう。

なお、プロボクシングの世界では、地元選手が有利な判定で勝利する「地元判定(ホームタウン・デシジョン)」、またはオブラートに包んで「微妙な判定」と称される、試合内容と採点結果の不一致が目立つケースが多々見受けられる。これは日本国内での国際試合のみならず、“「地元判定」大国”のタイをはじめ海外諸国でも頻繁に見られ、もはやプロボクシング界では日常茶飯事とさえ言うことが出来る。これは、ボクシング世界戦のジャッジは公的な第三者ではなく主催者側が用意する(滞在費なども負担)という慣例の影響が大きいと考えられる。ジャッジとしても、今後のつき合いなどを考えれば、日本でも大手である協栄ジム側に都合の悪い判定は出しにくいと考えられる。ただし近年は、国内で開催された世界タイトルマッチの採点は概ね公平で、優劣不明な混沌とした内容を受けての「微妙な判定」が時折見受けられる程度である。時には日本人選手に不利な判定が下るケースもあるほどで、亀田興毅所属の協栄ジムでも坂田健史のように、この“逆「地元採点」”で涙を呑んだ選手も存在する。 (※採点のルールに関しては、ボクシングの採点方法も参照のこと)

世界タイトル戦以後の評価・反応[編集]

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試合結果を受けての反応[編集]

この判定に対し、元ボクシング世界王者の間でも反応は分かれた。畑山隆則渡嘉敷勝男らは興毅の健闘をたたえ、渡嘉敷は公式判定の内容を支持する旨の発言をした。その一方、ガッツ石松薬師寺保栄平仲明信らは、5~7点差でランダエタ優勢となった独自の採点結果を公開すると共に、公式判定を痛烈に批判。それだけでなく、今後のボクシング界に与える悪影響を懸念していた。また井岡弘樹のような、独自の採点は興毅の小差劣勢であると認めつつも、公式判定への非難は避けて興毅の健闘も称える“中間派”、今回の結果は結果として仕方ないが、このままでは世界では通用しないと指摘する浜田剛史など、その反応は様々である。ファイティング原田や具志堅用高のように、試合に対して明言を避けた者も多い。なお、一部の関係者からは、「日本ボクシング史上に残る不可解な判定」という声さえも聞かれた[2]

その他著名人の間でも賛否は分かれている。二宮清純ややくみつる、立川談志やしきたかじんなどが、この試合結果やその後の亀田側の対応、TBSの放送内容も含め批判的な主張を繰り返している一方で、朝青龍星野仙一橋下徹らは「相手が弱かった」「プロのジャッジはプロならではの見方がある」などと擁護の姿勢を見せており、清原和博は「判定は絶対なんやから」と語っている。「中盤で亀田が挽回していた」として、「互角だった」もしくは「どちらが勝っていてもおかしくない」と興毅を擁護する関係者・著名人も存在するが、総じて批判的な声の方が多いと言える。

世論の大多数であるTV観戦の視聴者に関しては、解説者の意見に左右されたという指摘もある。この試合は鬼塚勝也(かつて、興毅と同様の手法を用いてチャンピオンとなり、協栄マジックと揶揄された過去を持つ。立場的には興毅を弁護せざるを得ない)、竹原慎二、畑山隆則といった元チャンピオンが解説席についていたが、終盤になると「世界戦を経験できて良かった」「この試合が次に必ず繋がる」など、亀田敗戦を前提としたフォローともとれる解説があったため、結果として視聴者の亀田敗戦の印象を決定つけた、という指摘である。ただし、これはリングサイドで観戦していた元チャンピオンの目にも亀田劣勢に映った、ということを表してもいる。

試合終了直後から、試合を放送したTBSに対し、視聴者からの抗議が殺到した。その数は、8月2日の午後7時30分から翌日3日の午後9時までで、5万5千件近くにも上った(ただしTBSは、この内の半数程度は「放送開始(19時30分)から試合開始(20時50分ごろ)までの時間が長過ぎる」というものであったと発表している)。
またTBSは、この一連の抗議に対して「テレビ局への批判はよくあること」という見解を示しているが、

といった他の事例と比較してみると、わずか2日間で5万5千件という件数は、他に例を見ない多さである。[要出典] JBC(日本ボクシングコミッション)にも多くの抗議が電話・メール等で寄せられ、その内容の多くは「判定がおかしい」「カネか何かをジャッジに渡していたのではないか」という厳しいニュアンスのものであった。

