斉藤雅人

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斉藤雅人(さいとう まさと)とは、埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身の元サッカー選手である。

来歴[編集]

武南高等学校、駒澤大学卒業。1998年に地元を拠点とする日本フットボールリーグクラブ大宮アルディージャに加入。守備として多くの試合を行った。 最初のシーズンからのミッドフィールダー。クラブは1999年からJ2リーグに昇格し、2005年からJ1リーグに昇格した。

2010年1月14日、現役引退を発表。大宮アルディージャU-12コーチに就任した。現在は朝から昼までは社業に就き、昼からスクールコーチとして働いている。

人物[編集]

・チームのJ1残留をかけた2007年J1最終節の川崎フロンターレ戦で途中出場し、1-1の同点に追いつく自身J1初ゴールを決め、試合は引き分けとなり大宮 はJ1残留を決めた。

・外見およびプレースタイルから冷静で物静かな人物に見えるが、実際は熱いらしく、ベンチにいる時、味方の選手に対して不可解な判定や悪質なファウ ルがあった場合、監督やコーチ、スタッフとともにベンチを飛び出して抗議し、第4審判になだめられる場面がしばしばある。過去にも、アウェイゲー ムでベンチに退いた後、ボールパーソン(ホームチームのユースチームが担当していた)の時間稼ぎに対し、執拗な抗議を行ったとして退場処分を受け たことがある。

・FC東京に所属していた浅利悟は高校の1年先輩であり、東京ガスの社員(出向扱い)でありながらサッカー選手という、斉藤と同じような社員選手で  あった。2人は2009年シーズン終了後に現役引退している。

・埼玉西武ライオンズの平尾博嗣は、中学時代(浦和市立東浦和中学校、現・さいたま市立東浦和中学校)の同級生である。

・元俳優の江原淳史は同じ中学、高校の1年先輩である。

・大宮で付けていた背番号15は、斉藤引退後4年間欠番となっていたが、2014年シーズンよりU-12からの下部組織育ちで同年トップチームに昇格した大山啓輔が付けることになった。

関連項目[編集]