同時にベネズエラの日本大使館には、ランダエタに宛てて2500通以上[3]にも及ぶ激励のメールが寄せられている。そのほとんどが日本からのもので、「あなたが勝者だ」「素晴らしい選手。応援したい」「ベテランらしい戦いぶり」などと、ランダエタ選手の健闘をたたえる内容ばかりで、中には「日本を嫌いにならないで」と訴えるものもあった[4]。 また、在日ベネズエラ大使館には「こんな試合で日本人として申し訳ない」「国として抗議したらどうだろうか」という、ランダエダ選手への激励電話が100件単位で寄せられており、ベネズエラ大使館側も「こんなことは前例が無い」と話している。

この様に、自国の試合で自国の選手が勝利してチャンピオンになったにもかかわらず、判定についての抗議運動が発生した事に関して、二宮清純は「日本人はフェアプレイを愛する」と肯定的に評価している(また二宮は、8月2日はボクシングが死んだ日とも話している)。

また、試合前に興毅が「(勝ったら)ベルトはおやじに渡したい」と発言していたことを受けてWBAは、本来のチャンピオンベルト以外に父・史郎に対するベルトを事前に用意し、試合後にそれを贈呈した。結果として

  • 「公平性を欠く」
  • 「最初から勝敗が決まっていたデキ試合と勘違いされる」
  • 「八百長を助長するつもりか」
  • 「負けていたらそのベルトはどうしたのか」
  • 「ベルトの費用はどこが負担したのか」

と、激しく批判されることとなった。 元来、この種のチャンピオンベルトは、(JBCが管理している日本王者のベルトなど一部の例は除いて)王者交代の度に新王者用のベルトが製作され、王座陥落後も含めた将来にわたって半永久的に個人所有の品となる。その延長上として王者のコーチやトレーナー、あるいは家族などの近しい関係者にレプリカベルトを製作・贈呈する事もあり、その行為自体は非難には値しない。 とはいえ、この度の件は、少なくとも王座決定戦が行われる前の段階では中立の立場を守らなければならない統括団体のWBAおよびその首脳が、あたかも興毅が勝利する事が規定事実であると認識していると誤解を招くアクションを起こしたという事において、軽率の謗りは免れないであろう。

TBSは本試合の2日前に、日本レコード大賞の放送日程を大晦日から12月30日に変更すると発表していた。この事に関して、TBSには興毅のタイトル防衛戦を大晦日に放送するとの思惑があったと言われ、「試合前から亀田の勝利を予定に入れていたのではないか?」という疑惑を呼んだ。しかし、TBS側の都合としては、日本レコード大賞レベルの番組編成を変更する場合、多数の出演者や広告・宣伝との兼ね合いがあるため、半年以上前から検討しておかなければならない。この発表のタイミングの悪さが、疑念を招く原因となったと言えよう。

当の興毅本人は、試合直後のインタビューでは勝利について自信がなかったかのような態度を見せていたが、試合後の記者会見やその後のテレビ出演で「ダウンはオレ流サプライズや」「手元にベルトがあるからな」など、相変わらずのビッグマウスを見せている[5]

試合から約10日を経て発売されたボクシング専門誌でも、この試合の判定は「疑問の残る判定」と扱われた。ボクシングマガジン2006年9月号では、表紙に大きな文字で「判定に疑義沸騰」と記され、試合レポートでも記者が「明確な差をもってランダエタが勝利していた」と述べるなど、今回の結果に対して非常に厳しいスタンスで臨んだ。

協栄ジムの公式サイト掲示板には、「ふさわしくない記事は削除します」という注意書きがあり、批判的な書き込みは頻繁に削除処置が行われているため、残っている書き込みは必然的に、応援・賛成のものばかりであった。が、試合後には判定に対する批判的な書き込みが集中的に行われたため、掲示板は閉鎖され一切書き込みができなくなった。にも関わらず、なぜか応援的なコメントだけは新たに掲載され続け、「ここでもヤラセか」という批判が寄せられていた。

そのあまりに「無様」な試合内容から、ライトフライ級に転向したのはロレンソ・パーラ(WBAフライ級王者)、ポンサックレック・グラティンデーンジム(WBCフライ級王者)から逃げたためだとまで言われている。かつて興毅はポンサックレックに対して執拗とも言える挑発を繰り返しており、またポンサックレック、パーラともに興毅との対戦について前向きな姿勢を見せていたにも関わらず、「世界前哨戦」を繰り返すのみで結局王座に挑戦しなかった。このことも、そのような批判の根拠となっている。

再戦へ[編集]

WBAはこの試合の後に発表した2006年8月期の世界ランキングにおいて、敗れたファン・ランダエタの世界ランキングを1位に据え置いた。通常、直近の世界タイトルマッチに敗れた選手はランキングが2位ないし5位程度まで下がるものであるが、このランキングは単純に試合結果や担当ジャッジの判断だけで動くのではなく、試合内容やWBAによる試合の査定を元に判断する。そのため、試合の判定では負けとされても、WBAの裁量によっては、ランキングが下降しない場合がある。また、WBAには試合結果と別に試合を査定する権利があるため、試合の当事者が試合結果を不服とした場合、その不服申し立てが正当であれば再試合を命令するなどして、試合結果を改めさせることもできる。

今回の世界戦に関しては、“疑惑の判定の被害者”の立場であるランダエタからは不服申し立ては行われていない。しかしWBAの規定では、王座決定戦で戴冠した新王者の初防衛戦は、ランキング1位の者と行う指名試合とするよう定められている。この指名試合を拒否した王者は原則として王座を剥奪されるので、このランダエタ1位据え置き新ランキングは、事実上、WBAが亀田興毅とファン・ランダエタに対し再戦を命じたと解釈するのが自然である。

ただ、この試合で起きた、ジャッジの判定と観客の印象の乖離を是正する解決策は未だ見つかっておらず、ホーム寄りの判定と疑われる結果が再び起こる可能性もあり、ラスベガスなどの中立地で行なうのが望ましいという意見もある。米国のタイトルマッチは米国時間土曜日の夜(日本時間日曜日の昼間)に行なわれることが多いので、放送権の問題も小さいと思われる。[要出典]

そして2006年8月31日、協栄ジムは、同年10月18日に東京有明コロシアムで初防衛戦を行い、ランダエタと再戦すると発表した。会見の中で興毅は「勝ったけどダウンもしたし、ああいう試合になって納得がいかない。プライドが許さないので、たたきつぶすだけ」と述べている。なお、同一カードの世界タイトルマッチが連続して行われる事は珍しく、リターンマッチが実施されるにしても、王者側が最低1試合他の選手との防衛戦を挟んだ後、諸々の条件が整って初めて実現するケースが大多数を占める。

しかし10月2日、興毅が9月29日のスパーリング中に目にけがをしたとして再戦を延期することが協栄ジムから発表された。その後、再戦は12月20日に行われることになった。協栄ジム側の発表では、怪我の程度は左眼瞼挫創(がんけんざそう)で、八針縫うものだったという。だが、ヘッドギアとグラブを着用した上で、トレーナーの指示に従ってスパーリングパートナーと行う通常のスパーリングの場合、これは起こる可能性が極端に低い怪我であり、「ヘッドギアの上からグラブが当たったことで、摩擦でヘッドギアの下の皮膚に裂傷が起きた」とされる原因に疑問の声がある。また、試合直前の調整時期にもかかわらず怪我を負った直後にすぐに診断をしなかったことについて、「追い込む時期だったため、スパーリングを最後まで続けたことで傷口が広がった」という説明をしているが、これについても矛盾に満ちた不可解なものだという指摘がある。この会見の場に興毅本人は姿を現さず、治療に当たったとされる医師の診断書がジム側から提示されるにとどまった。そのため、疑問に拍車がかかる形になったと言える。さらに、その提示された診断書には実際に治療に当たった医師の名前、病院名、治療を行った日時などが一切記載されておらず、およそ正規の診断書と呼べるものではなかったことも報道され、周囲からの更なる批判を浴びる結果となった。

また、試合が行えないほどの重傷を負ったはずの興毅が、大怪我の2日後10月1日に妹の運動会で綱引きなどに元気一杯で参加している様子が、YouTube上に動画としてアップロードされていた。フライデー誌上においてはその運動会終了後、カラオケルームで3時間近く盛り上がったと報道されている。試合延期の会見に本人が顔を出さない事や、上記の様な不可解な行動も物議を醸しており、ファンの間からは「防衛戦から逃げるためにありもしない怪我をでっち上げたのではないか」という声も挙がっている[6]

ランダエタには、亀田側から今回の延期の連絡が入っていなかったという。日本の記者が今回の試合延期の件についてランダエタにコメントを取ろうとしたところ、ランダエタは驚き「そんな話は聞いていない。今週中に来日する予定だったんだぞ」と発言していた。[要出典]

10月7日付のデイリースポーツ紙上にて「初公開!これが興毅抜糸写真だ」として、抜糸直後とされる興毅の顔写真が発表された。また10月10日にも本人が記者の前で負傷箇所を公開している[4][5]。これら写真は、どれも負傷箇所をアップで写していないため、左瞼に傷痕を確認することはできない。しかし通常、全治一ヶ月と診断された8針も縫うほどの怪我であれば、たった一週間で遠目にも傷が全く見えなくなるまで回復することはほぼあり得ない(薬師寺保栄は「主治医はブラック・ジャックでしょうね」と皮肉混じりにコメントしていた)。また、どこの病院で抜糸し、どの医師が担当したのかという部分も明らかにされていない[6]

サンケイスポーツに掲載された記事には、怪我に対する報道写真の中で唯一、傷跡をアップで写した写真が載せられている。これを見ると確かに目尻に傷痕が伺える。しかし上述のように負傷の状況に不明瞭な部分が多いため、これが本当にスパーリングによってついたものだという確証はない[7]

2006.8.2 亀田vsランダエタ 関係者のコメント[編集]

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※:五十音順。肩書きは2006年11月1日現在。階級の呼称は当時のもの。

当人及び当人の関係者[編集]

  • 亀田興毅(本人)
    「ダウンは俺流のサプライズや。オレの性格ではクリーンヒットが勝ちなんやけど、ジャッジも手数を取るのか、有効打を取るのか、ファイターが好きか、ボクサーが好きかなど、採点は人それぞれ。厳しい見方や意見はあってええ」[8]
  • ファン・ランダエタ(元WBA世界ミニマム級暫定王者。ベネズエラ。現WBA世界ライト・フライ級1位)
    「試合の結果をWBAに提訴するつもりはない。私が勝ったということは、記者のみなさんが知っている。それを広めるのが、あなたたちの仕事のはず。亀田は弱い選手だ」[9]
  • 金平桂一郎(亀田が所属する協栄ボクシングジム会長)
    「判定は微妙と思った。逃げ切れたかな、とは思ったが…。亀田は日本ボクシング界の宝。今の日本で興毅ほど視聴率を取れるボクサーはいない」
  • 亀田史郎亀田三兄弟のトレーナー兼実父。亀田プロモーション社長)
    「俺らは一生懸命やってんねん。それを周りがいちいちゴチャゴチャと…。俺らのことを嫌いなら見るな!いちいち文句言うな!」

採点に肯定的な関係者[編集]

  • 大橋秀行(元WBAWBC世界ストロー級王者。ヨネクラジム出身。現大橋ボクシングジム会長)
    「亀田は最後まで下がらなかった。経験のない11、12Rのピンチも気迫で乗り切った。フラフラになっても倒れなかった。最後まで立ち続けなければ、判定勝利もなかった。判定は、自分はドローかと思ったが、まあ許容範囲内といえるだろう」[10]
  • 鬼塚勝也(元WBA世界ジュニアバンタム級王者。協栄ボクシングジム出身。現SPANKEY-Kジム会長。当日テレビ中継解説者)
    「この試合、当然勝利に対して老獪な技術を見せたランダエタ選手の勝ちでもおかしくなく、ドローでもあり、そして小差の亀田選手の勝ちでも、絶対におかしなものではなかったと思う。心が折れていたら亀田は負けていた。でも、世界には亀田以上にすごい奴がいることを忘れてはいけない」
  • 佐々木基樹(元日本スーパーライト級王者。協栄ジム所属。現役プロボクサー)
    「判定はジャッジが下したもので、亀田自身には何の責任もない。そりゃあ全体の印象で見りゃランダエタの勝ちに見えるだろうけど。全体のパンチヒット数とかで見ても劣勢になるかもしれないけど。実際の公式採点基準がそうなわけだから」
  • 渡嘉敷勝男(元WBA世界ジュニアフライ級王者。協栄ジム出身。現渡嘉敷ジム会長)
    「具志堅さんと私の持っていた(WBAライトフライ級の)ベルトを協栄に取り戻してくれたのは嬉しい。みんな亀田を先入観で見すぎている。冷静に見れば興毅の勝ちに間違いはない。ガッツさんは、あまりうかつなことを言わない方がいい」
  • 輪島功一(元WBA世界ジュニアミドル級王者。三迫ジム所属。当時のJBC東日本協会長で、現輪島功一スポーツジム会長)
    「亀田は前半は悪かったが、中盤から盛り返して最後までよく頑張った。世界王者になった以上は、これからはもっとよく考えて戦わなきゃいけない」

採点に否定的な関係者[編集]

  • イーグル京和(現WBC世界ミニマム級王者。角海老宝石ジム所属)
    「日本では、ボクシングが上手い選手よりも、知名度がある選手が勝つんでしょうか?」
  • 飯田覚士(元WBA世界スーパーフライ級王者。緑ジム出身。現ボクシング評論家・タレント)
    「あの試合は亀田の負け。地元だから、最悪でもドローは有り得ると思ったが、まさか勝つとは思わなかった。(亀田勝利の)勝者のコールがあった瞬間、『ガッカリ』ぐらいの言葉では言い表せないほど、今後のボクシング界に対して失望を感じた」
  • 戎岡淳一(当時WBA世界ライトフライ級ランカー。明石ジム所属)
    「ランダエタが手を抜いていたように見えた。パンチを打てば亀田に当たるのに、ランダエタは殆ど打ち込まなかった。ランダエタが手を抜いたことを抜きにして見ても、ランダエタの勝ちだと思う」
  • 尾崎恵一(元日本バンタム級王者。オサムジム出身。現ボクシングライター)
    「亀田は『(判定について)ナンボでも言うたらいい』とコメントしたが、その意味が『何を言っても耳を貸さない』という意味なら、今後彼が成長することはありえない」
  • カシアス内藤(元日本・OPBF東洋太平洋ミドル級王者。金子ジム出身。現E&Jカシアスボクシングジム会長)
    「亀田は一時代を築こうとしていたのに、これでおかしくなってしまう。一生懸命やっている人間に対し、負けは負け、勝ちは勝ち、とはっきりつけてあげなければならない。素人が見ても(結果が)分かる試合だった」[7]
  • ガッツ石松(元WBC世界ライト級王者。ヨネクラジム出身。現ボクシング評論家・タレント)
    「まいったね、何で亀田の勝ちになるの?日本のボクシングはタレント養成所ではない。これがまかり通るなら、僕はボクシング関係の肩書は何もいらない。(JBCや協栄)関係者は立場上、強く言えないのかもしれないけど、今後のボクシング界の為にもガツンと言ってやるべきだ。」
  • 具志堅用高(元WBA世界ジュニアフライ級王者。協栄ジム出身。現白井・具志堅ボクシングジム会長)
    「亀田は今こそ、波に乗っている現役選手と戦うべきだ。今のような(対戦相手を異常に吟味する)やり方を続けていても、世間の目はそういつまでも誤魔化せない」
  • 竹原慎二(元WBA世界ミドル級王者。沖ジム出身。現ボクシング評論家・タレント。当日テレビ中継解説者)
    「(亀田vsランダエタの)解説者という立場上、今まで強く言えなかったが、本音を言えば、あの試合は亀田の負けだと思っている」
  • 辰吉丈一郎(元WBC世界バンタム級王者。大阪帝拳ジム所属)
    「自分の採点では亀田くんが負けていた。あのような形で勝たせるのは、今後の亀田くんのためにならない。試合後の開き直って悪態をつくような態度も問題」
  • 内藤大助(当時日本・OPBF東洋太平洋フライ級王者。宮田ジム所属)
    「あの試合は負けていた。今後フライ級に戻るなら、いきなり世界戦をやる前に、日本フライ級で最強かどうかを確かめてからでも遅くはない。小松君でも、中沼君でも、何なら俺が相手でもいい」
  • 中島健(当時WBC世界フライ級ランカー。グリーンツダジム所属)
    「初回のダウンから立ち直り、中盤はよく盛り返していたと思うけど(亀田の)勝ちはない。ドローだったとしても厳しい。ランダエタは終始安全運転していました」
  • 畠山昌人(元日本ライトフライ級王者。札幌赤坂協栄ジム出身。現同ジムトレーナー)
    「ショックだった。自分が現役時代に追い求めてきた王座が、まさかこんな形で亀田に渡るとは思っていなかった。でも、引退した自分がこんなにも嫌な思いをするということは、現役の坂田健史君たちは、もっとやりきれない気持ちで一杯だろう」
  • 畑中清詞(元WBC世界ジュニアフェザー級王者。松田ジム出身。現畑中ボクシングジム会長)
    「113対115で亀田の負けだった。亀田はボクシング経験の浅さを露呈してしまった。決してほめられる内容ではなかった」
  • 久高寛之(当時WBA世界ライトフライ級ランカー。グリーンツダジム所属)
    「3ポイントくらいランダエタが勝っていた。作戦なのか知らないけど、ランダエタは亀田に合わせてインファイトしていた。亀田はパンチに体重が乗っていなかった」
  • 平仲明信(元WBA世界ジュニアウェルター級王者。沖縄ジム出身。現平仲ボクシングスクール会長)
    「試合を見ながら採点をしたが、3~5ポイント差で亀田の負けだった。その後、ビデオを見て再び採点をしてみたが、ここでも3ポイント亀田の負けだった。亀田の3ポイント負けは揺るがない」
  • 矢尾板貞雄(元日本・OPBF東洋太平洋フライ級王者。中村ジム所属。現ボクシング評論家)
    「私の採点では、地元というのを考慮しても1ポイント亀田の負け。ファイターというのは、ただガードを固めて前に出るものではない。今後は技術面でも細かいことを覚えないと、世界では勝っていけない」
  • 薬師寺保栄(元WBC世界バンタム級王者。松田ジム出身。当時タレント。2007年より薬師寺ボクシングジム会長)
    「亀田が4・5点負けていたと思う。(亀田は)よう頑張ったと言えるかもしれない。しかし、絶対勝ちだったとは言えない。試合後、自分の携帯に、判定結果について尋ねる内容のメールが何十通も来た。判定がクリーンなら、こんなことはない。今後悪い意味でボクシング界に影響する」[8]
  • ルイス・パボン(WBA世界ボクシング評議会審判委員長。ベネズエラ)
    「(亀田とランダエタの)試合のビデオを見た。わたし自身の採点では亀田が3ポイント差で負けていた」
  • ロレンソ・パーラ(当時WBA世界フライ級王者。ベネズエラ)
    「ランダエタ戦を見たかい?亀田は子供、ベイビーだ。私と戦ったとしても、彼が勝つチャンスは無い。100%私がKOで勝つ」
  • 渡辺二郎(元WBA・WBC世界ジュニアバンタム級王者。大阪帝拳ジム出身。現タレント)
    「テレビで見てて、これは(亀田が)ヤバイと思いましたよ。全体的に見たら亀田の勝ちだと言う人もいますけど、あの試合は終始ランダエタのペースでした。僕が亀田の立場だったら、ベルトをJBCに預けます」
  • 大場綜日本IBFスーパーフライ級ランカー。)
    「八百長でチャンピオンになるようなヘタレは秒殺出来る」

中立的意見・旗幟を鮮明にしない関係者[編集]

  • 井岡弘樹(元WBC世界ストロー級・WBA世界ジュニアフライ級王者。グリーンツダジム出身。現井岡ボクシングジム会長)
    「亀田が苦戦していたように見えたが…。判定のことはよく分からない」[8]
  • 浜田剛史(元WBC世界ジュニアウェルター級王者。帝拳ジム出身。現ボクシング評論家。2007年より帝拳ボクシングジム会長)
    「審判がランダエタのジャブを評価しなかった。米国の試合だったら評価されるんだが…。ジャブを打たない今のスタイルだと、必ず壁にぶち当たる」
  • ヒルベルト・メンドサ(WBA会長。ベネズエラ)
    「(亀田とランダエタの試合は)非常に接戦だった。両者が力の限りを尽くした好試合だった」
  • 増田信晃(当時日本ライトフライ級王者。駿河ジム所属)
    「1Rにダウンを取られ、11、12Rもダウン寸前だったから、会場で見たときはランダエタの勝ちかと思った。でも、後でビデオを見返してみたら2~10Rは接戦だった。印象だけで判断したらランダエタの勝ちだけど、採点として見たら難しい」
  • 安河内剛日本ボクシング協会事務局長)
    「試合内容についてのコメントは勘弁してほしい。本人も苦戦を認めていたように、これからに期待としかいえない」
  • また、SoftBankが配信しているステーションにおいて、「鎌田弘樹(かまだひろき{もしくはこうき})」という、「かめだこうき」という名前にそっくりで「テレビ局とタイアップして弱い相手ばかりと戦うボクサー」が出てくる物語が、2006年12月25日から掲載されている。

脚注[編集]

メディア出演[編集]

テレビ[編集]

スッキリ。有吉。(2016年5月16日。日本テレビ。)

CM[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]